Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

須賀敦子「ミラノ 霧の風景」

2018年03月12日 | 読書
 初めてミラノに行ったのはいつだったろうと思い、日記を繰ってみたら、1998年から99年にかけての年末年始だった。カレンダーにも恵まれて、少し長めの休暇を取り、イタリアに出かけた。コペンハーゲン経由でミラノに着いたときは、濃い霧だった。飛行機から降りてバスで空港ビルに向かったが、1メートル先の人物もボーッとシルエットになるくらいだった。

 その晩はミラノ中央駅のそばのホテルに泊まり、翌日、列車でフィレンツェに向かった。ミラノの街を出るか出ないかというとき、義母が「あらっ」と声を上げた。何だろうと思って車窓を見ると、一面の霧氷だった。まるでガラス細工の世界。昨晩の霧が霧氷になったようだ。わたしたちは歓声をあげた。

 その後、何度かミラノに行ったが、今でもミラノというと想い出すのは、あのときの濃い霧と霧氷。それももう20年前になるのかと、今更ながら驚く。義母は83歳だった。お元気だったと、これまた驚く。

 ミラノは霧が名物らしいと知ったのは、今回、須賀敦子の「ミラノ 霧の風景」を読んだので。本書には12編のエッセイが収められているが、その最初の「遠い霧の匂い」を読んだとき、初めてミラノに着いたときの濃い霧がまざまざと目に浮かんだ。

 「ミラノ 霧の風景」は1991年に刊行された。須賀敦子の第一作。当時ずいぶん話題になったような気がするが、わたしは仕事が忙しくて、文学そのものから遠ざかっていた。

 今回、それを読んだのは、昨年9月から始めた友人S君との読書会で、次回のテーマとして、S君が須賀敦子の「地図のない道」を選んだから。須賀敦子の著作を一つも読んだことのないわたしは、まず「ミラノ 霧の風景」から読んでみようと思った。

 名文だと思った。どんな名文かというと、快い緊張感と滑らかな語り口といったらよいか。第一作とはいえ、須賀敦子がこれらのエッセイを書いたのは60歳の頃(単行本の刊行は61歳の時)。それまでにイタリア語の翻訳経験を積んでいるので、文章が磨かれていたのかもしれない。

 亡夫ペッピーノ(1961年に結婚、1967年に急逝)をはじめ、イタリアで暮らした13年間に出会った人々の想い出、あるいはむしろ(それらの人々の多くが亡くなっているので)追憶が、全篇に流れていることが特徴だ。そこに本書の味わいがある。巻末で本書が「いまは霧の向うの世界に行ってしまった友人たち」に捧げられている所以だ。
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