5月の岡山視聴会から今回の東北三県の旅行を通して、一貫したテーマは魚釣りでした。隙きあらば魚釣りと竿まで持っていったのですが、釣りどころか川に接することすらできない (~_~;)
倉敷市を流れる高梁川は、川の両岸を道路が通って駐車するスペースがない。ようやく見つけたスペースも川から遠く、しかも平たくすべすべの川原石ではなく、洪水で流されてきた瓦礫が覆っていて歩くのがやっと。川べりは土砂が崩れて危ない。亀が死んでいて、泳いでいるのも2センチ程度の幼魚や亀ばかり ♪~( ̄。 ̄)
川には水鳥のウとかサギの仲間はいるのですが、亀が死んでいたところを見ると亀を襲ったのは水鳥で間違いなし。魚が少ないので亀を襲ったのでしょう。
岡山県は、昨年7月7日に高梁川水系の小田川が反乱して真備町が水没。小田川が高梁川に合流する所でバックウォーター現象が発生したのが原因と言われています。しかし、水害の本質は別のところにあるのではないか?
というのも、岡山の古墳は平地に造られていると誤解されていますが、古墳はそもそも治水灌漑のために造られたもので権力の象徴などではないのです。ブラタモリの明日香編でも、のっけから権力の象徴という言葉が飛び出してドン引きしましたが (ヾノ・∀・`)ナイナイ
岡山に古墳が多いということは、治水灌漑しなくてはならない湿地帯が多かったことを意味します→岡山の古墳。だから、古墳の堀も溜池の一つであり、そこから運河が縦横に巡って治水に貢献していたはず。明日香などは今でも古墳の堀と数多くの用水路と暗渠で治水をしています。岡山は、堀も用水路も暗渠(あんきょ~トンネル)も埋め尽くして雨水の行き場をなくし、大雨のときに水害を招くようになった。2016年の岡山駅水没のように (-_-;)
小田川はダムや堰の建設計画が中止になった経緯はありますが、古代人の知恵を再発見し、大規模な堀や運河や暗渠による治水に戻るべきだと思います。
岩手、青森、秋田と続いた東北三県の旅行の方ですが、盛岡市も秋田市も魚を釣る環境にない。身近な川に降りられないのですから。
盛岡の場合、子供の頃に遊んだ明治橋の下(舟っこ流しが行われる)は、草茫々で下に降りられない。降りられても、昔は砂だった川岸も草茫々で川まで行けない。川もダムが出来てから水位が増して川の中に入れない。
明治橋の右側手前が浮島
夕方近くに子供が遊ぶ時間なのに大人すら一人もいない
昔はヨモギ、カヤが生えてバッタやカマキリやコオロギやトンボやカゲロウの楽園
うぐい、オイカワ、タナゴ、鮒、ナマズ、ヤツメウナギ、鮎、鮭の稚魚がいた
ここから上流は、左の雫石川と、真ん中の北上川と、右の中津川が合流して、北上川が松尾鉱山の汚水で赤かった昔は、三色に分かれて流れていたのです。エジプトで言えば下エジプトのエフライム。盛岡のモリはエジプト語でピラミッド。盛岡はエジプトだったのです。だから、僕が出エジプトしたら文化が衰退した (^m^;)
その雫石川は、砂利石が小さくてすべすべして魚の産卵場になっていたから雫のような石で雫石川。しかし、セメント業者が居座り、砂利を根こそぎ取り去り、河原には許可をもらうような者が居座って畑を作り、一般人は川に近付くことすらできなくなっていた。魚釣りの最高の場が失われていたのです 。゚(゚´Д`゚)゚。
中津川も同様に降りられず、草茫々で管理が全くなされていない。国土交通省のポストを公明党が専有して川の管理放棄が加速したとしか思えない。
賢い子供は釣りや川遊びを通して川から多くのことを学ぶ。生態系や産卵場所と川底の関係など。ところが、今は川遊びに近寄ることすら拒否される。釣りで学ぶことも出来ない。
イエスの弟子は川や湖の漁師。これには深い意味があるのです。魞(えり)という定置網を仕掛けて魚が入ってくる魞漁は、救済においてヤハウェの待ちの姿勢。対して、イエスの弟子は積極的に魚を取りに行く。このヤハウェとイエスの違いが理解できていれば、子供から大人まで釣りや漁の機会を奪われている現状が異常だと分かります。悪魔は子供の健全な成長に欠かせない釣りの場を奪っているからです。
釣りを知らない子供は何をしても消極的で我関せず。閉じこもった挙げ句にエゴの塊となって社会の迷惑となる。マナー無視のバス釣りを釣りと思ったら大間違い。あんなものは釣りではなくドキュンの独りよがりです。
川という環境を根本から見直して、子供の頃から川と親しめる社会を構築する。大嫌いなジブリの千と千尋の神隠しですが、川を再生しないとダメだという点は共感します。川を蘇らせる。それ以外に日本を取り戻す方法はありません (>_<)
倉敷市を流れる高梁川は、川の両岸を道路が通って駐車するスペースがない。ようやく見つけたスペースも川から遠く、しかも平たくすべすべの川原石ではなく、洪水で流されてきた瓦礫が覆っていて歩くのがやっと。川べりは土砂が崩れて危ない。亀が死んでいて、泳いでいるのも2センチ程度の幼魚や亀ばかり ♪~( ̄。 ̄)
川には水鳥のウとかサギの仲間はいるのですが、亀が死んでいたところを見ると亀を襲ったのは水鳥で間違いなし。魚が少ないので亀を襲ったのでしょう。
岡山県は、昨年7月7日に高梁川水系の小田川が反乱して真備町が水没。小田川が高梁川に合流する所でバックウォーター現象が発生したのが原因と言われています。しかし、水害の本質は別のところにあるのではないか?
というのも、岡山の古墳は平地に造られていると誤解されていますが、古墳はそもそも治水灌漑のために造られたもので権力の象徴などではないのです。ブラタモリの明日香編でも、のっけから権力の象徴という言葉が飛び出してドン引きしましたが (ヾノ・∀・`)ナイナイ
岡山に古墳が多いということは、治水灌漑しなくてはならない湿地帯が多かったことを意味します→岡山の古墳。だから、古墳の堀も溜池の一つであり、そこから運河が縦横に巡って治水に貢献していたはず。明日香などは今でも古墳の堀と数多くの用水路と暗渠で治水をしています。岡山は、堀も用水路も暗渠(あんきょ~トンネル)も埋め尽くして雨水の行き場をなくし、大雨のときに水害を招くようになった。2016年の岡山駅水没のように (-_-;)
小田川はダムや堰の建設計画が中止になった経緯はありますが、古代人の知恵を再発見し、大規模な堀や運河や暗渠による治水に戻るべきだと思います。
岩手、青森、秋田と続いた東北三県の旅行の方ですが、盛岡市も秋田市も魚を釣る環境にない。身近な川に降りられないのですから。
盛岡の場合、子供の頃に遊んだ明治橋の下(舟っこ流しが行われる)は、草茫々で下に降りられない。降りられても、昔は砂だった川岸も草茫々で川まで行けない。川もダムが出来てから水位が増して川の中に入れない。
明治橋の右側手前が浮島
夕方近くに子供が遊ぶ時間なのに大人すら一人もいない
昔はヨモギ、カヤが生えてバッタやカマキリやコオロギやトンボやカゲロウの楽園
うぐい、オイカワ、タナゴ、鮒、ナマズ、ヤツメウナギ、鮎、鮭の稚魚がいた
ここから上流は、左の雫石川と、真ん中の北上川と、右の中津川が合流して、北上川が松尾鉱山の汚水で赤かった昔は、三色に分かれて流れていたのです。エジプトで言えば下エジプトのエフライム。盛岡のモリはエジプト語でピラミッド。盛岡はエジプトだったのです。だから、僕が出エジプトしたら文化が衰退した (^m^;)
その雫石川は、砂利石が小さくてすべすべして魚の産卵場になっていたから雫のような石で雫石川。しかし、セメント業者が居座り、砂利を根こそぎ取り去り、河原には許可をもらうような者が居座って畑を作り、一般人は川に近付くことすらできなくなっていた。魚釣りの最高の場が失われていたのです 。゚(゚´Д`゚)゚。
中津川も同様に降りられず、草茫々で管理が全くなされていない。国土交通省のポストを公明党が専有して川の管理放棄が加速したとしか思えない。
賢い子供は釣りや川遊びを通して川から多くのことを学ぶ。生態系や産卵場所と川底の関係など。ところが、今は川遊びに近寄ることすら拒否される。釣りで学ぶことも出来ない。
イエスの弟子は川や湖の漁師。これには深い意味があるのです。魞(えり)という定置網を仕掛けて魚が入ってくる魞漁は、救済においてヤハウェの待ちの姿勢。対して、イエスの弟子は積極的に魚を取りに行く。このヤハウェとイエスの違いが理解できていれば、子供から大人まで釣りや漁の機会を奪われている現状が異常だと分かります。悪魔は子供の健全な成長に欠かせない釣りの場を奪っているからです。
釣りを知らない子供は何をしても消極的で我関せず。閉じこもった挙げ句にエゴの塊となって社会の迷惑となる。マナー無視のバス釣りを釣りと思ったら大間違い。あんなものは釣りではなくドキュンの独りよがりです。
川という環境を根本から見直して、子供の頃から川と親しめる社会を構築する。大嫌いなジブリの千と千尋の神隠しですが、川を再生しないとダメだという点は共感します。川を蘇らせる。それ以外に日本を取り戻す方法はありません (>_<)