Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

田中正造の直訴状

2014年06月16日 | 身辺雑記
 去る5月21日に天皇皇后両陛下は、栃木県の佐野市郷土博物館を訪れ、田中正造(1841‐1913)の直訴状をご覧になった。1901年(明治34年)、田中正造は明治天皇の馬車行列に駆け寄り、足尾銅山の鉱毒被害を訴える直訴状を差し出した。でも、すぐに取り押さえられた。それから113年たった。直訴状は天皇陛下の目に触れるところとなった。

 佐野市郷土博物館では「ふだんは防犯上の理由や劣化を防ぐため」(NHKニュース)に複製を展示しているが、両陛下のご訪問を機に、実物を展示した。展示期間は6月15日まで。

 ――以上の報道に接して、ぜひ実物を見たくなった。最終日の6月15日になったが、思い切って行ってみた。

 黄ばんだ巻紙に(もともとは美濃紙6枚に書いて半折にし、綴じられていたそうだが、今は表装されている)、几帳面な書体で書かれている。幸徳秋水(1871‐1911)が田中正造に頼まれて執筆した。田中正造による訂正箇所があり、訂正印が押してある。

 残念ながら、わたしには難解で、まったく読めなかった。家に帰ってあれこれ調べているうちに、読み下し文が見つかった(※)。この文章は名文といわれている。たしかにそうかもしれない。

 直訴事件の9年後には幸徳秋水が大逆事件で捕えられ、翌年処刑された。でも、幸徳秋水は事件の周辺にいた人物にすぎないという見方が今では一般的のようだ。何年か前に高知県の四万十市にある幸徳秋水のお墓に行った。その様子が目に浮かぶ。ひっそりとしたお墓だった。

 直訴事件に関連して、幸徳秋水の他に、石川啄木(1886‐1912)の名前も出てきた。当時、盛岡中学の3年生だった啄木は、その報道に接して、次のような短歌を詠んでいる。「夕川に葦は枯れたり血にまどふ民の叫びのなど悲しきや」。作中の‘葦は枯れたり’は鉱毒被害のことだろう。

 当日は、佐野市郷土博物館を訪れる前に、日光市足尾町の「足尾銅山観光」にも行ってみた。銅山の地下の坑道を歩くことができて実感がわいた。これは足尾銅山が江戸時代から明治、大正、昭和へと、いかに技術の近代化に努めたかをアピールする施設。一方、鉱害事件にはほとんど触れていない。天皇皇后両陛下は、トロッコ電車に乗ってすぐ近くの駅までいらっしゃったが、かつて煙害で禿山となった地を視察されただけで、この施設には立ち寄らなかったそうだ。

(※)直訴状の読み下し文
http://www.japanpen.or.jp/e-bungeikan/guest/essay/tanakasyozo.html

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