東京・春・音楽祭のコンサート「忘れられた音楽――禁じられた作曲家たち」が開かれた。ウィーン国立音楽大学エクシール・アルテ・センターのゲロルド・グルーバー所長によるレクチュアー・コンサート。ナチス・ドイツの侵攻に遭って人生に甚大な影響を蒙った作曲家たちを振り返るもの。
当コンサートで取り上げられた作曲家は5人。演奏順に、マリウス・フロトホイスMarius Flothuis(1914‐2001)、ヘルベルト・ツィッパーHerbert Zipper(1904‐97)、ベーラ・バルトーク(1881‐1945)、ミェチスワフ・ヴァインベルクMieczyslaw Weinberg(1919‐96)、ハンス・ガルHans Gal(1890‐1987)。
バルトークは別格として、わたしが名前を知っている作曲家はヴァインベルクだけだった。ヴァインベルクは、ショスタコーヴィチの評伝を読むと、必ずといってよいほど名前が出てくる人だ。ヴァインベルクとショスタコーヴィチとの影響関係は深く、しかもそれはショスタコーヴィチからヴァインベルクへという一方通行ではなく、双方向のものだったようだ。
ついでながら、ヴァインベルクのオペラ「旅行者」は、2010年のブレゲンツ音楽祭で上演されて以来、ヨーロッパ各地で上演されるようになっている。わたしもフランクフルト歌劇場で観て、鳥肌の立つような衝撃を受けた。アウシュヴィッツの記憶をテーマにした作品だ。
当コンサートに話を戻すと、バルトークを除いて、他の4人は長命だった。テレージエンシュタット(現テレジン)などの強制収容所で絶命した作曲家たちとはちがって、幸いにも天寿をまっとうできた人たちだ。
ヴァインベルクは、ユダヤ系であったため、スターリン政権下で生命の危機に直面したが、ショスタコーヴィチの奔走もあり、危機を脱して作曲家人生をまっとうした。他の3人も、音楽学者などとして、それぞれ立派な業績を残したようだ。
当コンサートは、各人各様の音楽やその生涯を掘り下げるには時間が足りなかった。残念ながら名前の紹介で終わったきらいがある。
演奏は、フルートのウルリケ・アントンがパワー溢れる演奏を聴かせた。わたしは日本人との体力のちがいを感じた。他に弦楽四重奏のプレシャス・カルテットとピアノの川﨑翔子が参加。いずれも好演だった。
(2017.3.20.石橋メモリアルホール)
当コンサートで取り上げられた作曲家は5人。演奏順に、マリウス・フロトホイスMarius Flothuis(1914‐2001)、ヘルベルト・ツィッパーHerbert Zipper(1904‐97)、ベーラ・バルトーク(1881‐1945)、ミェチスワフ・ヴァインベルクMieczyslaw Weinberg(1919‐96)、ハンス・ガルHans Gal(1890‐1987)。
バルトークは別格として、わたしが名前を知っている作曲家はヴァインベルクだけだった。ヴァインベルクは、ショスタコーヴィチの評伝を読むと、必ずといってよいほど名前が出てくる人だ。ヴァインベルクとショスタコーヴィチとの影響関係は深く、しかもそれはショスタコーヴィチからヴァインベルクへという一方通行ではなく、双方向のものだったようだ。
ついでながら、ヴァインベルクのオペラ「旅行者」は、2010年のブレゲンツ音楽祭で上演されて以来、ヨーロッパ各地で上演されるようになっている。わたしもフランクフルト歌劇場で観て、鳥肌の立つような衝撃を受けた。アウシュヴィッツの記憶をテーマにした作品だ。
当コンサートに話を戻すと、バルトークを除いて、他の4人は長命だった。テレージエンシュタット(現テレジン)などの強制収容所で絶命した作曲家たちとはちがって、幸いにも天寿をまっとうできた人たちだ。
ヴァインベルクは、ユダヤ系であったため、スターリン政権下で生命の危機に直面したが、ショスタコーヴィチの奔走もあり、危機を脱して作曲家人生をまっとうした。他の3人も、音楽学者などとして、それぞれ立派な業績を残したようだ。
当コンサートは、各人各様の音楽やその生涯を掘り下げるには時間が足りなかった。残念ながら名前の紹介で終わったきらいがある。
演奏は、フルートのウルリケ・アントンがパワー溢れる演奏を聴かせた。わたしは日本人との体力のちがいを感じた。他に弦楽四重奏のプレシャス・カルテットとピアノの川﨑翔子が参加。いずれも好演だった。
(2017.3.20.石橋メモリアルホール)