花王の株が11時現在で5%の暴落。日経の平均より4%も悪い、明らかな売り銘柄となっています。何が投資家を落胆させたんでしょう(棒)。不買はやはり効果満点です。ちなみに、現在の不買人口は最低でも200万人を超えていると思います。購買に関わる年齢層の女性は4000万人ですから、昨日の分析の5%と一致しています。
昨日の市況の掲示板で、分かりやすい分析がありました。キャプチャーして紹介します。
右側が切れているので右クリックで画像を表示
この中で、在庫が26.5%、原材料の貯蔵が21.1%増えています。在庫が増えたので生産が滞り、原材料がだぶついていると分析されています。これから見ると、現在は5%程度の落ち込みがすぐに20%~25%へと拡大すると予想されます。その場合の不買人口は最大1000万人を超えます。というか、実質的に今現在で1000万人を超えているのでしょう。花王は大変なことになりますよ。
ところで、白亜のマルスが掲載された『美術手帖』が届きました。見開きの二面を使った新宿美術学院の広告に、懐かしいマルスの石膏デッサンが使われています。ちゃんと一番とあるでしょう。この年の新美の油絵科は、芸大の過半数を独占したほど勢いがありました。その中で日本画(当時はデッサン科所属)の僕がトップですから、先生も仲間もみんな驚きました。
石膏デッサン マルス 出来るだけ離れた遠くから見ること(形が浮かび上がってくる)
というのも、それまでの僕はマルスのデッサンとは正反対の泥臭く描き込む毎日でした。油絵科の先生の教えを無視するような描き方をしていたので、全員が僕に騙されたのです。このコンクールは2日制でしたが、昼に地下食堂の皿洗いを頼まれていたので、僕の製作時間は他の生徒よりも合計1時間も短いのです。ですから、全く無駄なく描くことが完成の絶対条件です。僕はそれをやり遂げたのです。ちなみに、この時の油絵の方も日本画の辻さんが一番でした。油絵科よりも日本画のほうが感性が豊かなんですね。
平常の僕は、描き込みすぎるくらい描き込んで、いわば試行錯誤の実験をしていたのです。しかし、他の生徒は先生に褒められるように描き、冒険も実験もない毎日でした。この差がコンクールという、いつもの3日より時間の短い場で差として出たのです。もっとも、描き込むことのできない生徒はダメなんですけどね。先生がストップをかけるくらいに描き過ぎるタイプ。このほうが伸びるのです。
白亜のマルスですが、光と影が織り成す陰影の流れが、まるで音楽が聞こえてくるようなリズムで描かれています。細部には手直しをしたい所は散見されますが、ほとんど測らないでフリーハンドで描いた心地よさ。一度でも石膏デッサンをしたことのある人なら、フリーハンドでスラスラと描く難しさは理解できると思います。その上で、トーンや空間や光の流れを描いているのです。
このデッサンはクロッキーの延長にあり、ピカソやレオナルドの線描と同じように自由に手が動いているのです。当時は、モザイクが集まったような、面張りと揶揄されたデッサンが主流でした。それを壊してフリーハンドの自由さを与えたのが僕なのです。ですから、僕の革命は今の学生にも影響を与え続けているのです。
僕は教えるのが上手だったので、同じ日本画だけでなく、デザインや油絵科の学生にも教えていました。難しく教える先生は失格なのです。本人がよく分かっていないから難しく教える。生徒の方も難しく考えるタイプは伸びません。屁理屈ではなく、極めて合理的に観察して、極めて合理的な技術で描くのがデッサンなのです。モーツァルトの楽譜のようにシンプルで美しく。
ということで、難しく考えて行動力が無くなるタイプは反省汁。難しく考えるタイプはビクビクして、すぐに無駄に落ち込むから…。落鮎のように、水が流れる方に考えが進めば良いのです。みんなはきっと努力家だから、逆らって登る鯉の滝登りが好きなんですねぇ。ウリのように、頭の中の80%が遊びでできていれば、「遊び=自由」が理解できるのです。
参考 石膏デッサン マルス 画像検索
エフライム工房 平御幸
昨日の市況の掲示板で、分かりやすい分析がありました。キャプチャーして紹介します。
右側が切れているので右クリックで画像を表示
この中で、在庫が26.5%、原材料の貯蔵が21.1%増えています。在庫が増えたので生産が滞り、原材料がだぶついていると分析されています。これから見ると、現在は5%程度の落ち込みがすぐに20%~25%へと拡大すると予想されます。その場合の不買人口は最大1000万人を超えます。というか、実質的に今現在で1000万人を超えているのでしょう。花王は大変なことになりますよ。
ところで、白亜のマルスが掲載された『美術手帖』が届きました。見開きの二面を使った新宿美術学院の広告に、懐かしいマルスの石膏デッサンが使われています。ちゃんと一番とあるでしょう。この年の新美の油絵科は、芸大の過半数を独占したほど勢いがありました。その中で日本画(当時はデッサン科所属)の僕がトップですから、先生も仲間もみんな驚きました。
石膏デッサン マルス 出来るだけ離れた遠くから見ること(形が浮かび上がってくる)
というのも、それまでの僕はマルスのデッサンとは正反対の泥臭く描き込む毎日でした。油絵科の先生の教えを無視するような描き方をしていたので、全員が僕に騙されたのです。このコンクールは2日制でしたが、昼に地下食堂の皿洗いを頼まれていたので、僕の製作時間は他の生徒よりも合計1時間も短いのです。ですから、全く無駄なく描くことが完成の絶対条件です。僕はそれをやり遂げたのです。ちなみに、この時の油絵の方も日本画の辻さんが一番でした。油絵科よりも日本画のほうが感性が豊かなんですね。
平常の僕は、描き込みすぎるくらい描き込んで、いわば試行錯誤の実験をしていたのです。しかし、他の生徒は先生に褒められるように描き、冒険も実験もない毎日でした。この差がコンクールという、いつもの3日より時間の短い場で差として出たのです。もっとも、描き込むことのできない生徒はダメなんですけどね。先生がストップをかけるくらいに描き過ぎるタイプ。このほうが伸びるのです。
白亜のマルスですが、光と影が織り成す陰影の流れが、まるで音楽が聞こえてくるようなリズムで描かれています。細部には手直しをしたい所は散見されますが、ほとんど測らないでフリーハンドで描いた心地よさ。一度でも石膏デッサンをしたことのある人なら、フリーハンドでスラスラと描く難しさは理解できると思います。その上で、トーンや空間や光の流れを描いているのです。
このデッサンはクロッキーの延長にあり、ピカソやレオナルドの線描と同じように自由に手が動いているのです。当時は、モザイクが集まったような、面張りと揶揄されたデッサンが主流でした。それを壊してフリーハンドの自由さを与えたのが僕なのです。ですから、僕の革命は今の学生にも影響を与え続けているのです。
僕は教えるのが上手だったので、同じ日本画だけでなく、デザインや油絵科の学生にも教えていました。難しく教える先生は失格なのです。本人がよく分かっていないから難しく教える。生徒の方も難しく考えるタイプは伸びません。屁理屈ではなく、極めて合理的に観察して、極めて合理的な技術で描くのがデッサンなのです。モーツァルトの楽譜のようにシンプルで美しく。
ということで、難しく考えて行動力が無くなるタイプは反省汁。難しく考えるタイプはビクビクして、すぐに無駄に落ち込むから…。落鮎のように、水が流れる方に考えが進めば良いのです。みんなはきっと努力家だから、逆らって登る鯉の滝登りが好きなんですねぇ。ウリのように、頭の中の80%が遊びでできていれば、「遊び=自由」が理解できるのです。
参考 石膏デッサン マルス 画像検索
エフライム工房 平御幸
この作品がどのように出来上がったのか、
先生が描かれていた後ろで拝見したかったと思いました。
私も、もっと素直になって、
水の流れを感じられるようになりたいです。
優れた作品は、描いている手順が分からないほど、「最初からそこにあった」という存在感があります。
リンク先の普通のデッサンは、その存在感がないし、技術的な未熟さも分かります。しかも、最も大切な空間がないのです。
絵画というのは空間芸術なので、空間を感じさせることができない作品は何かが足りないのです。そういう意味ではオーディオに似ています。
木炭デッサンで一番大事なのは、利き手の中指のデリカシー。塗った木炭を叩いたり擦ったりして、明度や彩度を変えた色彩を創りだす。これができないと空間は表現できないのです。
しかし、最初に必要なのはダイナミックな空間の把握と、ポイントになる線の強弱。ダンサーや指揮者のような腕の動きが線と空間を生むのです。
近くで見ていたらぼけていて、遠く離して見ると形がクッキリと浮かび上がるデッサンはトーン(調子)が優れているという事。
これが分かればマルスが空間を獲得しているのが理解できるはず。
線の色が薄いのに力強くて、柔らかな感じがしました。
みとれていました。
こんな絵を欲しいなあと思いました。
石膏デッサンは基本的に色面で立体感や空間を追求します。しかし、最後に到達するのは線の表情です。
このデッサンはハーフトーンと呼ばれる中間調子に優れ、それでリンク先の多くのデッサンのような、黒かったり汚い印象とは異なるのです。鉛筆デッサンの場合も、背景を描かないのが汚い原因ではありません。ハーフトーンがあれば鉛筆デッサンでも美しいのです。