平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

素直さと責任

2011-10-24 14:22:24 | Weblog
 菊花賞のオルフェーヴルは強かったですね。3才牡馬では世界最強だと思います。次走はどうするんでしょうね。僕なら休養させて、春から帯同馬を伴ってフランスに渡らせます。もちろん、凱旋門賞を見据えてですが。

 2着のウインバリアシオンは最後方から。安藤騎手の騎乗を批判する人もいますが、母の父ストームバードを考えたら、距離や展開に疑問の付く馬だと分かります。先行したら掲示板がようやくだったと思いますから、むしろ安藤騎手のファインプレーと評価すべきです。トーセンラーは理想的な展開と位置取りでの成績。現時点ではパンチ不足ですね。

 ところで、この前に出したヒルコとオノゴロ島の問題ですが、メールで答えをもらった中で明らかな傾向が見られました。正解に近い回答者は、SNSも含めた普段の活動で積極的なのです。SNSで日記を書いたりコメントを書いたり、そのような活動が知恵の目を開かせるのです。いくら聖書や『記紀』を読んでも、心が足りなかったら知恵の目は開かれないという好例です。

 僕の活動というのは、将来のイエスの再臨を見据えた、そのための基礎作りです。ですから、基礎作りに必要な人材を優遇し、また育てているのです。従って、古代史を含めての活動は「神の計画」の一部であり、僕にもその計画の全貌は見えていません。神が基礎を作れと言うから基礎を作る。必然的に、集められた基礎となる隅の頭石には責任があるのです。

 しかし、最近はこの責任をおそろかにしている読者が目立ちます。前にも書きましたが、僕のブログは書きたいことを全部書いているわけではありません。読者にコメントなどで補完させるべく、あえて内容的に不足にしているのです。この不足分を補える人はヨシュア(モーセの権威を授かった大預言者)になれるのです。

 弟子も含めて、僕の活動に対して、読者の中で「●●しなくなった」ということを数え上げて見ることを推奨します。その数が多い人程、自分は努力していると思っていても、実は逆に落ちているのです。メール、コメント、日記など、このような些細な活動が霊格を上げて、知恵の目も開くようになるのです。これが読者の基礎なのです。

 この基礎の上に、さらにポスティングやチラシ配りやデモ参加など、僕の目に届かないそのような活動が加わって、初めて神の目によしとされるのです。僕は長くても数年しか生きられないし、その前に後継者を育てなくてはならないし、このままでは男の中から後継者を出すのは難しくなる感じですね。

 なお、以前のSNS絡みで「日の栄光・月の栄光・星の栄光」を説明し、鈍感な読者を星に落とすと書きましたが、現世はもともと星の位なので、実は落ちてはいないのです。僕が怒ったように見せないとシャキッとしないですからね。本当に落とされたら光のない地獄です。日の栄光に入るには、最低でも基礎の石になって責任を果たす必要があるのです。知識は知恵の上には位置付けられません。知恵が知識の上にあるのです。

 ということで、難しく考え過ぎたりして正解から程遠かった読者は、改めて基礎から反省汁。一番正解に近かった読者は、全員が納得する活動をしているし、ご褒美としてミカエルも一番良い出来で嫁入りしています。これも神の技なんですね。神様はよく見ていると思いました。

      エフライム工房 平御幸
コメント
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