~ これは40年以上使っている私の教科書 ~
高校の修学旅行で京都、奈良の神社仏閣の見学をし、それがきっかけでお寺の虜に。
若いのに何故こんなにお寺好むのか?それは当時良く分からなかった。
友達はユースホステルを使って、北海道だの与論島だの遠くに遊びに行っていた頃
私はせっせとお寺巡りに没頭していた。
京都、醍醐寺の長い上り坂を黙々と上っていた時、年配の団体さんとすれ違ったことがあった。
口々に「若いのに偉いなあ!」「まだちょっと上らなあかんで!頑張りや!」などと
激励を受けながら、泣きたい気持ちを我慢しながら本殿まで辿り着いたこともあった。
ある時には、清水寺の下方にある小さなお堂に、吸い込まれるようにして入った時には
そこが偶然にも自分の歳と同じ19歳の厄除けのお堂だったと知り、これが仏縁というものか、と
嬉しく思える出来事もあった。
何故若くしてそんなにお寺が好きだったのか?との答えは今でも良く分からないが、
少なくとも、それからの何十年という人生の歩みの中で感じた事柄のエキスのようなものを
当時の私はそれらのお寺の佇まいから感じたのだろうと思えるのである。
赤ちゃんが自分では喋られないが、いろんなことが本能で分かっているように、、
高校の修学旅行で京都、奈良の神社仏閣の見学をし、それがきっかけでお寺の虜に。
若いのに何故こんなにお寺好むのか?それは当時良く分からなかった。
友達はユースホステルを使って、北海道だの与論島だの遠くに遊びに行っていた頃
私はせっせとお寺巡りに没頭していた。
京都、醍醐寺の長い上り坂を黙々と上っていた時、年配の団体さんとすれ違ったことがあった。
口々に「若いのに偉いなあ!」「まだちょっと上らなあかんで!頑張りや!」などと
激励を受けながら、泣きたい気持ちを我慢しながら本殿まで辿り着いたこともあった。
ある時には、清水寺の下方にある小さなお堂に、吸い込まれるようにして入った時には
そこが偶然にも自分の歳と同じ19歳の厄除けのお堂だったと知り、これが仏縁というものか、と
嬉しく思える出来事もあった。
何故若くしてそんなにお寺が好きだったのか?との答えは今でも良く分からないが、
少なくとも、それからの何十年という人生の歩みの中で感じた事柄のエキスのようなものを
当時の私はそれらのお寺の佇まいから感じたのだろうと思えるのである。
赤ちゃんが自分では喋られないが、いろんなことが本能で分かっているように、、