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2012年12月26日 大分・熊本旅行 3日目(その2)

2013年01月01日 23時36分32秒 | 旅行

熊本城は、加藤清正が築城し、石垣が有名、程度の予備知識しか持たずに熊本城に向かいます。

 

 

 

入り口は何箇所かありますが、メインゲートというべき、西側の頬当御門から入場します。

正面には大天守と小天守が、聳え立つという表現がぴったりです。残念ながら明治時代に焼失してしまい、現在の天守はコンクリート製です。が、外観はほぼ原型通りのようです。

 

 

 

 

振り返ると宇土櫓。こちらは焼失を免れ、創建当時の姿を現在に伝えています。

 

宇土櫓は中に入ることができますが、中は五層あり、これだけでも並みの城の天守閣に近い規模です。

 

 

ところで、天守は目の前にありますが、西側からは天守に登ることはできません。天守に登るためには本丸御殿下の地下通路を通らなければなりません。敵の侵入を妨げるための仕組みだそうで、他にも不揃いで段差の大きい階段や、石垣で見通しの効かない迷路のような通路など、いたるところに見ることができます。

 

 

地下通路を抜けて、天守前広場に出ました。手前が銀杏城の由来となった大銀杏の木です。

 

 

 

ところで、熊本城にも、「おもてなし武将隊」が存在します。他所と異なるのは、武将と家来、の構成ではなく、加藤清正と同時代の武将たちで構成されていることで、福島正則とか糟屋武則といった、賤ヶ岳七本槍も登場することです。

 

丁度、演舞の時間だったので、演舞の後決めポーズをとってくれているところ。

 

 

唯一の女性は、加藤清正の次女、八十姫さまですが、

 

すごくかわいいです。

 

 

 

 

このおもてなし武将隊、演舞をするだけではなく、城内を1人ずつ歩いていて来場者に挨拶をするなど、結構地味に働いています。

 

 

 

演舞を見た後、大天守に登ります。宇土櫓は靴を脱いで、階段も急なので大変でしたが、こちらは靴のまま、普通の階段を登って行きます。

 

天守最上層から阿蘇山方面。周辺には結構高い建物もありますが、それ以上に高い場所にあるためまったく眺望を妨げられません。

 

 

 

 

 次は、やはり再建された本丸御殿を見学します。

 

 かなり広いですが、これでも当時の1/3の規模だそうです。

 

奥が「昭君の間」。藩主の部屋だったとのことですが、豊臣秀頼を迎えるための部屋だったとの説もあります。

 

 

 

 

 

来場者をおもてなしする武将。

 

 

 

 

これは二様の石垣。右側の、下部の勾配の緩い方が加藤清正時代、左側が後の時代の建造だそうです。

勾配が異なるのは技術の進歩によるもので、石垣の勾配が急なほうが、上に大きな建物が建てられるためとのことです。

 

 

 

 

それにしても、熊本城、城というよりは要塞と言ったほうが良いかもしれません。日本の城のなかでもっとも実戦向きなのは間違いなく、ここに豊臣恩顧の加藤清正がいることは、徳川にとって大きな脅威だったことでしょう。

 

ただ、加藤家は改易されても城は残されたのは、薩摩に対する防御の意味があったのでしょう。それは、徳川幕府が終わって明治になってから、西南戦争で効果を発揮することになるのですが。

 

 

 

 

熊本城見学はこれで終わりですが、帰りの飛行機まで少し時間があるので、熊本市電に乗ってみました。

熊本市電は全区間150円均一料金で、他の都市の公共交通機関に比べかなり安い設定となっています。

ただ、平行する道路には多くのバスが走っており、結構バスに追い抜かれますが。

 

 

 

今回は熊本城だけしか訪れませんでしたが、熊本の繁華街も面白そうで、こちらもまた着てみたいと思いました。

 

 

 

熊本空港に向かうために熊本城の駐車場に戻ってくると、熊本城の上に月が出ていました。

 

 

 

 

 

                                     <おわり>

 

コメント
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