平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

ラーメンとプリン

2013-09-27 07:32:35 | Weblog
 23日のテレビ東京で放送された「爆走!ポンコツ屋台ラーメン」。アルゼンチン、ボリビア、ペルーの3ヶ国を、ダイハツの軽トラックを改造したラーメン屋台で走破するという番組です。現地で調達した食材で作ったラーメンを売りながら諸経費とし、ウユニ塩湖やマチュピチュなどにも足を伸ばすハードな旅程です。さすがは金のないテレ東。

 この番組の中で、現地の小麦に苦労するシーンが出てきます。パサパサでこねるのに苦労したり、全粒粉でラーメン向きでないなど、ほとんどスープパスタと変らない出来のものもありました。それでピコーンと来たのがラーメンのルーツ。

 ラーメンは漢字で拉麺と書きますが、元々は小麦粉を練って手で引き伸ばしたものを指します。包丁などで細く切ったものは拉麺ではありません。また、小麦を練って伸ばしたものが麺で、餃子の皮も麺なのです。拉麺のルーツはウイグル族の暮らす中国西部にあるとされていますが、ここに疑問の余地があります。

 というのも、拉麺の拉はラテンを指すからです。拉丁と書いてラテンです。李家正文(りのいえ・まさふみ)著『天平の客、ペルシア人の謎』の中に出てきます。9世紀の唐で弾圧された景教(ネストリウス派キリスト教)について、弾圧前に作られた景教碑に由来が書かれています。李家氏は、736年に帰国した遣唐使の中に李密翳(り・みつえい)という名前を発見し、これをルーツとして様々な考察を行います。

 僕は古代史の中で、「埒(らち)が明かない」の「らち」をラテン語として説明しています。ならば、ウイグル(回教=イスラム教)の食べ物である拉麺もまた、ラテンの意味を有している可能性が高いのです。また、パスタの小麦もイスラム経由という説があり、定説のように中国の麺がパスタとなったわけではないようです。ラテン風の麺だから拉麺なのかもしれません。

 『天平の客、ペルシア人の謎』の中に、古代ローマの名前についての考察があります。景教碑に書かれる大秦もローマですが、4世紀にコンスタンティヌス帝が東ローマを独立させると、西ローマも拂菻(プリン)と呼ばれたと書いてます。でも、プリンはコンスタンティノープルなどのノープルを漢字にしたもので、西ローマがノープルで呼ばれたことはないので、東ローマがプリンでなくてはおかしいですね。

 なお、ローマは紀元前の漢では梨軒、後漢時代には大秦国、晋から唐代には拂菻国と呼ばれたとあります。景教碑によると神は阿羅訶(あらか)で、ヤハウェよりはアラーですね。陰陽を意味する二気という言葉もあり、むしろ日本書紀の「陰陽(めを)分かれざる」に一致します。弥施訶(みしあ)はメシアで、室女はマリア。

 波斯と書かれるペルシャについて、『旧唐書』において女性は辮髪(べんぱつ)で(151頁)、波斯では犬や羊を食べるとあります。辮髪は満州族(清朝)の風俗として有名ですが、意外にもペルシャにルーツがあったのです。なお、高校野球で怪童と言われる安楽投手。この珍しい姓も、大秦寺があった長安の一画(一番下、左から四番目)に名前が見つかります。

    エフライム工房 平御幸
コメント (2)
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