Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

スクロヴァチェフスキ常任指揮者退任公演

2010年03月28日 | 音楽
 3月の読売日響の演奏会は、スクロヴァチェフスキの常任指揮者退任公演となった。その最後の公演は定期演奏会。曲目はブルックナーの交響曲第8番。稿こそちがえ、前日にインバル指揮の都響で同じ曲をきいたばかりなので、どうしても比較してしまう。その演奏のなんとちがうことか。第1楽章冒頭の低弦による第1主題の提示からして、インバルの鋭角的なアクセントとは異なって、小声でそっと呟くようだ。その後の展開も、すべてがあからさまにされるインバルとはちがって、陰に隠されたものをもつ演奏。

 第2楽章の第1主題も、インバルの決然とした表情の演奏とは異なって、穏やかで伸びのある演奏。
 第3楽章は深く沈潜した演奏。私はここにきて、眼を閉じてきくようになった。きこえてくるものは――比喩的な表現になってしまうが――原初の孤独としかいいようのないものだった。宇宙のなかの孤独な存在としての人間。おそらくは人間のDNAのなかに組み込まれているであろう、究極の孤独感を感じた。
 そして第4楽章。第3楽章もそうだったが、概してテンポが速めのスクロヴァチェフスキのブルックナーにしては珍しく、やや遅めのテンポでじっくり運んでいった。オーケストラを煽らず、すべての音を慈しんでいるような演奏。私にはスクロヴァチェフスキがオーケストラとの別れを惜しんでいるように感じられた。

 演奏が終わると、会場は静寂に包まれた。その静寂を破るように、スクロヴァチェフスキが勢いよく指揮棒をおろすと、大きな拍手が沸き起こった。何度となくステージに呼び戻されるスクロヴァチェフスキ。オーケストラからは大きな花束が贈られた。花は桜のようだった。淡いピンク色がステージを彩った。
 楽員がひきあげても、スクロヴァチェフスキは2度もステージに呼び戻されていた。

 思えばこの3年間、私たちは幸せな日々を送ってきた。1923年10月生まれのスクロヴァチェフスキが、83歳から86歳までの大事な日々を、私たちとともに過ごしてくれた。ブルックナーの初期交響曲の数々、ショスタコーヴィチの交響曲第11番の名演、命のかぎりを燃焼させたベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の壮絶な演奏。

 プログラム誌に正指揮者の下野竜也さんが一文を寄せていた。そこには次のようなくだりがあった。「指揮者が指揮台に立つ時に、隠しようの無いもの。つまり、その人格、その人の背景、音楽への敬意、知識、経験などが、その指揮者から醸し出されて、その人そのものが鳴っているような感覚」があり、スクロヴァチェフスキは「どれをとっても超一流」だったとのこと。
 ほんとうにそのとおりだと思う。それを感じることができた私たちは幸せだ。
(2010.3.26.サントリーホール)
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