Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

アラン・ギルバート/都響

2019年12月09日 | 音楽
 アラン・ギルバートの、一曲一曲は小ぶりだが、なんとも物凄いプログラム。前半の1曲目はリストのピアノ曲「悲しみのゴンドラ」(1885年/第3稿)をジョン・アダムズ(1947‐)がオーケストラ用に編曲したもの。沈鬱なトーンに覆われている。いうまでもないが、「悲しみのゴンドラ」は死期の迫ったワーグナーのためにリストが書いた曲なので、ワーグナーつながりから、ジョン・アダムズのオーケストラ曲「ハルモニーレーレ」(1984年)の第2曲「アンフォルタスの傷」との関連を想った。

 2曲目はバルトークのヴァイオリン協奏曲第1番。ヴァイオリン独奏は矢部達哉。甘美な音色で明瞭なラインを描く演奏だ。オーケストラとの呼吸もぴったり。バルトーク初期の曲だが、硬さとか若書きとか、そんなことを感じさせずに、緊張感を持続し、終始おもしろく聴かせた。

 プログラム後半は1曲目がトーマス・アデス(1971‐)の「クープランからの3つの習作」(2006年)。クープランのクラヴサン曲集から3曲を選んで、室内オーケストラ用に編曲したものだが、小室敬幸氏のプログラム・ノーツを引用すると、「クラヴサンで演奏する場合の装飾やリズムのずれを複雑なリズムとして記譜。」(第1曲「気晴らし」)、「演奏上の微妙なアゴーギグ(テンポの揺れ)を3連符と5連符の中間という指示をすることで記譜している。(中略)その揺れも複雑なリズムとして楽譜に書かれているのだ。」(第3曲「魂の苦しみ」)。

 アデスの作品の、どこかギクシャクした、しかし推進力があり、聴き手を覚醒させるリズムは、(小室氏が指摘する)そのような記譜からくるのかもしれない。聴き手はいいが、演奏する側は神経がすり減り、わたしだったら発狂するかもしれないが。

 そのようなアデスの、一度聴いたら病みつきになるような諸作品は、わたしの経験では、エッジの立った音で演奏されることが多い気がするが、今回はソフトな精妙この上ない音で演奏された。舞台上で室内オーケストラから立ち昇ってくる音は、陽炎のように揺れ、つかみどころがなく、微光を放っていた。

 余談ながら、小室氏のプログラム・ノーツは、アダムズ編曲の「悲しみのゴンドラ」とアデスの「クープランからの3つの習作」への適切な案内役を果たしてくれた。

 後半の2曲目はハイドンの交響曲第90番。アラン・ギルバートはマーラーなどの大曲中心のイメージがあるが、ハイドンも、けっして大味にならずに、生彩ある演奏だった。都響は精緻なアンサンブルで応えた。弦の編成は12‐10‐8‐6‐4だった。
(2019.12.8.東京芸術劇場)

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