平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

太陽の道

2009-09-23 15:19:57 | Weblog
 今回の旅行のテーマに「太陽の道」というものがあります。「太陽の道」とは、昔のNHKで放送した番組のタイトルで、北緯34度近辺に点在するヒキと読まれる「日置・引・疋・曳」などの地に、古代の太陽信仰の跡が見られるという内容だったと思います。この時のプロデューサーが本を出し、後に関西の大学で助教授となったようですから、検索すれば出てくると思います。

 「太陽の道」は古くからの古代史ファンにはポピュラーなものですが、今回は僕が最初から知っていたわけではなく、岸和田で鶴と亀さんが教えてくれたものです。確かに、岸和田も伊勢神宮内宮も北緯34度27分ですね。それで帰ってきてから調べてみたのですが、徳島は北緯34度04分、岡山は北緯34度40分、蒲郡市の竹島は北緯34度48分と、すべて北緯34度の中に入っています。自分ではかなり北と感じていた蜂蜜屋さん(浜松市引佐町、天竜浜名湖鉄道金指駅)でさえ、北緯34度49分だったのです。そう言えば引佐もヒキですし、最初に蜂蜜を送ってくれた読者も地名に曳が付くのですね。

 このように、今回のルートは太陽の道だったせいか、行く先々で太陽の祝福が得られました。例えば、最後の蒲郡は天気予報では雨だったそうです。僕も松坂のビジネスホテルでテレビを見ながら心配していました。しかし、曇り空の下に僕が到着してから日差しが回復したので、読者も興奮気味に驚いていました。

 また、伊勢でも僕が神の証になることを弟子たちに話したとき、タイミング良く雲間から太陽が顔を出すので、弟子たちも太陽神に祝福されていると感じたようです。では、なぜ僕が太陽に祝福されるのでしょうか?その理由は、僕に託された大きな役割にあります。

 僕が以前に書いたように、イエスの言葉に「石造りらの捨てた石が隅の頭石になった。これは主がなされたことで、私たちの目には不思議に見える(マタイによる福音書21章-42)」というのがあります。この不思議な言葉ですが、奥義は簡単なのです。

 要するに、現在のメーソン(天皇家も含む)という石造りが構築している現代社会システムですが、これが行き詰まった先に備えられているのが、やがて復活する原始キリスト教なのです。メーソンは、金融などの経済基盤を中心に社会システムを構築してきましたが、今やそれが暴走して人を苦しめるようになりました。片や、コツコツと働いても生活保護費よりも少ない収入の人々。片や、何千億円もの損失を計上しても億単位でボーナスをもらう投資会社の人々。こういうモラルハザードが横行するときに、必要なのはメーソンとは無関係の価値観なのです。その価値観を具現化する存在が、メーソン(石造りら)が捨てた貧しい人々による、復活する原始キリスト教なのです。

 復活する原始キリスト教は新たな太陽の道として備えられた。それを証明する印が僕の今回の旅だったのです。イエスの再臨は、この道を真っ直ぐにした先にあるのです。社会から一度は捨てられたような人々が、新しい歴史を創るのですから、ある意味爽快ですね。でも、必要以上に力んだり意識したりする必要はありません。あくまでも自然体で、少しずつ成長すればよいのですから。まだ道の開通式の鍬入れの段階ですからね。

     エフライム工房 平御幸
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