平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

紫式部はマグダラのマリアの子孫

2016-11-04 07:08:33 | 古代史と聖書
 マグダラのマリアがイエスの妻であり、それが公になると西方教会ほかが困る。その結果、とんでもなく怖ろしい惨劇が繰り返されました。それが中世の魔女狩りです。少なくて数万、多くて数百万の女性が火炙りで殺されたのです。

 魔女とは魔術を使う者。魔術が白かろうが黒かろうが関係ありません。なぜなら、マグダラのマリアのマグは、イエス誕生の時に現れた三人のマギに通じるからです。マギとは「魔術の技」を縮めて魔技。カッバーラに通じた預言者の中でも、特に霊力の強い人がマギなのだと思います。

 マグダラのマリアがマギの一族なら、彼女の子孫も確実に魔女として殺される。だから、マグダラのマリアの存在を、マグダラのマリアを滅ぼそうとする悪魔の教会と、彼女を守ろうとする神の教会の双方が、それぞれ別の理由でひた隠しにして来た。末の日になって、ようやく真実が明らかにされるタイミングを迎えたのです。マグダラのマリアに関する秘密を公開しても、彼女の子孫は殺されることはなくなったから。その1つがダ・ヴィンチ・コード↓。


マグダラのマリアのシンボル五弁のバラ=五弁木瓜紋

 マグダラのマリアの直系子孫は、前回書いたように女八咫烏で歴史の表には出てきません。しかし、子孫は繁栄しているので、八咫烏の集団の中だけで隠すのは難しい。それで、特別な才能を持った女系子孫は、有力者の娘として育てられ、その才能を発揮してきたのです。和歌や文学などで。

 そのような、マグダラのマリアにつながる女性は、当然ながら真実を知っています。秘密を守ることは女性に死ねというのと同じ。それで、一般にはそうと分からないように、隠語を使って歌を作ったのです。その目的は、新約聖書の失われた部分の補完にあります。新約聖書と呼応している歌が多いのです。

 例えば、『万葉集』の代表的女性歌人の額田王(ぬかだのおおきみ)。女性なのに王です。変だと思わない方かおかしい。天皇の家系なら皇女ですから。

 額田王の代表作は、天武天皇とやりとりした紫野の歌。この時の額田王は、天武との間に出来た二人の子を残して、ライバルである天智天皇の妻であったとされています。いい年したオバサンです。『万葉集』巻一の20-21より、20が額田王、21が天武作とされる。

20 原文 草指 武良前 標野行 野守者不見哉 君之布流
読み下し あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る

21 原文 草能 尓保敝類妹乎 尓有者故尓 吾戀目
読み下し 紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも

 一般に、兄の人妻となった元妻との恋の歌とされていますが、イエス磔刑と墓での出来事を知っていれば、これはマグダラのマリアとイエスの今生の別れの歌と分かります。マリアは、復活したイエスの袖を掴んで泣きながら離さない。イエスは途方に暮れながらも、胸が張り裂ける思いで袖を振りきって去った。

 茜はArcaneと書いて秘儀のこと。また、イエスの流した赤い血を指します。イエスが刺されたから「指」。紫はイエスが兵卒に着せられた紫の上着。イエスは一度死んだから「逝」という文字が使われているのです。標野は禁断の場所で野守は番人。マグダラのマリアとイエスの別れの時に、目撃者(野守)はいなかったのです。

 21番の歌は、イエスの立場で詠んだもの。こちらの紫はマグダラのマリアのシンボル五弁のバラ=五弁木瓜紋。薔薇は匂いが強いから、匂える妹(亥も)と呼んだのです。実際に、マグダラのマリアはバラの香水をかけていたと思います。妹は、そもそも、女+未艶(マリアの漢訳)です。歌の人妻とはイエスの妻という意味です。

 苦は、ラテン語の十字架にかけるを意味するcrucifigerent(クルシフィジェレント)、英語でcrucify(クルシファイ)で分かるように、苦しいの語源は磔刑にあったのです。有る者とは、「私は在る」と言ったイエスそのもの。八もヤハウェ=イエス。

 紫式部は、この歌の秘密を知っていて、紫とか儀式の式とか、イスラエルを意味する部(トリブ=部族)を名前にしたのです。紫は「此の糸」で、逆読みすると、マグダラのマリアとイエスを干支で表した亥の子が出る仕組み。本名に香水の香の字が付くという説あり。

 紫式部の娘、大弐三位は異常に地位が高い。これもマグダラのマリアの子孫なら当然。さらに、百人一首のも、アリマタヤのヨセフ(亥年生まれのマグダラのマリアの父親と推定)が有馬と笹と吹くで表されています。

有馬山 名(ゐな)の原 風けば いでそよ人を 忘れやはする

 この歌の「吹」は、隠すを意味する伏せるの暗号です。そよ人とは、優しくて蘇った人=イエスという意味。マグダラのマリアの心情を歌っているのです。イエスを刺した百卒長にかけて百人一首。百卒長とイエス一人の首。和歌が首で数えられるのは、十字架上の罪状書きが三十一文字で、八咫烏の隠語で首と呼ばれるからです。

 天皇とは、マグダラのマリアの女系子孫を皇后にした人。そういう意味合いから、藤原不比等は、マリアの子孫の橘三千代を妻にし、その娘を天皇の皇后にする作戦を採ったのだと思います。マリアの血が薄まれば女八咫烏から補充しつつ、代々とマグダラのマリアの血を絶やさなかったはず。それもラストエンペラーの時代で役割を終えますけど。

 なお、今回もバレーボールからヒントを貰いました。JAぎふリオレーナの佐々原和(のどか)選手。ずっと佐々原が気になっていたのです (;^ω^)

4日20時 追加

 額田王とは、額には礼拝するという意味がある。田を分解して「十字架の口=イエスの言葉」に額ずくこと。イエスの言葉に額ずく王では意味が曖昧。従って、区切りを額・田王とすれば、田王は十字架の口の王でイエスそのものとなる。要するに、イエスに額ずくという意味が額田王。

     平御幸(Miyuki.Taira)
コメント (9)
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