Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

カンブルラン/読響

2013年09月04日 | 音楽
 カンブルラン指揮の読響の定期。1曲目はブリテンの「ラクリメ」。独奏ヴィオラと弦楽合奏のための曲だ。独奏ヴィオラは読響ソロ・ヴィオラ奏者の鈴木康浩。独奏ヴィオラと弦楽合奏が渾然一体となった演奏。演奏の隅々までカンブルランの意思が徹底されていた。その意思を実現する読響もさすがだ。

 2曲目は同じくブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」。いうまでもないが、今年はブリテンの生誕100年なので、1曲目ともどもそれを記念する選曲だ。演奏は今までのこの曲のイメージというか、この曲の演奏の想定レベルを超える演奏だった。細かなニュアンス、リズム処理そして音色の変化など、驚きに満ちていた。

 以上はブリテン生誕100年記念なのだが、事前に読響のホームページを見たら、カンブルランにはもう一つ別の意図があることを知った。カンブルランによると、1941年のこの日(9月3日)、アウシュヴィッツで初めての大量処刑がおこなわれたそうだ。この演奏会はその犠牲者に捧げられる側面もあった。

 そのことを知っていたためか、「シンフォニア・ダ・レクイエム」の第1楽章は、起きてはならないことが起こってしまった現実への慟哭のように聴こえた。また第3楽章はその犠牲者への祈りのように聴こえた。

 3曲目はウストヴォーリスカヤの「コンポジション第2番〈怒りの日〉」。わたしにもウストヴォーリスカヤを聴く日がついに訪れたと思った。初めてのウストヴォーリスカヤ体験が、こんなに優れた演奏であったことを感謝した。

 この日のために、可能な範囲で、ウストヴォーリスカヤのことを調べてみた。でも、本はおろか、インターネットでも入手できる情報はわずかだった。また、数枚のCDも聴いてみた。それらの結果、ウストヴォーリスカヤについて語られていることは、ひじょうに大雑把であることがわかった。今後の研究が俟たれる人だ。

 最後はストラヴィンスキーの「詩編交響曲」。合唱は新国立劇場合唱団。オーケストラも合唱も緊張していたと思う。どこかもう少し自由さがほしかった――と、素人の気楽な言い分で申し訳ないが――。でも、実に美しい演奏だった。それはまちがいない。オーケストラの特殊編成に由来する欠落感を感じなかった。

 この曲が最後に来る理由は、アウシュヴィッツの文脈で初めて十分に理解された。第3楽章はその犠牲者への鎮魂の祈りだった。
(2013.9.3.サントリーホール)
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ジャズ、エレキ、そして古稀

2013年09月04日 | 音楽
 サントリーのサマーフェスティバル。今年からプロデューサー制が導入され、初年度の今年は池辺晋一郎がその任に就いた。同氏は4つの演奏会をプロデュースするが、一昨日はその第一弾「ジャズ、エレキ、そして古稀」があった。

 1曲目はロルフ・リーバーマン(1910‐1999)の「ジャズバンドと管弦楽のための協奏曲」(1954)。どこかで名前だけは見たことのある曲。まさか生で聴く機会が訪れるとは思っていなかった。戦後、アメリカ文化が世界を席巻した時期に生まれた曲だ。正直にいって、今聴くと、少し古びた感じがするのではないかと思っていた。

 ところが、面白かった。古びた感じはしなかった。今でも、たとえば夏の野外演奏会などでは受けるのではないかと思った。オーケストラとビッグバンドが交互に演奏する合奏協奏曲のような作りだ。最後の「マンボ」では渾然一体となる。そのノリのよさはなかなかのものだ。

 指揮は杉山洋一。去年の同フェスティバルではフランコ・ドナトーニの快演を聴かせてくれた。また同年1月には都響の定期でブーレーズの、これまた目の覚めるような快演を聴かせてくれた。オーケストラは都響。ジャズバンドは角田健一ビッグバンド。

 2曲目は野平一郎の「エレクトリックギターと管弦楽のための協奏曲《炎の弦》」(1990/2002)。《炎の弦》という副題にカリカチュア的なものを感じたが、実際には生真面目な、《炎の弦》を地で行くものだった。もっとも、ガチャガチャとエレキギターをかき鳴らす部分よりも、電気的に音をデフォルメする部分のほうが、わたしには面白かった。エレキギター独奏は鈴木大介。

 最後は、池辺晋一郎の古稀を祝う、そして併せてストラヴィンスキーの「春の祭典」100年を祝う、7人の作曲家の新作が披露された(各人3分以内)。7人は小出雅子、西村朗、猿谷紀郎、権代敦彦、野平一郎、新実徳英、池辺晋一郎(ご本人も入っている。)。

 もちろんこれが一番面白かった。7人の競作という機会に臨むと、だれしもオチを付けたいと思うようだ。主に使われるオチは声。オーケストラに歌を歌わせたり、指揮者に掛け声を出させたり。なので、逆にオチを付けない曲のほうが新鮮に感じられた。

 「春の祭典」の引用そしてデフォルメがもっとも大胆なのは野平一郎の曲だった。わたし個人としては、権代敦彦の曲に一番惹かれた。
(2013.9.2.サントリーホール)
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