仁淀川日記
土佐を流れる清流・仁淀川や、高知の自然、身の回りのできごと、日常の風景を写真で紹介




高校の履修不足が大きな問題となっています。多い学校では、卒業までの5ヶ月で350時間もの授業を追加しなければならないところもあるようで、現実的には不可能ではないでしょうか。


また、もしそのような追加授業を行ったとしても、その内容はいかがなものでしょう。本当に生徒はそれについて勉強するのでしょうか。授業の理解具合を確かめるために試験を行うのでしょうか。単に出席を取るだけに終わってしまうのではないでしょうか。

高知県内では県立高校では問題は無かったようですが、私立高校で同様の事例が報告されました。
高知県では、私立校を選択する生徒はほとんど、大学進学を希望しています。このため、進学を前提としたカリキュラムを取っているために必須科目を減した授業をしているようです。


高校、大学や専門学校に通う生徒は、卒業後の進路を考えて入学しているとは思います。しかしそれが特定の目的のために、本来、学ぶべきである広い教養を犠牲にしていたとすれば、生徒達にとってももったいないことだと思います。
でも、インタビューに応じていた高校生は、大学受験・入学が目的であり、それに必要でない授業は要らない、補習があっても他の勉強(?)をすると言っていました。


かつて、個人的に頼まれて調査書の評価を書き換えて問題になったことがありましたが、今回は学校ぐるみ、あるいは所轄機関をまで巻き込んでの虚偽記載にも発展していきそうです。可哀想なのは生徒達ですが、はやく正常な状態(学校)に戻ることを祈ります。

コメント ( 3 ) | Trackback ( )



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コメント
 
 
 
Unknown (NIKON∞)
2006-10-28 16:01:59
いい眺めですね。。。コメント中の履修不足の件ですが,今,改革ということがしきりに話題となっています。その改革が真に住民本位のものとなっているのかどうか。。。介護保険然り。郵政民営化然り。教育改革も然り。世界史必修が敷かせとなってのことでしょうが,世界史必修って本当に意味があることなのか???かたや,小学校では英語より国語だ!といわれてます。古典教材も導入しようという動きです。世界のことを知ることも大切でしょうが,今の高校生,母国のことをどれだけ知っているでしょうか???
 
 
 
未履修問題 (k.oto)
2006-10-30 11:05:07
事はかわいそうなどという問題ではなく、公文書偽造であり、職務規律違反の犯罪です。教育の中がこんなんで、子どもの教育が出来るはずがありません。きちんと犯罪としての責任をとらせ、生徒は確かに犠牲者ですが不足単位を、1年留学してでも履修させるべきです。ズルして大学生になっている者にも、さかのぼってでも、不足単位を履修させるべきです。それがケジメというものです。文部省時代から、教育現場は腐敗していたと思っています。しかし、少なくとも法治国家を自認している日本です。時代の変化に合わせて法を変えていくことは必要ですが、違法なズルを許しては社会規範が崩れますし、現に崩れています。「隗より始めよ」という言葉は、「隗」が規範を示して初めて意味をもちますが、今の大人、ことに政治家や役人、警察、教師など公職にある人達の悪事を許すことがまかり通っていますから、こども達はそれをみて育っていくのです。

美しくないです。美しい日本は大人の社会がきちんとした規範を示すことから始めないといけません。教育改革は教育内容の改革ではなく、教育に携わる大人たちの改革、文部行政にかかわる役人たちの改革でなければなりません。
 
 
 
公文書 (aigen)
2006-10-30 23:06:50
>NIKON∞さん

安倍首相になってから教育基本法改革の論議が活発になりました。教育現場の問題をみていると、何とかしなくてはいけないと痛感します。

愛国心云々も議題になりますが、その前提として人を愛することや敬うこと無くしては愛国心も無いと思います。特に、親を敬うこと、これが一番大事だと思います。

しかしその一方で、親に愛されない、虐待される子どもがいるニュースを聞くたびに胸が痛みます。



>k.otoさん

おっしゃるとおりです。

大学入試のときに提出する調査書の採点を書き直した校長(だったと思うのですが)が公文書偽造で処分を受けたことがあります。

今回はそれ以上に、履修もしていないものを単位として認定していたのですから、これはもう、学校だけでなく県教委を含めて確信犯的に行っていたのでしょう。

誤って済めば法律は要らないと言いますが、今回の問題はそんなことで済ますわけにはいかないでしょうね。既に卒業した生徒に対しても、実際には卒業資格を有していないのですから、その取り扱いが苦慮されています。

”教育”とは”教えて育てる”ことです。かつての軍国主義や今のある国のように、偏った教え(それが偏った考え方なのかどうかという判断も難しいですが)を教え込むのも問題ですが、”美しい国”を目指した欲しいです。



校長先生が自殺しました。死者にむち打つことはしたくありませんが、教育者として自殺を選ぶべきではありません。

いじめは何時の時代でもありましたが、それによって今は自殺をする生徒が増えています。

いじめは良くありませんが、それ以上に”死”を選ぶということを認めてはいきません。いじめをなくすためにも、絶対に死んではいけないと言うことを教えて欲しいものです。
 
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