平御幸(Miyuki.Taira)の鳥瞰図

古代史において夥しい新事実を公開する平御幸(Miyuki.Taira)が、独自の視点を日常に向けたものを書いています。

深浦その2~北前船

2010-07-03 20:44:33 | Weblog
 深浦というと、将棋好きには深浦王位ですが、深浦王位は長崎の佐世保出身です。深浦家が深浦出身かは分かりませんが、深浦を寄港地にしていた北前船によって、ご先祖が長崎に移住した可能性がありますね。

 北前船と長崎というと、越前の国・三国(福井県坂井市)の船祝い歌に「いざき」というものがあります。「いざき」とは水先案内人の事ですが、この祝い歌の節回しは、長崎県の馬渡(まだら)島から伝わったと考えられています。北前船によって歌も広まったわけです。

 北前船の長さは22m位で、クフの太陽船の約半分です。北前船の航海能力から、太陽船が外航を想定していたという僕の仮説は信憑性を帯びてきます。北前船は太陽船と同じく、船の先端が絞られた近代的な形状をしています。太陽船の先進性を物語るものです。北前船は、ロシアなどからの交易品をもたらし、大陸が身近な存在であった事を証明しています。でも、大陸と日本は、海があってもそれほど離れていないのかもしれません。

 日本の文化の中心は、奈良から京都に移り、そして近代では関東に移りました。しかし、古墳時代以前には、西日本は人口密度が低く、人が住むに不適切な天災などが多かったと推測されるのです。僕は、西日本全体が移動する、大規模な地殻変動が頻繁にあったと睨んでます。これが古代史の第四部・邪馬壹国編のテーマなのですが、その中で古地磁気学について考察しています。

 古地磁気学とは、岩石にプリントされた古代の地磁気を調べる学問で、平安時代に地磁気が大きく変化した事が分かっています。実は、この地磁気の変化と平安時代の大飢饉はシンクロしていると考えられるのですが、もうひとつの因果関係が青森にもあったのです。それは、十和田湖を形成した火山の爆発です。


  ↑方位磁石のN極が指し示す方角の変化
  古代には方位磁石が役に立たなかった事が分かる

 十和田湖は今でこそヒメマスで知られていますが、これは苦労して養殖した人工の産物です。昔は魚の住まない湖として有名だったのです。では、平安時代に十和田湖が出来るほどの噴火があり、それが大飢饉に繋がったのか?答えはノーです。意外な事に、大飢饉の原因は北朝鮮と中国の国境にある、白頭山(中国名・長白山)の噴火がもたらした物と考えられます。そして、十和田と白頭山の噴火は同時に起こっていたのです。それがまた起ころうとしているのです。

 このように、近い将来に遠く離れた二つの山がシンクロして噴火するとき、大飢饉をもたらす噴煙が観測されるはずです。最近でも、十和田周辺では毒性の強いガスが噴出して、死に至る人的被害が発生しています。これが警鐘としての前触れなのか、それを確かめるためにも、近いうちに僕は十和田も訪れなくてはなりませんね。岩木山が見られなかったのも、まだ十和田に噴火の兆候が現れないから、「もう少し先に訪れよ」という天のメッセージかもしれません。

      エフライム工房 平御幸
コメント
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