Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

沼尻竜典/N響

2021年11月15日 | 音楽
 N響の11月定期Aプロは、元々はファビオ・ルイージが振る予定だったが、入国後の待機期間を満たせないため、沼尻竜典に代わった。プログラムとソリストはそのまま。後述するが、プログラムにはめったに演奏されない曲がふくまれている。それを急遽振る沼尻竜典はたいしたものだ。話がそれるが、2000年9月の日本フィルの定期ではマルチェロ・ヴィオッティが来日中止になり、沼尻竜典に代わった。プログラムにプッチーニの「グロリア・ミサ」という珍しい曲がふくまれていた。沼尻竜典はそのまま振った。演奏会後にわたしが話した日本フィルの団員は、沼尻竜典の能力に感心していた。

 さてN響のAプロだが、1曲目はウェーバーの「魔弾の射手」序曲。この演奏にはなんの感想もわかなかった。というより、正直に白状すると、10月定期で聴いたブロムシュテット指揮の、とくにニルセンの交響曲第5番とグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番が浮かんできて、頭から離れなかった。あの透徹した音は特別なものだった。

 2曲目はリストのピアノ協奏曲第2番。ソリストは1983年、イタリアのヴェネチア生まれというアレッサンドロ・タヴェルナ。じつに鮮明な音をもつピアニストだ。プロフィールによると、イギリスの音楽評論家から「ミケランジェリの後継者」と評されたそうだ(どのような文脈かは不明)。たしかに独特な音色がある。

 アンコールに、だれのなんという曲かわからないが、ジャズ的な要素のある、おそろしくスリリングな曲が演奏された。N響のツイッターによると、フリードリヒ・グルダの「弾け、ピアノよ、弾け 練習曲―第6番」という曲らしい。グルダはこういう曲を書いていたのか。グルダを見直さなければならない。

 3曲目はフランツ・シュミット(1874‐1939)の交響曲第2番(1911‐1913)。ステージ上には大編成のオーケストラが並ぶ。たとえばホルンは9本(8本プラス補助1本)だ。その大オーケストラが豊麗な音を鳴らす。一種の過剰さがある。マーラーあたりから始まった過剰な響きが行きつくところまで行った感がある。

 全3楽章からなるその第2楽章は変奏曲だ。中間部に長大なワルツが出てくる。人工甘味料的な甘さのあるワルツだ。それが、これでもか、これでもかと繰り返される。わたしはその響きにフランツ・シュレーカー(1878‐1934)のオペラ「烙印を押された人々」(1915)を思い出した。ともに豊麗な響きのなかに耽溺する音楽だ。心地よくなくはないが(妙な言い方だが)、そこから出られないような、閉塞的な気分になる。シュミットもシュレーカーも同時代人だ。交響曲第2番も「烙印を押された人々」も一種の時代相だろう。そんな交響曲第2番の実演を聴けてよかった。
(2021.11.14.東京芸術劇場)

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