Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

インバル/都響

2018年03月31日 | 音楽
 都響のB定期の日が、都合が悪くなったので、C定期に振り替えた。指揮はインバルで、プログラムはシューベルトの「未完成」交響曲とチャイコフスキーの「悲愴」交響曲というロ短調プロ。

 「未完成」、すばらしかった。滑らかな流れで、各声部の絡みも丁寧。木管、とくにオーボエとクラリネットが情感たっぷりに歌い、弦の音も澄んでいる。都響の技量の高さと、インバルの名匠ぶりがよく表れた演奏だった。

 オーボエの1番は広田智之さん、クラリネットの1番はサトーミチヨさん、第1ヴァイオリンは矢部達哉さんと四方恭子さんが並び、その他のパートも各首席奏者がずらりと顔を揃えて、都響としても万全の態勢で臨んだ演奏。

 インバルは暗譜で指揮。プロの指揮者なら誰でも「未完成」くらいは暗譜しているかもしれないが、それでもインバルがシューベルトを振るのは珍しいと思うので、そこになにか意気込みというか、そんな集中力と気合が感じられた。

 じつはわたしは、演奏前は少し心配していた。最近のインバルは、たしかにオーケストラの堅固な構築感は見事だが、どこか覚めたような、もっというと、どこか飽きてしまったような、そんなニヒルなものを感じることがあったから。2016年3月のバーンスタインの「カディッシュ」のような珍しい曲の場合は、そんなことはなかったが、長年振り続けてきた曲の場合は‥。だが、今回の「未完成」では、感性のみずみずしさが感じられたので、わたしはホッとした。

 「悲愴」では、インバルはスコアを置き、スコアをめくりながら指揮をした。なぜだろうと、おもしろかった。演奏機会が少ないことはないだろうが、一応念のため、か。もちろん、大編成のオーケストラ(16型)のドライヴ感は、いつものインバルだったが。

 「悲愴」は、インバルの特徴、あるいは音楽性がよく出た演奏だった。オーケストラが一つの有機体のように動き、音の濁りがなく、フレージングは明瞭、アクセントもはっきりしているが(そしてそれらの点がインバルの美質だが)、たとえば今回の「悲愴」でいうと、底が抜けたような暗さとか、身悶えするような焦燥とか、絶望とか、そういった切羽詰まった要素はなく、あえていえば、楽天性が拭えない。

 それがインバルの演奏の聴きやすさの要因かもしれないし、人気の要因もそこにあるのかもしれない。
(2018.3.30.東京芸術劇場)
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