平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

インリ~狐と油揚げ

2016-06-11 03:44:57 | 古代史と聖書
 豊川稲荷に行った読者が、何も知らずに奥の院まで数名で深入りしたとか。行くのは構いませんが、知ったら驚くようなことがいっぱい隠されていたのです (; ・`д・´)

 奥の院の奥については、『奥の奥義』で書いていますが、米の字のように八方広がりがギリシャ語のオクタで数字では8。米は、十字架を紀元として、紀元前のヤハウェと紀元後のイエスが同一のものであると表しているのです。八+八=米。

 豊川稲荷と伏見稲荷の違いは、豊川稲荷が荼吉尼(だきに)天を祀っていること。荼吉尼天はヒンドゥー教の恐ろしい人食いのダーキニーが元で、ダーキニーが仏に帰依して天部として祀られるようになりました。仏教は、人食いの鬼が反省猿してちゃっかり神になったのが多いのです (―_―;)

 荼吉尼天を横に置いて考察すると、稲荷の本質はインリにある、随分前から唱えられてきた説があります。インリとは、ラテン語のIESUS NAZARENUS REX IUDAEORUMの頭文字のINRIで、意味は「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」。この神聖四文字から、2文字目のNをナザレのNAにするとINARIとなり、見事にイナリになります。詳しくはこちら

 しかし、これだけでは稲荷の狐やお供えの油揚げを説明できません。よく考察されたサイトでも荼吉尼天の眷属の狐と安易に解釈しています→こちらとか。

 実は、キツネは木常と書くことが出来ます。木つ根では、木の根に穴を掘って棲む狐になりますが、木常だと生命の樹そのものになります。常=永遠だから、永遠の命を授ける生命の樹の意味になります。

 ここまで分かればあとは簡単。イエスが木に掛けられたことで、人は永遠の命を得る道を歩むことが可能になった。イエスが言う「生命の水」が永遠の命を保証する。また、イエスは油注がれた者という意味のインマニュエルとも呼ばれる。ここから、油で天に上げられるから油揚げが供えられるようになった。御父に由(よし)とされた生命の水だから、水+由=油 (@_@;)

 徳川家康は鯛の天プラの食べ過ぎで亡くなったと言われますが、カッバーラ的には、油で天に上げられるレベルまで悟りを開いたという意味になります。天ぷらは、上げると同音の揚げるものですが、天に上るための油を注がれた者という真の意味を知れば、天ぷらを上げるで問題はないと分かります。

 奥の字は、外の形が五角形で中が米。これは、五角形でINARIの五文字を表していると見れば納得できます。奥の院の院はインリを指し示していた。無闇にありがたがって行くところではないのです。十字架を担う覚悟次第 (;^ω^)

 僕の本名も、「ユダヤ人・キリスト・王」の頭文字の組み合わせで、足りないのはナザレですけど、やはり神聖三文字としても全く足りないと実感しています。ナザレは意味不明とされているので、この謎が解けたら、ナチの偽救世主「インマニュエル ナチ 王 インターナショナル」に対抗できるかもしれません。666に象徴される「ナチスの油注がれた世界的な王」はもう少しで出現です。

 なお、一昨日は天ぷらそばと天ぷらうどんを作って食べたので、ピコーンはあったにしても天ぷらはしばらくはご遠慮です ( ´З`)=3 ゲップ


    エフライム工房 平御幸
コメント (14)
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