Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

飯守泰次郎&シティ・フィル

2011年06月08日 | 音楽
 飯守泰次郎さんが、東京シティ・フィル常任指揮者最後の年に、チャイコフスキーを集中して取り上げるのは意外だった。同フィルのホームページには、意気込みを語る飯守さんの動画がアップされ、6月3日にはレクチャーが開かれた。わたしは残念ながら参加できなかったが、いつも愛読している「Thunder’s音楽的日常」さん(左欄のブックマークに登録)にレポートが載っていて、当日の熱っぽさがよくわかった。

 昨日は第1回。プレトークを聞くことができた。ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」を例に引きながら、ロシアについて熱く語り、チャイコフスキーを通してロシアにどっぷり浸かりたいという趣旨だった。

 1曲目は交響曲第3番「ポーランド」。今まで聴いたこの曲の演奏のなかには、記憶に残っているものがあるが、それらを含めても、この日の演奏ほど本気になった演奏は聴いたことがない。熱い思いが湧き上がり、最後は堰を切ったように奔流した。それはもう稀に見る演奏だった。

 2曲目は交響曲第4番。演奏の基本は前曲と同じだが、この曲になるとチャイコフスキーの筆致が一段と流麗になるので、演奏にも豊かな色彩感と緩急の変化が出た。飯守さんは、ドイツ音楽を振るときは剛直な演奏スタイルだが、そのイメージを一新する演奏なので、目を見張った。

 飯守さんの本領は、ワーグナーやブルックナーにあると思っていたが、チャイコフスキーでこれほど共感のこもった演奏をするのが興味深かった。日本人の感性との距離を考えた場合、ゲルマン系と、ラテン系と、スラブ系では、どういう位置関係になるのだろうと思った。

 東京シティ・フィルの演奏は、「最近の在京オーケストラでこれほどやる気に満ちた演奏は聴いたことがない」と思うほどのものだった。これはほんの一例にすぎないが、たとえば第4番の第1楽章フィナーレで、最後の一音にむけて全オーケストラが転がり落ちる直前の一瞬は、ぞっとするほどの緊張感があった。

 第3番と第4番を続けて聴くと、第4番ではチャイコフスキーが自分のやりたいことをやれるようになった、ということがよくわかった。微妙なニュアンスに富み、語り口は滑らかになり、やりたいことをやるに当たり、もうなにも臆することはなくなった。あらためて聴いて、この曲では、第3楽章を除き、下降音型が絶えず滝のように流れ落ちることを感じた。
(2011.6.7.東京オペラシティ)

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