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平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

瞑想の効果

2009-01-29 01:46:05 | Weblog
 ブログの更新が遅くなってますが、この時期は来るべき時のためにエネルギーを貯め込んでおく事が大切です。それで良い意味でサボっています。やりたいことは山ほどありますし、メールでの質問に答えるのも結構大変なのです。

 それで、読者からの質問で気が付いたのですが、精神的な症状について解説をしていませんでした。エクソシストの話は書いたのですが、肝腎の精神構造については未だ説明不足です。今回は、大人になってから深刻化する精神障害について書きます。

 僕の一番古い記憶は、一歳半の時の転倒です。兄弟の誰よりも早く歩けるようになった僕は、一歳半の夏に外から玄関の敷居を跨ぐ時にひどく転倒し、左股関節脱臼で動けなくなりました。身重の母親が驚いて転倒したので、妹が早産となったのです。それで転倒の時期が明確に分かるのですが、記憶でもちゃんと残っているのです。三歳の時は弟が生まれて産湯をつかう場面を記憶しているし、古い記憶は結構あるものです。

 一般的に、人は嫌な記憶を封印してしまう性質があり、例えば精神的なショックを受けた時は、その事件全体を忘れようとします。しかし、この時に受けた傷は精神的なクラックとなり、成長するに従って巨大な亀裂へと変化します。これが、成長するに従って酷くなる精神疾患の元なのです。精神の柱に赤錆た亀裂が入っているのですから、この根本原因を取り除かない限り、いかに宗教やドクターに頼ろうとしても無駄なのです。

 芸術家は狂気のイメージが強いですが、実際は普通の人よりも精神的に安定しています。霊感が強く、創造へのエネルギーが強いので、一般的な生活の枠組みから外れることは多いのですが、精神的に安定していなくては創作は無理なのです。むしろ、絵を描いたことがない、あるいは音楽を日常としていない人の方が、自分の心を客観的に観る機会がない分、隠れ障害者として生活を続けることになります。これが、悪性ナルシシズムを溜め込んだ風船となり、成長してクラックが大きくなった時に破裂するのです。構造的に書けば以下のようになります。

"幼い時に傷付く→外敵から守るためにナルシシズムに閉じ籠もる(同時に敵意も育む)→社会から孤立するナルシシズムの悪性化(敵意の増幅)→成長して社会の刺激により、ナルシシズムを包んでいた殻が崩壊→ナルシシズムの殻の中で発酵していた精神的な膿が爆発→成長した敵意により自殺か他殺への衝動"

 この構造を見れば分かるように、結局は愛が足りなくて憎悪に支配されるのです。言い換えれば、サタンを信仰して神を憎むようになるのです。僕は喫煙の経験者ですが、やめることが出来たのはヨーガによる内観のお陰です。内観とは、瞑想して自分の心の細やかな動きを観察する事で、記憶の闇に封印された幼い頃の心の傷を見つけることが出来ます。僕の場合は、母親にかわいがられる僕を憎んでいた兄が、目の前で子猫を川に捨てたことが傷となっていたのです。これが分かったら、もうタバコに依存して無力感を慰める必要もなくなるのです。タバコがやめられない原因は、それぞれの無力感にあるのですから。

 このように、幼い頃の自分を発見して癒すことで、精神疾患の大半は克服できるはずです。しかし、悪霊が背中に憑依している場合は、これを取り除かなくては解決とはなりません。それが、以前に書いたセルフ・エクソシストの勧めです。聖書にあるイエスの悪魔払いの文言を唱えることで、悪魔払いは誰にでも出来るのです。

 絵を描くというのは、本人の自覚していない心の隅々に光を当てて、幼い頃の傷や、霊の汚れなどを、白日の下に曝すに等しい行為です。絵の趣味や音楽の趣味も、自分の精神疾患の度合いを測るという計測器にもなっているのです。聖書に汚れた霊とたとえられる蛙ですが、蛙の声で歌う浜崎あゆみを好きだという人は、サタンに襟元をつかまれているも同然なのです。汚れた霊の墓場である韓国に芸術がないのもそのためなのですが、日本はこういう視点からも尊い国だと理解できますね。ヨーガの瞑想を試して下さい。

     エフライム工房 平御幸
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Unknown (saho25)
2009-01-29 23:57:42
平様、こんばんわ。
ブログの更新をありがとうございます!

エネルギーの充電をされていらっしゃったんですね。

「瞑想」の題目を拝見して、本当にピッタリなタイミングに驚いております。私のキーワードも現在「瞑想」だったので!

悪性ナルシズムという表現で多くのことが理解できます。今のこの世の流れにおいて、本当に真の愛が必要なのだと痛感しています。

まずは自分からです。

本当に大切なメッセージを頂いて、ありがたいです。
ありがとうございます!


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saho25さんへ (平御幸)
2009-01-30 04:32:17
saho25さん今晩は。

ナルシシズムというのは本来、胎児が羊水の中でくつろいでいる状態なので、良性であれば問題ありません。しかし、母親の精神状態が悪いと、胎児が不安を感じてナルシシズムに防御の殻が形成されます。このように不安から形成された悪性ナルシシズムが、生まれてからの精神障害として現れることになります。生まれるのが嫌だというレベルまで不安になると、防御の殻が厚くなり成長して鬱病になります。身動きの取れない鎧武者にたとえられます。

胎教にはこのような説明が付くのですが、勘違いした母親は自分の精神状態を良くする事にかまけ、胎児に音楽を聴かせるというとんでもない発想で胎児を虐待します。羊水の中では音楽は聞こえないのですから無駄ですね。

もっとも、烏骨鶏もモーツァルトを聴かせると卵を良く産むそうですから、母親の精神安定のためにモーツァルトの曲をかけるのは正解です。演歌では烏骨鶏もパニックらしいですが…。

というわけで、瞑想というのは胎児の世界に戻る訓練でもあるのです。僕はお風呂の中でひっくり返って胎児状態になるのが好きですけど。
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Unknown (柚子)
2009-02-01 05:07:06
平様おはようございます
意識的な内観と、単なる思い悩みやあせり、自己嫌悪
の違いをなかなか意識できませんが、音楽や詩作などをすることで、自分の深いところに入って行けるという実感はあります。ただ、それらは、単なる幸せだけを持ってくるのではなく、常に課題と自分の力の非力さなどとも直面させてれるので、根気や勇気がいりますね。でもやめられないというのは、喜びがあるからですが、私は以前のセルフクリーニングならぬセルフエクソシストを試みました。「O脚である。」というところが、自分にぴったりだったからです。他にもあてはまるところがあったと記憶してますが。聖書は現代語に訳されていますが、訳の壁以前にいろいろな言葉と概念の飛躍があります。平さまの言葉の発想は「目から鱗・・」でした。障害を持っている方達と接
しておりますと、単なる疲労回復ではない、別の転換を必要とすることを感じています。ここではアイデアをもらえます。
返信する
柚子さんへ (平御幸)
2009-02-01 06:05:15
柚子さんおはようございます。

人は、親から子への不幸の輪廻を断ち切る必要があります。子供を殺すようになったら大変ですから。そのためにも、不幸の原因である傷を発見する事が大切です。ヨーガなどの瞑想は、もう一人の自分を見る訓練となります。

O脚の人は、アヒル座りなどで姿勢が悪く、結果的に骨盤が歪んでいるのです。背骨から尾底骨にかけてきれいなS字カーブが描けず、尻が垂れていたらアヒル座りが原因です。日本女性の姿勢の悪さの大半は、畳の上でのアヒル座りに起因します。ヨーガの結跏趺坐(けっかふざ)と相撲の蹲踞(そんきょ)が苦痛になる骨格です。

僕は結跏趺坐と蹲踞が楽だったので、今でもタイツをはいたら中学生並みのシルエットです。脚だけ見せたら年齢を誤魔化せますね。実際、美術解剖学で年齢が特定できないのは脚だと学びました。脚の美しい女性は老けないのです。

実際に観たことがないので憶測ですが、精神病棟に姿勢の良い患者はいないと思います。姿勢と脚線美は、ゆったりした腹式呼吸と共に精神の土台のような物ですから、どちらかが崩れてきたら精神的に弱くなります。僕は、ヨーガをやるスペースが無くて苦労していますけど…。
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烏骨鶏 (平御幸)
2009-02-01 09:07:52
30日のコメントで出した、烏骨鶏とモーツァルトの記事へのリンクを忘れていました。↓

http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20090124013.html
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