Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

2010年03月08日 | 演劇
 別役実(べつやくみのる)25歳のときの作品「象」の公演。1962年(昭和37年)の初演で、原爆被爆者の苦しみがそのテーマ。私はまだ小学生だったが、当時の記憶では、そのころの社会にはまだ戦後の名残があちこちに感じられた。一方、これは偶然だが、その年にキューバ危機が起きたように、核戦争の可能性が現実味をおびていた。
 そのような時代に初演された作品が、今の私たちにはどう見えるのか――今もなお当時のリアリティを失っていないか――、それが私の関心事だった。

 結果として、私のかすかな懸念は杞憂だった。この作品はそのままストレートに上演されて今なおリアリティを失っていなかった。

 背中一杯にケロイドを負って入院中の「病人」と、その甥でやはり被爆者の「男」を通して、被爆者の苦しみが描かれる。かれらをみている私たちは、その苦しみを自分のものとして感じることができるだろうかと自問する。残念ながら、できない。その心苦しさの中に芝居のリアリティがある。

 具体的にいうと――これからご覧になるかたのために、前後のコンテクストは控えるが――「病人」が客席に向かって「皆さん、拍手をしてください。お願いします」と繰り返す場面がある。客席の私たちは、拍手などできる場面ではないので、静まりかえって凝視する。そこに生まれる緊迫した空間にこそ、芝居のリアリティが担保されていると感じた。同様のことは、最後に「男」が客席に向かって「なぜ拍手をしないのですか」と問う場面でも感じた。

 ディテールになるが、強く印象に残った場面が2つ。ひとつは見知らぬ者どうしの通行人1と通行人2が、何の意味もなく言いあいになり、1が2を殺してしまう場面。これなどは現代のどこにでもありそうなリスクだと思った。

 もうひとつは「病人」の妻が「病人」をおいて実家に帰ろうとする場面。ほんとうは妻に去らないでほしい「病人」だが、最後はあきらめて妻にマフラーをかけ、帽子をかぶせてやる。私の胸には熱いものがこみ上げてきた。妻を演じている神野三鈴(かんのみすず)も同じだったのではないか。

 「病人」を演じたのは大杉漣(おおすぎれん)。圧倒的な存在感だった。
 「男」を演じたのは稲垣吾郎(いながきごろう)。私はテレビをみないのでよく知らなかったが、人気グループSMAPのメンバーとのこと。「病人」と対峙するというよりも、「病人」と現代とのあいだを橋渡しする役割を果たしていた。

 舞台美術は池田ともゆき。床一面に古着をしきつめたその舞台は、原爆の被災者のようでもあり、また「病人」と同じように後遺症に苦しむ人々のようでもあった。
(2010.3.5.新国立劇場小劇場)
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