平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

その時代の教会

2017-02-01 18:04:13 | 古代史と聖書
 時々、読者から質問が寄せられますが、基本的にはコメントで書くようにと答えています。自分だけの問題としているエゴイズムがそもそも間違っているからです。自分の外に目を向けていれば、他の人にも有益になる問題は公開すべきと分かります。だから、皆にコメントしろと口うるさく指導しているわけです。何年たっても、ここが全く理解されていない orz

 今回は特別に、このような人間としての基本ができていない迷える羊、あるいは既成の教会に属していて証しのない人に向けて書いてみます。

 多くの人は誤解していますが、キリスト教でも仏教でも絶対性はなく、どこの教えも成立時の時代精神によって限定されています。「限定=不足がある」のです。幕末期の天理教やモルモン教も同じです。それは当然で、今の時代精神や知識を持って150年前に布教しても、誰一人として理解できるはずがない。貧農には貧農への教え、開拓者には開拓者への教えが必要だった。それが時代精神。

 逆に言えば、成立時の古い教えほど、現在から見れば陳腐化するのも必然。カソリックの魔女狩りや学者の弾圧もしかり。中世にはすでに陳腐化していた証拠です。ではプロテスタントはどうかといえば、これも同じく陳腐化しています。時代精神はそれほどまでに影響力があるのです。だから、僕が語ることもやがて陳腐化する時が来るかもしれない。畳と花嫁と教えは新しいほうが良いという格言も出来るかもしれない。

 では、新しい教えなら良いのかといえば、それもカルトなら良い訳がありません。さまよえる子羊を量産するだけになります。

 僕は何者なのか?よく質問されます。ひと目で他人と違う何かを発散しているからだと思います。世界の誰もが知らない神からの知識(奥義)にも触れることがある。でも、僕の本分は本質を見抜く目にあると思っています。だから詐欺的に騙されたことがない。僕を騙すことの出来るのは無邪気な子供です。

 もちろん、本質を見抜く目は素質も大切ですが、素質の上に経験則で培われます。いろいろな体験があって、はじめて気がつくことも多いですから。その僕が、様々な宗教や教会を見ていて、あるいは中に入ってみて、これは全て正しいというものがなかった。ある教会は聖典の1つが教祖の落書きレベルだった。まあ、その落書きを信じている人には何も言いませんが、少なくとも僕には受け入れ難いものだった。それが、僕がこのように行動している理由です。

 僕がやっている事は、既成の宗教団体に入っている人の信仰心を破壊するかもしれません。それは仕方ない。僕から見て陳腐な教えは崩壊するのが当然だからです。でも僕は、一部カルトを除いて、積極的に他の教えを攻撃する事はありません。なぜなら、どこの教会に属すかは、その人の霊格で決まると思っているからです。今の時代にあって新しい教えを受け入れられない人は、仮にイエスの時代に生きていても、新しい教えを説くイエスに従うことの出来なかった人です。

 さまよえる魂。迷える子羊。証しのない人。そのような人が僕に出会い、自分には何か足りないと気がつく。でも、何が足りないかは分からないから苦悶する。神を求めても神が答えてくださらない心境と同じになります。最後には、自分が天国を目指しているのか地獄を目指しているのかさえ分からなくなります。

このような迷いに対する答えの1つが、試みのミカエルの制作です。小さい手に乗るようなスピーカーは誰にでも作れる単純さを持っています。しかし、作る資格のない人は何ヶ月かかっても完成しません。サタンが作ることを邪魔するからです。あるいは、僕の絵を見て畏れる人も同じ。霊格の高い人は美しいと見るけど、霊格の低い人は畏れてしまう。神が人を選別するツールが、僕が設計したスピーカーや、僕が描いた絵なのです。

 だから、どうしたら良いか迷っている人は次に書くことを実践することです。それが神の目に叶うから。

1. 僕の活動に寄与する(人それぞれの方法で)
2. 試みのミカエルを作って、自分を試してみる
3. 僕の絵を飾ってみる。嫌な人や霊格の低い人が来なくなりますけど (^_^;)

 1については、自分の能力(社会的立場や語学力や経済力も含む)を神に奉仕することにもつながります。

 2は、純粋に自分を試すことで、必要な材料は実費で提供します。板の値段が高騰しても1万円を超えないはず。製作マニュアルは公開しているので、ハンダ付けを少し練習すれば難しいことはありません。神経は必要です (・・;

 3は、この世に一枚しかない肉筆画は無理なので、複製画で提供しています。どうしても肉筆画が欲しい人は、制作にかかる日、月数分の費用は見込まなくてはなりません。だから僕は絵を売らないし、プレゼントや回覧をしているのです。とは言っても、今あるのはコスモスのハガキ大だけです。額縁のほうが高い (;´Д`)

 僕のエフライム工房SNSは、あくまでも実践の場。そういう意味では教会と同じですが、メンバーは各地に離散しているので、年に二回程度しか集まる機会がないのが歯がゆい所。参加は申し込みだけで、運営費に月1000円を惜しむ人は入れません。会計はキチンとしていますが、試聴会などのイベントは会計が大変そうです。そのうち、エフライム工房の口座はオープンにする予定ですが、そうすれば会計の能力が追いつかなくおそれが (=o=;)

 ということで、さまよえる魂、迷える子羊、証しのない人、などは、「迷える羊は山羊=サタンになる」という僕の格言を地で行っているわけで、生命の樹ではなく、死の樹の路をウロウロしているのです。行動の伴わない信仰は欺瞞。偽善者は自分のために神を利用する。あなたの教会は本当に正しく、過去に過ちを犯したことはなかったのか?過ちを犯した教会に属す自分を心から認められるのか?神は導くけど強制はしないので、自分で道を決めるしかないのです。それが絶対自由なのだから。

     平御幸(Miyuki.Taira)
コメント (13)
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