平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

えーと、掛川、徳川

2016-06-05 23:23:27 | 古代史と聖書
 ようやく豊橋から帰って来ました。いろいろとありましたが、断言できることはただ一つ。女神の祟りの力が何倍にもなったことです orz

 試聴会の期間中、スワローズは5連敗。それも逆転満塁弾を食らったりの悪い負け方ばかり。今日は帰りに、徳川家康ゆかりの静岡浅間神社に立ち寄ってきました。しかし、前日に書いたような5日最終日の企画展はなく、最終日だったのはホタル鑑賞会でした。ホタルなら試聴会のアンプでホタルLEDを見ています (;^ω^)

 昨日は蒲郡で夕食会があり、その帰りに読者のタブレットで確認した程度でノリノリの静岡浅間(あさま)神社の参詣となりました。静岡浅間神社の本宮は2つあり、木花開耶姫(このはなさくやひめ)を主神とする浅間神社と、大己貴命(おおなむちのみこと)を主神とする神戸(かんべ)神社です。

 ところが、今日行ったのは本殿からはるかに南端の大歳御祖(おおとしみおや)神社だけで、あとは賎機山古墳(しずはたやまこふん)と神社に隣接する静岡市文化財資料館だけ。静岡市文化財資料館で常設の「徳川家と静岡浅間神社」は昔の企画展の一部みたいです。

 案内の読者は勘違いに気が付いてメールを寄越しましたが、伊勢神宮も外宮を参拝した後に内宮の参拝と決まっているように、順番に何度も足を運ぶのが良いのだと思います。何度も足を運ぶことで神様も喜ぶというもの。その証拠に、雲間から太陽が柔らかな日差し。資料館から出た直後のお天気雨も同じです。

 浅間神社の木花開耶姫はヤコブの妻ラケルがモデルなので、豊橋で食べたウズラがヤコブのシンボルであったのと同じく、ヤコブと妻ラケルの導きがあったのです。ちなみに、ウズラはウヅラが正しく、大きな顔という意味で、ヤコブのエジプト名クフのヒエログリフに用いられているウヅラは、クフの正体がヤコブであることを暗示しているのです。

 試聴会2日目に渥美半島の田原市を通過しましたが、途中でウヅラの養殖場を見たのもヤコブの導きです。また、鬼祭の安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)に見える神戸神社が静岡浅間神社にもあった。恐ろしいほどシンクロしているのです。

 今回の試聴会は、会場の外観が巣箱スピーカーと相似形の五角形で、裏に鬼祭の安久美神戸神明社があり、翌日訪れた御幸神社も鬼祭があった。この結果、何が起こったかいうと、女神の祟りの威力倍増です (;´Д`)

 白状します。昨日に行った豊川稲荷で瓦の葺き替えの1500円を奉納しました。「願い事、名前、住所」を書く紙を渡されたのですが、願い事は書かないで空白にしました。そうして帰ったら、JR豊川駅のホームのベンチに小柄で細い若い女性がぽつねんと座っていました。何となく狐の化身みたいで、浮世絵風の美人です。時間が経って少し人数が増えた頃に豊橋への列車が到着。空いたドア側の席に僕が座ると女性は後ろ向きでドア(僕)の横に。

 そこで、心の中で狐様の化身ですかと訊ねたら、その女性が90度角度を変えて僕と同じ方角を向きました。それではとスマホを取り出し、佐藤あり紗さんの写真を画面に出したらプイとまた後ろ向き。やはり化身のようでした。夜にスワローズが逆転負けするのも当然 orz

 実は、豊橋を発つ前に、同行読者3名と新幹線の改札の中にある待合室で時間潰しをしました。ここでまたウヅラの登場。売店にうずらプリンと書かれています。それで売店で日持ちするか訊ねたら、売店の茶髪のお姉さんが大丈夫と言って、矢先に売り切れだとがっかりしました。それでアイスココアにしたのですが、お姉さんは金属製のシェーカーを床に落とす不始末。これは既に女神の祟りの影響で、静岡でスワローズの試合結果を確認したら9-14でオリックスに負けていました。

 スワローズの失点が徳川の「徳」に見える「十四の心」の14。スワローズの得点はトク(十九)の9点。何と、14はヨセフの子マナせとエフライムを加えた、ヤコブの子供に数えられる数と同じなのです。

 これと同じ構図なのが、徳川家康と14代の将軍。家康がヤコブで、後の将軍はヤコブの子に見立てられているのです。だから、葵の御紋の三枚の葉は徳川が300年で終わることを予言したもの。葉が1枚で100年と予定されていたのです。

 しかし、この予言は家康が仕組んだものではなく、おそらく八咫烏の一人である、天海僧正(別名・明智光秀)が仕掛けたのだと思います。元々、徳川は源氏の末裔である群馬の得川(えがわ)の子孫という言い伝えとは無縁で、本当は「仕掛けられた謎を解く側」という意味でトクガワを名乗らされたのです。

 この推理が成立するには、逆に「謎を仕掛ける側」という名前も先に必要となります。それが川の三河よりも東の掛川なのです。掛川とは「謎を掛ける側」という意味で、八咫烏が鎌倉時代の掛川の地名を利用したことになります。もう少し踏み込めば、家康が幕府を開いた江戸も「えーと?」という謎への問いかけを表している。

 家康の名前も、家はエジプト語でパル、康はク・オウと読んで、続ければ王という意味のパルオー(ファラオ)になる仕組みなのです。ツタンカーメンのホルス名はネブ・ケペル・ラーですが、このネブが日本語で信などのノブ。ツタンカーメン前後にイスラエル=日本人の出エジプトがあったのにかけて、最後の将軍が慶喜(よしのぶ)だったのです。明治維新は出エジプトに見立てられていたから東(東京)へ向かう必要があった。


大歳御祖(おおとしみおや)神社の紋章
どう見ても古代エジプトのロータスです


 静岡から小田原に着いて急行で本厚木へ。途中で乗ってきて前の席に座ったのが、檀れいを崩した感じのなかなかの美人。そう思っただけで、この旅行から使っているタカチ製のキャリーが倒れて女性の膝下を直撃。大丈夫と言ってましたが赤くなっていました。絶対に倍増した女神の祟りです。だって、檀れいの旦那が相棒で神戸尊(かんべ たける)を演じた及川光博。神戸神社や安久美神戸神明社とシンクロとは、平謝り orz

 豊橋の売店のお姉さんに続き、前に座っただけで女神の祟りの被害者になるとは ((((;゜Д゜))))ガクガクブルブル

 そう言えば、豊橋で毎日通ったのがパンとドリンクのダンマルク。ここから檀れい似の女性が祟られたのかも。女神は妬む神として威力倍増間違いなし。願わくば、祟らない祝福の方でも威力倍増をお願いします。へいこら orz &愛してるよー \(^o^)/

    エフライム工房 平御幸
コメント (15)
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