Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

佐村河内守:交響曲第1番

2010年04月05日 | 音楽
 HMVのサイトに許光俊さんがエッセイを載せていて、私はときどき読んでいるが、最近のエッセイに佐村河内守(さむらごうち・まもる)という人の交響曲第1番の演奏会が紹介されていた。そこにはリンクが張られていて、佐村河内さんの半生をつづった自叙伝「交響曲第1番」(2007年、講談社刊)の紹介記事に飛んでいた。その内容は驚くべきものだった。私は一気にひきつけられ、演奏会をきいてみたいと思った。

 事前に自叙伝を読んでみた。なんという内容だろう。私は何度となく呆然として本を閉じ、嗚咽をこらえた。
 佐村河内さんは1963年生まれ。両親は広島で被爆しているので、被爆2世になる。それが影響しているのかどうか、若いころから偏頭痛や聴覚障害に悩まされ、その他の症状も加わって、今では両耳とも全聾、さらには精神的な苦しみも抱えているとのこと。
 音楽の勉強は4歳のときから母親に習っていたピアノが主体で、作曲は独学。高校を出た後は、音楽大学に行くのを拒み、アルバイト生活を続けて、一時期はホームレスになったこともあるらしい。縁あって映画やゲームの音楽を担当して注目されたとのこと。

 そういう人の書いた音楽がこの交響曲第1番。ピアノに頼ることができないので、自らの絶対音感によって書かれた曲だ。フル編成の大交響曲。全3楽章から成るが、第2楽章は省略された。指揮は大友直人、オーケストラは東京交響楽団。同オーケストラの「東京芸術劇場シリーズ」の一環だった。

 第1楽章は悲しみをたたえた息の長い旋律が延々と続く。第3楽章は暴力的かつ破壊的な音響がいやというほど続くが、最後に思いがけなく晴れ間が広がるように、救済的なテーマが出てくる。そのテーマは幾分通俗的かもしれないが、私は感動した。
 あえていうなら、この音楽はマーラー、ベルク、ショスタコーヴィチの延長線上にあると感じた。これらの3人の高度なプロフェショナリズムには及ばないが、自分の思いを込めようという、ひじょうに強い思い入れがある。その思い入れは今の私たちの尺度には納まりきらない面があるが、それだからこそ、なにかひじょうに気になるものがある。

 第1楽章と第3楽章だけで約40分。全曲通すと約70分だそうだ。第2楽章は約30分かかる計算になるが、どんな楽章なのだろう。おそらく、全曲通してきくと、ガラッと変わった印象になるのではないだろうか。

 演奏が終わって、場内には盛んな拍手とブラボーが飛び交った。しかし佐村河内さんにはその音は届いていない。それどころか、ボイラー室にいるような轟音が、常に頭のなかに鳴り渡っているのだという。
(2010.4.4.東京芸術劇場)
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする