Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

松村禎三の室内楽

2008年08月20日 | 音楽
 作曲家の松村禎三が昨年8月6日に亡くなった。それから1年、松村の作品を演奏するための団体「アプサラス」が結成され、第1回演奏会がひらかれた。松村の音楽を‘自分の音楽’と感じてきた私にとっては嬉しいかぎりだ。曲目は以下のとおり。(3)と(4)は初めてきいた。
(1)アプサラスの庭(1971)
(2)ピアノ三重奏曲(1987)
(3)巡礼Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(2000)
(4)ヴィブラフォーンのために~三橋鷹女の俳句によせて~(2002)
(5)阿知女~ソプラノ、打楽器と11人の奏者のための~(1957)

 私がもっとも驚いたのは「ヴィブラフォーンのために」だった。最晩年の透明な音と自由な書法は、オスティナートによって特徴付けられる松村のイメージとは別物だった。ヴィブラフォーンの澄んだ音色で紡がれていくが、最後になって突如変調をきたし、一瞬の休みもない乱打に移る。その狂おしい音型から華やいだ艶やかさが立ちのぼってきたとき、私はたじろいだ。老いの艶やかさ‥。
 曲は3楽章で構成され、それぞれに三橋鷹女の俳句がつけられている。
Ⅰ「鴨翔たばわれ白髪の媼とならむ」
Ⅱ「老いながら椿となりて踊りけり」
Ⅲ「この樹登らば鬼女となるべし夕紅葉」
 乱打されるのはⅢである。ヴィブラフォーン独奏は吉原すみれ。髪を振り乱して乱打する姿は‘鬼女’にみえた。

 「ピアノ三重奏曲」は松村の特徴をよく表す。ピアノ、ヴァイオリン、チェロの各楽器から出る音は、肉体の最奥から出る。その音が松村の音だ。最後の部分のオスティナートによる陶酔的な生命の高揚は、松村の音楽の特徴だ。私にとっては「ピアノ三重奏曲」といえば、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスとつらなる系譜は別として、ラヴェルのそれと松村のこの曲をさす。
 嬉しい発見がひとつあった。ヴァイオリンをひいた千葉清加(ちばさやか)。2006年芸大卒という若い奏者だが、松村の音楽を自分のものにしている。こういう奏者が出てきたのだ。作品が作曲者の手をはなれ、一人で歩き始めるとは、こういうことをいうのだ。

 「阿知女」は松村のデビュー期を代表する曲だが、私はどうも好きになれない。青臭さを感じてしまうのだ。「そんなことは承知の上でなおこの曲に若き日の松村を見るのだ」と言われてしまえばそれまでだが、まだそこまで寛容になれない。この曲は世の中全体に青臭さがただよっていた50年代に深く根ざしていて、そこから独立できない気がする。
 「アプサラスの庭」と「巡礼Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」では、演奏に問題を感じた。
(2008.08.19、東京文化会館小ホール)

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