Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

OPUS/作品

2013年09月20日 | 演劇
 新国立劇場の演劇「OPUS/作品」。ある弦楽四重奏団の話。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131が使われているというので、興味を惹かれた。この曲は本年7月に公開された映画「25年目の弦楽四重奏」(今でも各地で上映中だ。)でも使われている。ともに最近のアメリカ作品。同じ曲が使われていることは、偶然だろうか。それともなにか関連があるのだろうか。

 もっとも、映画と演劇では、使い方にちがいがあった。映画ではこの曲が終始流れ、いわば影の主役のような存在だった。他のどの曲でもなく、この曲でなければ、この映画は成り立たないくらいの重みがあった。一方、演劇では断片的に使われているにすぎなかった。他の曲でも取り換え可能だと思われた。

 ともに弦楽四重奏団の人間関係を描いた作品だが、映画のほうはベートーヴェンのこの曲へのオマージュの性格があるのにたいして、演劇のほうは純粋にエンタテインメントに徹した作品だった。

 そう割り切ってしまえば、これは面白い作品だった。弦楽四重奏団の4人および首になったヴィオラ奏者1人の人間模様というか、それぞれの人生が、重層的に浮かび上がってくる面白さがあった。フラッシュバック的に過去の出来事が積み重なり、次第に全体像が形成される作りだった。

 大詰めで、ある出来事が起きる――それは弦楽四重奏団でなくとも、会社の取締役会とか、もっと身近な例では、町内会やPTAでも起こり得る出来事だ――。その出来事が起きたときの各人各様の反応。今、思い返すと、だれに共感するかによって、観る人それぞれの人生観が表れるような気がする――ちなみにわたしの場合は、第1ヴァイオリン奏者だった――。

 その大詰めの過程でハプニングが起きる。それにはひっかかった。いくら激情に駆られたからといって、演奏家たるもの、ほんとうにそんなことをするだろうか、と。昔、夫婦喧嘩をすると、お茶碗を投げたり、庭に叩きつけたりした。でも、そんなときでも、高級なお茶碗は避けていた――。

 第1ヴァイオリン奏者(段田安則)と首になったヴィオラ奏者(加藤虎之介)はゲイの関係。でも、うまくいかなくなる。そのときの焦燥感がよく出ていた。第2ヴァイオリン奏者(相馬一之)は女好き。だが、その感じは今一つだった。

 演出は小川絵梨子。まだ30代の若い演出家。これを縁に気にかけていたい。
(2013.9.19.新国立劇場小劇場)
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