Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

阪哲朗/日本フィル

2022年01月15日 | 音楽
 1888年(明治21年)、当時55歳のブラームスはウィーンで箏の演奏を聴いた。演奏者はオーストリア特命全権公使夫人の戸田極子。中心曲は「六段の調」と「乱輪舌(みだれ・りんぜつ)」だった。――以上は、阪哲朗指揮日本フィルの1月定期のプログラムに掲載された荻谷由喜子氏の解説による。上掲↑の絵画はそのときの情景を描いた日本画家の守屋多々志(1912‐2003)の作品。右がブラームス、左が戸田極子だ。大垣市守屋多々志美術館の収蔵品。

 そのエピソードをテーマにした演奏会。1曲目はシューベルトの「ロザムンデ」序曲。冒頭の和音が堂々と鳴る。弦楽器の編成は10‐8‐6‐5‐4と低音に比重がかかっている。ドイツ仕込みの阪哲朗の音感覚なのだろう。主部に入ってからの精彩のある軽さにはシューベルトらしさが横溢した。

 2曲目は八橋検校(1616‐1685)の上記の「乱輪舌」。箏独奏は遠藤千晶。始めは控えめな曲想だが、徐々に舞を舞うような動きが現れる。一種の狂おしさが生まれる。その華やぎに魂を奪われそうな恐ろしさをおぼえる。

 3曲目は石井眞木(1936‐2003)の箏とオーケストラのための「雅影(がえい)」。オーケストラの現代的な響きから始まり、次に箏独奏で「乱輪舌」の冒頭部分が演奏され、それを引き継ぐかたちでオーケストラが絡む。以下、数度のクライマックスを築きながら展開する。演奏時間は約21分(プログラムの記載による)の大曲だ。

 オーケストラは2管編成が基本だが、注目すべきことにはトランペットを欠く。高音はもっぱら箏に委ねられる。そのためだろう、終始箏の音が明瞭に聴こえる。オーケストラが箏にかぶることはない。箏の繊細さと華やかさが一貫する。日本のオーケストラが海外公演に持っていったら現地の聴衆に喜ばれそうな曲だ。

 4曲目は再び箏独奏で「六段の調」。あらためて聴くと、西洋音楽的なシンメトリーとか基音の重力とか、そんな原理とはまったく異なる原理で作られている。そのことに戸惑いをおぼえる。あえていえば、自由な朗唱のように聴こえる。ブラームスはこれを聴いてどう思ったのだろう。プログラムに掲載された絵画(↑)を思い浮かべながら聴いた。

 5曲目はブラームスの交響曲第3番。阪哲朗のしなやかな指揮から、いつもの日本フィルとは一味違う演奏が生まれた。表情豊かで、うねりがあり、熱量の高い演奏だ。音作りも1曲目のシューベルトとは異なる。やわらかくて、ふんわりした音作りだ。対抗配置のコントラバスが全体を支える。日本フィルの新たな可能性を感じさせた。
(2022.1.14.サントリーホール)

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