8世紀の唐の詩人・杜甫(とほ)の有名な歌に、『岳陽楼に登る』というのがあります。
昔聞洞庭水(むかしきくどうていのみず)
今登岳陽楼(いまのぼるがくようろう)
呉楚東南坼(ごそとうなんにさけ)
乾坤日夜浮(けんこんにちやにうかぶ)
親朋無一字(しんぽういちじなく)
老病有孤舟(ろうびょうこしゅうあり)
戎馬關山北(じゅうばかんざんのきた)
憑軒涕泗流(けんによりてていしながる)
この中に出てくる呉楚とは古代中国にあった国。南の海に面した呉の国は、滅亡後に日本に渡って広島の呉に住んだ。呉服の呉です。卑弥呼の鏡を作ったのも呉の職人と言われています。対して、楚は洞庭湖の反対の北側に位置しました→こちら。
この呉と楚の位置関係を逆にしたのが、旧約聖書の『創世記』で神に滅ぼされるソドムとゴモラ。北にゴモラで南にソドム。どちらもソとゴの組み合わせです。偶然でしょうか?
ソドムとゴモラが滅ぼされるシーンは、『創世記』の19章に描かれています。しかし、出てくるのはソドムの方だけでゴモラはなし。しかも、旧約聖書の地名は時代に沿ったものではなく、けっこう後付で呼ばれている地名が多いのです。だから、滅ぼされた当時にソドムとゴモラと呼ばれていたかは甚だ怪しい |д゚)チラッ
それで、原点に帰って、ソドムが滅ぼされた時のキーワードをほじくり返してみました。驚くべきことに、漢字で「ソ」と読まれる文字が山ほど ( ´゚д゚`)エー
まず、2人の神の使いがソドムやってきたのが夕暮れですが、これを表したのが外という文字。2人の天使をかくまったロトの家の戸の外は暴漢だらけ。
外→戸+夕べ
粗暴→ソ
ロトは外に出て戸を閉め、ソドムの暴漢に訴えます。これが訴が「ソ」と読まれる理由。
訴→ソ
ところが、暴漢はオカマを掘るために天使を渡せと要求し、危険を感じた天使は、おそらくロトの袖を引っ張って中に入れ、暴漢たちの目を暗黒プラズマで覆い隠します。手で引っ張ったからソ・デ。
袖→ソドム+手
ソドムは不潔だったのでネズミやウジ虫がウジャウジャ (ToT)
鼠→ソ
蛆→ソ
このように、ソをソドムを指す言葉と理解すれば、ソと読まれる文字の悪徳の限りが理解されるのです。嫉(そね)む、猜(そね)む、妬(そね)む、呪詛の詛(そし)る、反(そむ)く、背(そむ)く、北(そむ)く、暗(そら)んじる、害(そこ)なう、賊(そこ)なう、殺(そ)ぐ、騒(そう)、などなど→漢字辞典(音訓検索「そ」)。
ソドムは余りの穢れのために、正しい名前では呼ばれず、「それ」とか「そこ」とか呼ばれたのではないか。今だとイットと呼ばれるみたいに。
上の言葉の中の「北」という文字は、ソドムの北に位置したゴモラを指すのではないか。ソドムの方を向くからソムク。ゴ・モラからモラルという言葉が生まれたとか。よそ者のロトが四方から囲まれたので他所をヨソと言う。それにしても、ゴモラの謎を解く材料が少なすぎる (_ _;)
節分の「鬼はそと福はうち」という慣用句。これをソドムとロトと天使という構図で眺めると、鬼はソドムの暴漢、福は二人の天使で、戸の内と外の違いが天国と地獄を分ける。仕切り板一枚の違いは大きい ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ
6月6日 追加
ゴモラについて記載がない理由は、おそらくカッバーラの阿吽(あうん)にあると思います。というのも、口を開いてソドムを語り継ぎ、口を閉ざしてゴモラをあえて語らず。読者がコメントで書いているように、ゴと読まれる漢字は口が付くものが多い。ゴモラを表す言葉の代表は「口籠る」で、モニョモニョと口籠ることでゴモラは記憶されてきた。カッバーラ恐ろしす (´・ω・`)
昔聞洞庭水(むかしきくどうていのみず)
今登岳陽楼(いまのぼるがくようろう)
呉楚東南坼(ごそとうなんにさけ)
乾坤日夜浮(けんこんにちやにうかぶ)
親朋無一字(しんぽういちじなく)
老病有孤舟(ろうびょうこしゅうあり)
戎馬關山北(じゅうばかんざんのきた)
憑軒涕泗流(けんによりてていしながる)
この中に出てくる呉楚とは古代中国にあった国。南の海に面した呉の国は、滅亡後に日本に渡って広島の呉に住んだ。呉服の呉です。卑弥呼の鏡を作ったのも呉の職人と言われています。対して、楚は洞庭湖の反対の北側に位置しました→こちら。
この呉と楚の位置関係を逆にしたのが、旧約聖書の『創世記』で神に滅ぼされるソドムとゴモラ。北にゴモラで南にソドム。どちらもソとゴの組み合わせです。偶然でしょうか?
ソドムとゴモラが滅ぼされるシーンは、『創世記』の19章に描かれています。しかし、出てくるのはソドムの方だけでゴモラはなし。しかも、旧約聖書の地名は時代に沿ったものではなく、けっこう後付で呼ばれている地名が多いのです。だから、滅ぼされた当時にソドムとゴモラと呼ばれていたかは甚だ怪しい |д゚)チラッ
それで、原点に帰って、ソドムが滅ぼされた時のキーワードをほじくり返してみました。驚くべきことに、漢字で「ソ」と読まれる文字が山ほど ( ´゚д゚`)エー
まず、2人の神の使いがソドムやってきたのが夕暮れですが、これを表したのが外という文字。2人の天使をかくまったロトの家の戸の外は暴漢だらけ。
外→戸+夕べ
粗暴→ソ
ロトは外に出て戸を閉め、ソドムの暴漢に訴えます。これが訴が「ソ」と読まれる理由。
訴→ソ
ところが、暴漢はオカマを掘るために天使を渡せと要求し、危険を感じた天使は、おそらくロトの袖を引っ張って中に入れ、暴漢たちの目を暗黒プラズマで覆い隠します。手で引っ張ったからソ・デ。
袖→ソドム+手
ソドムは不潔だったのでネズミやウジ虫がウジャウジャ (ToT)
鼠→ソ
蛆→ソ
このように、ソをソドムを指す言葉と理解すれば、ソと読まれる文字の悪徳の限りが理解されるのです。嫉(そね)む、猜(そね)む、妬(そね)む、呪詛の詛(そし)る、反(そむ)く、背(そむ)く、北(そむ)く、暗(そら)んじる、害(そこ)なう、賊(そこ)なう、殺(そ)ぐ、騒(そう)、などなど→漢字辞典(音訓検索「そ」)。
ソドムは余りの穢れのために、正しい名前では呼ばれず、「それ」とか「そこ」とか呼ばれたのではないか。今だとイットと呼ばれるみたいに。
上の言葉の中の「北」という文字は、ソドムの北に位置したゴモラを指すのではないか。ソドムの方を向くからソムク。ゴ・モラからモラルという言葉が生まれたとか。よそ者のロトが四方から囲まれたので他所をヨソと言う。それにしても、ゴモラの謎を解く材料が少なすぎる (_ _;)
節分の「鬼はそと福はうち」という慣用句。これをソドムとロトと天使という構図で眺めると、鬼はソドムの暴漢、福は二人の天使で、戸の内と外の違いが天国と地獄を分ける。仕切り板一枚の違いは大きい ヽ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;)ノ
6月6日 追加
ゴモラについて記載がない理由は、おそらくカッバーラの阿吽(あうん)にあると思います。というのも、口を開いてソドムを語り継ぎ、口を閉ざしてゴモラをあえて語らず。読者がコメントで書いているように、ゴと読まれる漢字は口が付くものが多い。ゴモラを表す言葉の代表は「口籠る」で、モニョモニョと口籠ることでゴモラは記憶されてきた。カッバーラ恐ろしす (´・ω・`)
ミニアンプありがとうございます。結局どれ買えばいいのかわからず、まだ買えてませんでした。
これで栗ひよこも安心して旅行できます。ありがとうございました。
ガルパンのソドコも本望でしょう (^m^;)
ゴモラは口籠るに名残があるのかも。ゴモラのことを語ってはならない ゴニョゴニョゴニョ…(ノ゚д゚(; ̄Д ̄)
かたつむりさん( ノ゚Д゚)こんばんわ
>ゴ単独で見ると口が付く漢字が多い
それは的を射ているかも。ソドムは語って教訓とし、ゴモラはあえて語らずに無視することで墓標としたのかも (;´Д`)
昨晩から左わき腹が痛い orz
ソという漢字が普段使うものから使わないものまで含め本当に沢山ありますね (;^ω^)
ゴモラの謎を解く材料が少なすぎるのも逆に気になりますが、ゴ単独で見ると口が付く漢字が多いような気もします。
「鬼はそと福はうち」も2人の神の使いのシーンからとは驚きです (゜д゜)
解説をありがとうございますm(__)m
鬼はそと福はうちに、ソドムとゴモラがでてくるとは(^-^;ソドムのソを見ると、良い意味の漢字が一つもないことや、名前すら呼ばれない事にも神の怒りがあらわれているように思えます。
ゴモラのエピソードがほとんどないのも不思議ですね。
蘇州夜曲はソが違います (^_^;)
ヘブライ語表記だとソドムはsdm。ソ共と読めるのです。ソ連共産党ではありませんぞ :(;゙゚'ω゚'):
ソの奴らめがソドモ。これをソドムと誤読している可能性があると思います (゜д゜)
ソという言葉一つにこれだけの意味があり、日本語の50音の奥深さに感慨深いものがあります。
そこと呼ばれたとしたら、底とも言えそうですし、底の英語がbottomでボトンと意味も合うなと思いました。
齟齬という言葉もソドムとゴモラの人々は周りの人々とかみ合わなかったりと思いましたが、齟の由来は神への供え物を噛むという説もありました。
http://200k.work/tky2016032903710-post/
褒めても何も出ないと言いたいところだけど、日頃の栗ひよこの活動に免じてミニアンプ送ってやるお (;^ω^)
おおっ。相変わらず鮮やかな謎解きですね。
やっぱり先生は凄いです。