Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

松平敬バリトン・リサイタル

2015年12月15日 | 音楽
 松平敬のリサイタル。手応え十分だ。取り上げられた作曲家は13人。煩瑣になるかもしれないが、いかに多彩な顔ぶれであったかを伝えるために、演奏順にその名前を列挙すると――

 シューベルト、ストラヴィンスキー、ヴァレーズ、ベルク、高橋悠治、マーラー、アブリンガー(1959年オーストリア生まれ)、湯浅譲二、山根明季子、リゲティ、クルターグ、西村朗そしてアンコールに武満徹。

 これだけの作曲家を歌い分けること自体、驚くやら、感心するやら。技術はもちろんのこと、緊張感の持続や、1曲1曲への目的意識の高さがあってこそ、だ。

 順番に感想を記しても冗長になると思うので、いくつかの曲をピックアップして書くと、まずヴァレーズの「巨大な黒き眠りが」(1906年)。ヴァレーズにこんな曲があるのかと思うくらい、深い情感にみちた曲だ。印象主義の音楽、あえていえばドビュッシーと同じ地平線上にある曲だ。

 それもそのはず、というか、これはヴァレーズの最初期の作品だ。ヴァレーズは音楽史上一、二を争う革命児だが、「アメリカ」(1920年)よりも前の作品は破棄してしまったので現存しない。ところが、どういう経緯か、この「巨大な黒き眠りが」だけは残った。こんなにいい曲なら、他の曲も聴いてみたかったと思う。

 クルターグの「3つの古い銘」(1986‐87年)は、いかにもクルターグらしく、凝縮された中身の曲だ。緩‐急‐緩の3曲から成る。松平敬の気迫のこもった歌に圧倒されたが、中川俊郎の、これまた気迫のこもったピアノにも圧倒された。2人の気迫を引き出すクルターグの曲も圧倒的だ。

 西村朗の新作「猫町」(2015年)は、歌曲の枠をはみ出してモノ・オペラに近づいた曲だ。ものすごく面白い。どう面白かったかは、今後この曲を聴く方のために、具体的には書かないでおくが――。一言だけいうと、ロッシーニの某曲のパロディらしきものも登場する。

 アンコールに武満徹の「三月のうた」が歌われた。胸にジーンとくるメロディ。西村朗の「猫町」や、その少し前の山根明季子の「水玉コレクションNo.02」(2007年)のぶっとんだ新鮮さに比べると、語弊があるかもしれないが、‘昭和’を感じた。‘昭和’を感じたことが、自分でも意外だった。俺はこういう時代を生きてきたんだなと――。懐かしかった。年末に相応しかった。
(2015.12.14.東京オペラシティ・リサイタルホール)
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