平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

宮沢賢治の描いた朝鮮人

2007-08-11 14:37:46 | Weblog
 ある掲示板に、宮沢賢治の『ツェねずみ』が朝鮮人を描いたものではないかというブログ(右クリックで新しいタブで開く)の紹介があり、読んでみると確かに納得する内容でした。ツェという名前も、朝鮮人の崔(チェ)を連想させますね。

 実は、宮沢賢治は、歌人の石川啄木と並んで高校(盛岡一高~旧・盛岡中学)の先輩です。日本の近代文学に大きな貢献をした2人の先輩ですが、一高では啄木の方を熱心に教えていました。それは、現国の先生が地元の啄木研究家だったからです。僕の評価ですが、啄木は「リズム優先の言葉選び」の天才というものです。写実ではないし、思想家でもなく、日本語の持つリズムを最大限に優先し自己耽溺な歌を作ったのが啄木。この言葉優先を見習ったのが、僕の講義形式の古代史です(右クリックで新しいタブで開く)。言葉優先で書くと、思い掛けずに謎が解ける事が多いのです。これも啄木の恩恵ですね。

 宮沢賢治の作品で有名なのは、『銀河鉄道の夜』、『セロ弾きのゴーシュ』、『注文の多い料理店』などですが、僕が好きなのは『虔十(けんじゅう)公園林』です。

 僕が『虔十(けんじゅう)公園林』を好きな理由ですが、主人公がどことなく僕に似ているからです。僕は小学校の低学年の時、神様にお願いして記憶力を半分にしてもらった事があります。小耳に挟んだ悪口など、全部記憶しているのが嫌で、また成績の悪い生徒に対する同情のようなものがあったからです。今に思えば、肉の入ったスープを飲まないと誓った某偉人の物真似ですけどね。でも、そのお陰で絶対音感が失われて作曲が出来なくなり、方程式や人名や単語が覚えられず、総合的なIQが東大生並に低下してしまった訳です。そう言えば、僕が小学4年の時に大怪我をした時、見舞いに来て下さった担任の先生が、宮沢賢治記念館の館長を務められたそうです。この先生曰く、「○○君は博士になる」。イエスを祝福した東方三博士という意味合いなら、古代史で証明できているのでは?

 さて、肝心の『ツェねずみ』ですが、何かにつけて謝罪と弁償を要求する朝鮮人の特徴を捉えています。ねずみが「償(まど)ってください、償ってください」と繰り返すシーンは秀逸ですね。宮沢賢治を左翼的な思想に利用しようとする連中は、最低の評価を下すでしょうけど。

 文学ではありませんが、漫画を芸術に高めようと苦闘したつげ義春の短編に『李(り)さん一家』というものがあります。李さんの奥さんが家庭菜園のキュウリを盗んで行くシーンはリアルでいいですね。結局、宮沢賢治にしても、作品の根底にあるのは観察力と洞察力です。そのような目を持った不幸(十字架を担うという意味)を、イマジネーションを膨らませて、普遍的な作品として昇華させる本能が素晴らしいのです。宮沢賢治を読んで理解したと感じるのは簡単ですけど、そう言う人が何かを残した(作った)というのは聞いた事がありません。

 画家のピカソが近代の商業デザインに影響を与えたように、宮沢賢治はコミックやアニメや映画にまで影響を与えています。生前は無力感に苛まれた偉大な魂が、神となって人を幸福に導くとしたら、その恩恵は測る事が出来ないほど大きなものです。十字架を担うという事の意味を理解できない人は、宮沢賢治を都合良く解釈しているに過ぎないのではないでしょうか。これは日教組などの左翼思想家に対する皮肉ですがね。

     エフライム工房 平御幸
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