Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ブルックナー交響曲第8番(初稿)

2010年03月26日 | 音楽
 都響の3月定期はプリンシパル・コンダクターのインバルの指揮。昨日はAシリーズの定期があった。曲目はブルックナーの交響曲第8番。インバルは昔から初稿を演奏しているが、この日も初稿による演奏。実は私は初稿をきくのは初めて。シモーネ・ヤングの評判のCDもきいたことがない。私としては念願の初稿初体験だった。

 初稿と改訂稿とのちがいはいまさらいうまでもないだろうが、念のためにプログラム・ノートから「特に目立った改変点」を引用しておくと、次のとおり。
(1)初稿→改訂稿「第1楽章最後の輝かしいfffによる終結部のカット」
(2)同「第2楽章のトリオの差し替え」
(3)同「第3楽章における調構成の変更」

 以上の3点は私もどこかで目にしたことがあり、記憶に残っていたが、実際に演奏をきいてみると、改訂稿とはまったくちがう曲だと思った。
 ざっくりいうと、曲のあちこちに、今まできいたことのない楽句がはさみ込まれていて、それらの構成体としての全曲を通した聴後感は、ドキッとするくらい異なる。

 また、インバルがことさらに強調していたのかもしれないが、弦、木管、金管が今まできいたことのない動きをしていて、それらを追うのも忙しかった。そのもっともショッキングで、あからさまなちがいは、第3楽章アダージョのクライマックスでシンバルが何度も(!)打ち鳴らされること。私は、正直にいうと、なにかの冗談かと思った。

 結局のところ、初稿の演奏価値がどのくらいあるのか、私にはつかみかねた。興行的な計算があるのは事実だろうが――もっと品よくいえば、聴衆の興味に応える意味は十分に理解できるが――、音楽的にはどうなのだろう。
 もっとも、昨日の演奏をきいただけで、結論めいた感想をもってしまうのは時期尚早だと思う。例のシモーネ・ヤングのCDをきけば、また異なる感想をもつかもしれない。その意味では、昨日の演奏は今後の興味のきっかけになってくれた――そう考えて、感謝すべきだろう。

 インバルのブルックナーは、昨年11月の第5番もきいたが、基本的にはそのときの印象と変わらなかった。鋭角的なアクセントをもち、弦も木管も金管も渾身の力をこめて音を絞りだす演奏。マーラーではあれほど色彩感にこだわり、総体としての音響を磨きぬくインバルだが、ブルックナーではまったく異なるアプローチをする。私はマーラーでは感心し、ブルックナーでは苦手意識をもってしまう。
(2010.3.25.東京文化会館)
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