Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

卒業式の想い出

2017年03月19日 | 身辺雑記
 卒業式の季節になった。この季節になると想い出すことがある、という人も多いのではないだろうか。わたしもその一人。この季節になると、中学校の卒業式を想い出す。

 わたしの中学校は荒れていた。先生方の中には「今の3年生がいなくなればこの学校もよくなる」という先生もいた。そんな声が生徒たちにも聞こえていた。暴力事件は日常茶飯事。便所には吸殻が落ちていた。シンナーを吸って倒れる生徒もいた。要するにさじを投げられた学年だった。

 卒業式は、例年は体育館でおこなわれていたが、わたしのときは各教室でおこなわれるという噂が流れていた。でも、卒業式が近づくと、例年通り体育館でおこなわれることになった。当日は私服が入っているという噂も流れたが、卒業式が始まると、何事もなく平穏に進んだ。

 わたしは答辞を読む役割だった。壇上で校長先生を前に答辞を読み、読み終わった答辞を校長先生に差し出して一礼したとき、校長先生が小さな声で「君にはお世話になったね」といってくれた。わたしは嬉しかった。

 わたしは3年生のとき、先生から殴られた。その先生の授業中にある出来事があり、わたしは先生の対応に抗議した。先生は顔色が変わり、教室を出て行った。しばらくすると戻ってきて、「○○(わたしの名前)ちょっと来い」といって、わたしを職員室に連れて行った。職員室に入ると、振り向きざまに殴った。わたしは床に倒れた。

 先生方が集まってきて、わたしを別室に連れて行った。それからどのくらいの時間がたったろうか。少し暗くなってきたその部屋に、校長先生が現れた。事情をいろいろ説明してくれたと思う。そして最後に、「君のご両親には私から説明しようか」といってくれた。わたしは「いいです」といって退出した。わたしは家に帰っても、親には何もいわなかった。

 卒業式のときに校長先生がおっしゃった言葉は、そのときのことを指していたのか、それとも他のことか‥。ともかくその言葉は、ずっとわたしの中に残り、人生の中で気持ちが折れそうになったとき、わたしを支えてくれた。

 卒業式が終わってから、わたしは仲間の何人かと、近くの多摩川の土手に行った。明るく暖かい陽光が射していた。貸しボート屋でボートを借りて、河口に向かって漕ぎだした。勢いづいて、羽田空港を一周することになった。思いがけず大冒険になった。帰ってきた頃には真っ暗になっていた。貸しボート屋の人が心配していた。

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