Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

須賀敦子「地図のない道」

2018年03月24日 | 読書
 3月の読書会のテーマとして友人が選んだ須賀敦子(1929‐1998)の遺作「地図のない道」を読んだ。友人が本書を選んだ理由はすぐ分かった。前回の読書会でわたしの提案したプリーモ・レーヴィ(1919‐1987)の「これが人間か―アウシュヴィッツは終わらない―」(1947)を取り上げたので、“イタリアのユダヤ人”つながりのためだ。

 「地図のない道」は、「その一 ゲットの広場」、「その二 橋」そして「その三 島」の3章からなっている。各章はさらに3~5節に分かれている。たとえば「その一 ゲットの広場」は3節に分かれ、各節はそれぞれ異なる話になっている。そして各節共通のテーマとして、ユダヤ人の悲劇がある。

 「その二 橋」は少し屈折している。第1節はヴェネツィアのユダヤ人の話だが、第2節ではヴェネツィアの橋の話になり、“橋”つながりで第3節は大阪の話になって祖母の回想に移行し、第4節では祖母の想い出を辿って著者が大阪の街を行く話になる。

 「その三 島」も話をスライドさせながら、夫を亡くした頃の傷心の日々や、それから25年たった今、当時を思い返しながらヴェネツィア沖にいる自身の姿を描く。

 話はそれるが、本書には「ザッテレの河岸にて」というエッセイも収められている。「ザッテレ‥」は「とんぼの本」シリーズの「ヴェネツィア案内」のために書かれたもので、「地図のない道」とはヴェネツィアという共通項がある。一方、「地図のない道」がユダヤ人の悲劇を通奏低音にしているのに対して、「ザッテレ‥」はヴェネツィアに多くいた娼婦の悲劇を通奏低音にしている。

 ユダヤ人、娼婦、ともに社会的に弱い立場の人々、その人々へ想いを寄せるところが須賀敦子らしい。「ミラノ 霧の風景」(1990)から始まったイタリア生活の回想が(そして付け加えれば、須賀敦子の人生の出来事が)、夕日に染まるように、それらの弱い立場の人々への想いで染まっていく。

 詳細は省くが、「ザッテレ‥」の関連で生物学者の福岡伸一氏の「世界は分けてもわからない」(講談社現代新書)を拾い読みした。そこにはこう書いてあった、「私が好きなのは『地図のない道』と題された彼女の最後の本である。」。

 その理由の説明はなかった。わたしはむしろ、今まで読んだ範囲では、「ヴェネツィアの宿」が一押しで、著者が加筆・訂正中だった「地図のない道」には、もう一歩、文章の引き締めがほしい気がする。でも、だからこそ、著者の地の声が聞こえる面もあるかもしれない。
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