Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

広上淳一/日本フィル

2022年07月09日 | 音楽
 夜に日本フィルの定期演奏会を控えたその昼に、安倍元首相が銃撃されたというニュースが飛び込んだ。それ以来、時々刻々と入るニュースに釘付けになった。夕方には死亡が報じられた。容疑者は「特定の宗教団体」をあげ、その恨みからやったと供述しているらしい。「特定の宗教団体」がどこなのかは、もちろん気になるが、それ以上に、本件は政治テロではないことが重要だと思った。安倍元首相は政治信条に殉じたのではない。けっして故人を貶めるつもりでいうのではないが、つまらない亡くなり方をしたのだ。

 そんなことを思ったのは、その夜の日本フィルの定期演奏会で聴いたブルックナーの交響曲第7番(ハース版)の第2楽章で、だった。ワーグナーの逝去の報に接してブルックナーが書いた荘重な音楽。どうしてもそこに安倍元首相の逝去を重ねてしまいがちだが、それは短絡的・情緒的にすぎないのではないかと、思いとどまった。

 今後予想される安倍元首相の美化の動きに、わたし自身反応してしまう要素がある。だが、それはちがうのではないか。かりに政治信条に殉じたなら、その政治信条はわたしのとは異なるけれども、それはそれでひとつの生き方だろう。だが、本件は「特定の宗教団体」への恨みが原因だ。ブルックナーの荘重な音楽に送られるような亡くなり方とは隙間があるのだ。

 演奏はよかったと思う。息の長い呼吸感が終始保たれていた。広上淳一は60代に入ってこのような呼吸感を身に付けたのかと、感慨深かった。20代のころのがむしゃらな指揮姿が脳裏に焼き付いているわたしには、当時は想像もできなかった変貌ぶりだ。

 広上淳一は、中年になったころ、省エネ・スタイルの演奏に変わった。わたしはその演奏スタイルの変化に戸惑い、今後どうなるかと見守った。そしていまは、脱力感をベースに、充実した響きにも事欠かない演奏スタイルにたどりついたようだ。

 当夜の演奏では、第1楽章はむしろ音が軽めだったが(わたしはそのようなブルックナーも好きだが)、第2楽章以下ではずっしりした手ごたえのある音が鳴った。基調としての見通しのよい音響と、要所でのブルックナーらしい咆哮とが両立する演奏だった。

 話の順序が逆になったが、1曲目にはブルッフの「スコットランド幻想曲」が演奏された。ヴァイオリン独奏は米元響子だった。2階席後方のわたしには、独奏ヴァイオリンがオーケストラに埋もれ気味だった。よく聴くと、闊達な演奏なのだが、オーケストラから浮き上がってこなかった。ハープは日本フィルのハープ奏者・松井久子だった。これもわたしの席からはよく聴こえなかった。
(2022.7.8.サントリーホール)

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