HMVのサイトに許光俊さんがエッセイを載せていて、私はときどき読んでいるが、最近のエッセイに佐村河内守(さむらごうち・まもる)という人の交響曲第1番の演奏会が紹介されていた。そこにはリンクが張られていて、佐村河内さんの半生をつづった自叙伝「交響曲第1番」(2007年、講談社刊)の紹介記事に飛んでいた。その内容は驚くべきものだった。私は一気にひきつけられ、演奏会をきいてみたいと思った。
事前に自叙伝を読んでみた。なんという内容だろう。私は何度となく呆然として本を閉じ、嗚咽をこらえた。
佐村河内さんは1963年生まれ。両親は広島で被爆しているので、被爆2世になる。それが影響しているのかどうか、若いころから偏頭痛や聴覚障害に悩まされ、その他の症状も加わって、今では両耳とも全聾、さらには精神的な苦しみも抱えているとのこと。
音楽の勉強は4歳のときから母親に習っていたピアノが主体で、作曲は独学。高校を出た後は、音楽大学に行くのを拒み、アルバイト生活を続けて、一時期はホームレスになったこともあるらしい。縁あって映画やゲームの音楽を担当して注目されたとのこと。
そういう人の書いた音楽がこの交響曲第1番。ピアノに頼ることができないので、自らの絶対音感によって書かれた曲だ。フル編成の大交響曲。全3楽章から成るが、第2楽章は省略された。指揮は大友直人、オーケストラは東京交響楽団。同オーケストラの「東京芸術劇場シリーズ」の一環だった。
第1楽章は悲しみをたたえた息の長い旋律が延々と続く。第3楽章は暴力的かつ破壊的な音響がいやというほど続くが、最後に思いがけなく晴れ間が広がるように、救済的なテーマが出てくる。そのテーマは幾分通俗的かもしれないが、私は感動した。
あえていうなら、この音楽はマーラー、ベルク、ショスタコーヴィチの延長線上にあると感じた。これらの3人の高度なプロフェショナリズムには及ばないが、自分の思いを込めようという、ひじょうに強い思い入れがある。その思い入れは今の私たちの尺度には納まりきらない面があるが、それだからこそ、なにかひじょうに気になるものがある。
第1楽章と第3楽章だけで約40分。全曲通すと約70分だそうだ。第2楽章は約30分かかる計算になるが、どんな楽章なのだろう。おそらく、全曲通してきくと、ガラッと変わった印象になるのではないだろうか。
演奏が終わって、場内には盛んな拍手とブラボーが飛び交った。しかし佐村河内さんにはその音は届いていない。それどころか、ボイラー室にいるような轟音が、常に頭のなかに鳴り渡っているのだという。
(2010.4.4.東京芸術劇場)
事前に自叙伝を読んでみた。なんという内容だろう。私は何度となく呆然として本を閉じ、嗚咽をこらえた。
佐村河内さんは1963年生まれ。両親は広島で被爆しているので、被爆2世になる。それが影響しているのかどうか、若いころから偏頭痛や聴覚障害に悩まされ、その他の症状も加わって、今では両耳とも全聾、さらには精神的な苦しみも抱えているとのこと。
音楽の勉強は4歳のときから母親に習っていたピアノが主体で、作曲は独学。高校を出た後は、音楽大学に行くのを拒み、アルバイト生活を続けて、一時期はホームレスになったこともあるらしい。縁あって映画やゲームの音楽を担当して注目されたとのこと。
そういう人の書いた音楽がこの交響曲第1番。ピアノに頼ることができないので、自らの絶対音感によって書かれた曲だ。フル編成の大交響曲。全3楽章から成るが、第2楽章は省略された。指揮は大友直人、オーケストラは東京交響楽団。同オーケストラの「東京芸術劇場シリーズ」の一環だった。
第1楽章は悲しみをたたえた息の長い旋律が延々と続く。第3楽章は暴力的かつ破壊的な音響がいやというほど続くが、最後に思いがけなく晴れ間が広がるように、救済的なテーマが出てくる。そのテーマは幾分通俗的かもしれないが、私は感動した。
あえていうなら、この音楽はマーラー、ベルク、ショスタコーヴィチの延長線上にあると感じた。これらの3人の高度なプロフェショナリズムには及ばないが、自分の思いを込めようという、ひじょうに強い思い入れがある。その思い入れは今の私たちの尺度には納まりきらない面があるが、それだからこそ、なにかひじょうに気になるものがある。
第1楽章と第3楽章だけで約40分。全曲通すと約70分だそうだ。第2楽章は約30分かかる計算になるが、どんな楽章なのだろう。おそらく、全曲通してきくと、ガラッと変わった印象になるのではないだろうか。
演奏が終わって、場内には盛んな拍手とブラボーが飛び交った。しかし佐村河内さんにはその音は届いていない。それどころか、ボイラー室にいるような轟音が、常に頭のなかに鳴り渡っているのだという。
(2010.4.4.東京芸術劇場)
音大作曲科卒の作曲家志願の漏れだが、はっきり言って長大楽曲の構成はまず無理wしかも実際は70分を越えるとか・・・・・
調性感も独自、オーケストレーションも白眉、とにかく筆がたつ!
テーマも自身の血であり、内実も完璧ともなってる。
ほんで、そんな化け物みたくスゲー作曲家がツ○ボときた。
佐村河内守・・・
コレ、世界のクラシック音楽史、塗り替えちゃう人登場じゃね!
同世代人が書いたこういう凄い大作をずっと待っていました。
東響会員の僕が、佐村河内守の自伝を読んだのは何と演奏会の3日前。
吉松隆のブログ(1/14)で、佐村河内守の著書、YouTubeの紹介と共に『傑作・・・日本人離れしたセンス・・・日本人が書いた最高の交響曲』など大絶賛されていた。残念ながらYouTubeは既に削除されており肝心の交響曲第一番を聴くことは叶わなかった。私はせめて自伝を読み事前情報を仕入れておく気になった。
さてその音楽を聴いての率直な感想。
ズバリ『同世代人の書いたこういう音楽をずっと待っていた』だった。
僕も音大出の端くれだが、作るのは現代音楽。音大作曲科を出た以上、師の音楽(いわゆる現代音楽)から大きくはみ出して書くことは許されないという暗黙の掟がある。
聴くのは後期ロマン派が好きときている。しかし洒落にでもロマン派的な大作を書こうとトライしてみたことはあったものの、現音アカデミー畑で育った僕には機能調性の複雑かつ緻密なオーケストレーションなど出来る訳もなかった・・・・まず我々現代音楽作曲家には、長大な作品を構築することが絶対的に不可能だと思い知らされた。
やはり聴いて楽しむしか無いと痛感・・・しかし演奏会好きな僕にとって後期ロマン派のレパートリーはあまりに少なく感じてしまい。毎度同じ曲、といった感じでせめて指揮者の解釈の違いを楽しむ程度。
そこにきて、降って湧いたように目の前に凄い才能を持った人間の新作が現れたのだ。
全体はテーマがテーマだけに暗いのだが、僕は冒頭から最後まで完全に魔法にかかったように心を奪われ続けていた。
息の長い二つの主題が時折不協和音を交えながら凄まじい展開部を繰り広げていく。
全てオーケストレーションを変えているので、似て聞こえるフレーズにも一切繰り返しは無かった。
主題労作の見事さときたらベートーヴェンの上をいく。
音だけでこれだけ物語れる作曲家が現在世界にどれだけいるだろう。原爆の絶対悪も悲劇も悲しみや怒りも見事に物語り、〔絶対悪〕に対して、非暴力という力〔祈り〕で闘っていくという凄絶な展開もありありと伝わってきた。
なにより白眉としか言いようのない後期ロマン派的オーケストレーションに驚かされ、やはり決定打は3管編成80分にも及ぶ超大作に於いての構築構成力だった。
ラストの神聖を極めたコラール(7~8分)は、交響曲史上断トツの長さを誇る。そこでも技師的(才能的)な面で後に驚嘆することとなった。僕を含めだが、あの長い長いコラールで本気で泣いていた。
僕が驚いたのは、あれほど長いコラールを飽きさせるどころかグイグイ心に迫り来る旋律とアンサンブルを書いた作曲家の才能だった。
とにもかくにも、個人的としてでも4/4はとてつもない襲撃体験をした忘れられない一日となりました。
長文すみませんm(__)mスルーして下さい。
あんなスンゴイ曲とは思いませんでした。
佐村河内守はネ申です。
CD出ないのavexでもなんでもいいからタノム!!!!!
皆様のように専門的にとか論理的にとかぜんぜん話せず恥ずかしいです。
自分の感想ですが、ただ訳もわからず涙が止まらなかった。理由は上手く説明できません、ただ、音だけであんなに感動したのは初めてでした。
これは世界的に演奏されるような曲だな、と普通に思いました。
アホな感想すみません(^-^;
3管編成にHr8本・・・・
こんな大作を書ける現代の作曲家がいたことに皆仰天&涙してた。
ありえない(^-^;
称賛の嵐は本当だったんですね。
地鳴りのような拍手・・・・と記事にありました。
やっぱり凄い曲だったんだろうな、、、、京都行くかな。
まさに闇の天才・・・
回復をお祈りしています。