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私的美遊空間

美しく愛しいものたちへのつぶやき

雨後の楽しみ♪ 大っきな水玉小っさな水玉 ♪

2017年05月12日 | 「いと をかし」なものたち

うわあ~♪ ま~るくて大っきい水玉だ~♪
嬉しくなっちゃうねえ

自分の顔が映るほど、大きくて、澄んでいて
近くの水玉も呑み込んで、もっと大きくなる様子
いったいどこまで大きくなれるのかな

ずっと見ていたい大きな水の玉




こちらは、降ったままの雨粒が、そのまま水玉になったよう
大きいのやら小さいのやら
お行儀よく並んで、可愛いね♪

少女の頃大好きだった「水玉模様」は
実際に存在していた!と大発見!

母が作ってくれた水玉模様のワンピース
脳裏に鮮やかに浮かんできた
懐かしいなあ・・・




葉脈にちゃんと収まって、お隣さんを呑んだりしないんだね
どうか風さん吹かないで!とお願いしないとね




こんなに傾いていても落ちないね
水玉が雫形になって、光を受けてきれいになりました

虫のフンはご愛敬だね
取ってあげたいけど、頑張ってる水玉が落ちちゃうからね

水玉は天からの素敵な贈り物




* バイクにその名前はやめてよ *

2017年03月30日 | 「いと をかし」なものたち

~ これは私の若き日の恋人 ~

その名は " コウタロウ "
下宿が駅や街から遠かったので(男子禁制の下宿・・・叔母の差し金)
自転車代わりに便利に使っていたバイク。



学生の内に車の免許を取ろうと、父に頼んで20万送ってもらったが、
自動車学校への手続きをぐずぐずしている内に、
いつの間にか全部使ってしまって、結果的に父を騙したことになった。

でも、父にはそのことは話さなかったので、
きっと取得済みだと思っていたと思う。

そして、ある夏休みに帰省した時
「ねえ!お父さん!バイクの免許取ってもいい?」
と恐る恐る聞いてみると

「おお!いいぞ!行って来い!」
意外にもあっさり許可が出たのだった。
そして、この時には、父の気が変わらない内に
さっさと手続きをして入学した。



入学した日に、教官が「どの大きさのに乗りたいんだ?」と聞くので
「はい!ナナハンに乗りたいです!」と喜んで答えると

「じゃあ、このバイクを端から一台ずつ起こしてみろ」というので、
まずナナハンから起こしてみようとしたが、びくともしない、
次々起こそうとするが、どれも起こせずに
結局起こせたのが150ccのバイクだった。

そこで教官が言った
「自分で起こせないバイクには乗れないでしょ!」と。
全くその通りだと思って、
素直に150cc以下の小型バイクの免許を取ることになった。



そして、めでたく免許を取得して、買ったのがこのバイク。
友達からカンパしてもらって中古を手に入れた。

下宿の自転車置き場に入れていて、ある朝乗ろうとエンジンをふかすと
おばさんが出て来て
「なんだ越後美人ちゃんのだったの?」
「はい、私のですけど・・・」
「誰か男の子を泊まらせているかと思ってたわ!」
なんて事があったりした。



そして
ある時、バイト先のマスターが
「あれは越後美人ちゃんの?」と聞くので
「はい、私のです、コウタロウって名前なんですよ!」

「エッー!コウタロウって?!」
「そうですけど、何か悪いですか?」

「その名前やめてくれない!」
「エッー!気に入ってるんですけど、なんでですか?」

「その名前ねえ、ぼくんちの息子の名前だからよ!」

「はっはっは~、そうだったんですか~」

な~んて、笑い話もあったりした。
でも、結局、このバイクの名前はずっと
"コウタロウ"だったけどね



頑固な花入れと寒咲アヤメは如何に?

2017年03月21日 | 「いと をかし」なものたち

これは、父が元気な頃に、どこかで買ってきた花入れで、
「お前にあげる」と言って渡してくれたものである。

* * *

父は骨董品や美術品が好きで、いろいろと買っては来るが、
実際に自分で使うことは無く、ほとんどの物をしまい込み、
時々出しては眺めて楽しんでいた。

そして、しばらくすると飽きるのか、あるいは満足するのか、
「欲しければ持って行きなさい」と言って、
最終的に
私に手渡すのを楽しみにしているようだった。

* * *

この花入れは、黄銅に銀のメッキをしたもののように思われ、
年を経るごとに鈍い光が感じられるようになった。

姿は父の性格に似て、どこか"頑固"な意思を感じ、
何かを主張しているように思えるのである。
従って
飾って、この花入れだけを鑑賞するのには何の問題もないが、
いざ花を入れようとすると、ほとんどの花が似合わないのである。
それで今までこの花入れは、
花入れであって花が入れられたことが無かった。




それでも、せっかく父の形見なのだから
何とかお稽古の時に茶花を入れて、活用したいと思って、
庭で見頃になっていた寒咲アヤメを入れてみた。

お稽古の人たちと、「どうもこの花入れは難しくて、
どんな風に花を入れたらいいのか分からないのよ~」
「何か良い考えはない?」

結局、この花入れを使いこなすのは"今後の課題"となり、
父が最後に、私に遺した宿題になったのである。




新年はウィーンフィル・ニューイヤーコンサートから♪

2017年01月02日 | 「いと をかし」なものたち

一年間待ちに待ったニューイヤーコンサート。
これを見ないことには新年を迎えた気分になりません。



今年の指揮者は、まだ35歳の若きマエストロ、グスターボ・トゥダメル。
南米ベネズエラ出身で、明るい笑顔と、踊るように跳ねるように、
楽しそうに指揮をしていた姿が微笑ましく魅力的だった。

選曲や演奏は、全体的に軽やかな感じ。
それと、初登場の曲がたくさんあって目新しかったし、
「ウインザーの陽気な女房たち」から「月の光」の合唱は
荘厳な雰囲気でとても良かった。

この合唱は「ウイーン楽友協会合唱団」によるもので、
この合唱団がニューイヤーコンサートに出演するのは
とても珍しいのだとか・・・すごく得した気分♪

2012には、ウイーン少年合唱団が出演して、とても良かったし、
人間の声は、人が作り出した楽器とは違った美しさがあって、
楽器ばかりでなく、合唱が入るのは良いものだと思っていたので、
今回の合唱も、とても良い気分で聞かせてもらった。



さ~て、これで新年が始まりました。
今年はどんなことに巡り合えるのでしょうか。
楽しみです。



ストラップ * クマの花ちゃん *

2016年10月13日 | 「いと をかし」なものたち

あたしはクマの花ちゃん
いつもお母さんの携帯にくっついているの

ずっとくっついていたからお顔が黒くなったし
手とか足が取れそうになったこともあったの

でも、お母さんが直してくれたから、もう大丈夫
ちょっと下手くそで糸が出てるけどね




このクマの花ちゃんは娘からのプレゼント
もう5年も経ったかな

こうしていつも一緒にいると
豆粒のようなぬいぐるみでも
わが子のように愛しくなってきます

足の裏などは、ちょっと擦り切れてきたので
今度は可愛い靴を履かせてあげましょう

いつまでも一緒にいたいね
花ちゃん




* 南部蝉 しぐれ * 聴いて来まーす♪

2016年07月23日 | 「いと をかし」なものたち

いつ、どこで、は 秘密ですが、主人と行って来ます。
私は洋楽も好きですが、昔から演歌も大好きです。

特に歌謡浪曲で、二葉百合子の岸壁の母や三波春夫の紀伊国屋文左衛門など、
朗々とした良い声で歌われると、心にしみて感動するのです。

楽しみだった二葉さんは引退し、南さんは亡くなって寂しかったのですが、
その後継ぎとも思える、実力派の福田さんがデビューしてからは楽しみが出来ました。

主人のご先祖様は南部地方にゆかりがあって、この歌は特に贔屓にしている歌です。
伸びやかな歌声は素敵でしょうね。
楽しみに行って来ます。




この鳥の名前を教えて下さい♪私はあなたが好きですと歌っています♪

2016年04月30日 | 「いと をかし」なものたち

~ とてもきれいな声で、メロディーを奏でるように啼いています ~

時には「私はあなたが好きです♪」と聞こえることもあります。
胸はオレンジ色っぽい茶色で首回りはグレーに見えます。

他の鳥とはその啼き声の美しさは比べものにならないほどです。
ここ数年くらい前から姿を見せるようになった鳥です。




~ こちらは後姿です ~

用心深いのか、ちょっと物音をさせると逃げていってしまいます。
東京では「スキ、スキ、スキ♪」と啼く鳥がいると娘が言っていましたが、
それは、どうやらシジュウカラとか、、

こちらの鳥はなんという名前の鳥でしょうか?
ご存知の方がいらっしゃいましたら教えて下さい。

お待ちしておりまーす(^_-)-☆


思い出の九谷焼小皿を飾り皿に

2016年03月26日 | 「いと をかし」なものたち

~ この小皿は、関西から実家 (新潟 )に帰る途中に金沢で買ったもの ~

子供たちが小さい頃は荷物が多いため、移動の楽な車で帰ることがあった。
長時間の走行は子供たちの負担になるので、高速道路を途中下車して、
休憩を兼ねてそこで一泊し、ついでに観光をしたものだった。

この時は北陸道を走って金沢に寄った。
記念に買ったのがこの小皿である。




~ 飾り皿にしました ~

五枚揃いだったのが、普段使いにしていたため、
一枚また一枚と割れてしまい、
30年経った今、残ったのがこの一枚

当時を偲ぶ思い出の小皿
かけがえのない一枚の小皿
ずっとずっと残るように飾り皿にしました。





ドイツから届いたイースターカード♪

2016年03月24日 | 「いと をかし」なものたち

一昨日、ドイツの友人からイースターのカードが届きました。
カラフルに彩られた卵と、添えられたニワトリや花々が
幸せ感いっぱいに描かれています。



思いがけないカードの贈り物は、春の到来を喜ぶ心に、
さらに、温かな南風を吹かせてくれました。

ありがとう ダンケシェーン

友人から教えてもらいましたが、
イースターはイエス・キリストの復活を祝う日で、
ドイツではこのお休みに家族が集い、
庭に卵を隠して子供が探す「エッグハント」をするそうです。



「卵」は殻を破ってヒヨコが出てくるところから「復活の象徴」とされ、
卵の他にも「ウサギ」は多産のところから、「生命や豊穣の象徴」とされ、
卵と共に飾られることが多い、とのことでした。

イースターの日は毎年変わり、今年は25日~28日がそれに当たるらしいです。
復活祭は春の到来を祝う日でもあるようです。

~ * * * ~

※ ドイツの友人は日本人で、元々はブログで知り合ったブログ仲間でした。
彼女がブログを中止してからは、友人としてお付き合いをさせて頂いています。
こうしてブログを介して友達の輪が広がることは嬉しいことです。
人生で出会える人の数は限られていますが、良い出会いを頂いたと喜んでいます。


今年は木目込み人形のお雛様と花車で♪

2016年03月03日 | 「いと をかし」なものたち

~ 木目込み人形のお雛様 ~

次女から明後日に里帰りするとの連絡があり、慌ててお雛様を出しました。
ぐずぐずしていて今年は大きなお雛様を出しそびれてしまったので、
簡単に出せる木目込み人形のお雛様です。

昔、短期の木目込み人形の教室があって、そこで教えてもらいました。
高さ15cmの可愛らしいお雛様で、ケースに入れることが多いのですが、
今年は下駄箱の上に置いてみました。
これなら我が家の男性陣の目にも触れることでしょう♪




~ 花車 ~

こちらは御所車に花を盛り合わせた花車です。
お雛様が小さいので、これで少し華やかさをプラスしてみました。

女性はいくつになっても可愛いものやきれいなものが好きですからね。
いつもは主人と息子ですから、こういったものを出してもなんのリアクションもありませんが、
今年は次女が見てくれると思うと、それだけで嬉しくて出した甲斐があります。

さて、明後日は次女と久しぶりによもやま話でもしましょう、楽しみです♪

昨年のお雛様




ポチのお母さんのお母さん

2016年02月18日 | 「いと をかし」なものたち


                     これは我家の愛犬「ポチ」である。
                     柴犬の雑種(女の子)で、我家に来る前は裏山の一人暮らしのおじいさんに
                     飼われていた。
                     おじいさんが亡くなり、ポツンと取り残されていたこの犬を不憫に思った
                     通りがかりの人達がエサを与えていたらしい。

                     その後、おじいさんの家は取り壊され、犬小屋もどこかに持っていかれてしまった。
                     そして、鎖をはずされ、そうとう野良犬になってしまったのである。


                     ある日、家族で山に散歩に行った時だ。その犬がおじいさんの家の前から
                     山の上までずっとついて来た時があった。

                       「このまま家までついてきたらどうしよう」
                       「そうやね、困るね」

                     そう言いながら、又おじいさんの家の前まで来ると、その犬はピタリと止まって、
                     お座りをした。
                     まるで私達を見送るかのように、じっと見つめていた。
                     振り返ってみると、まだこちらを見つめているのだった。

                       「あの犬かしこいなァ」
                       「そうやね、自分の家の前でとまったね」
                       「ついてこなくてよかったわァ」

                     など言いながら家に戻った。


                     その後、その犬は山から下りて、住宅地の中をウロウロするようになった。
                     とうとう食べるものがなくなり、下りてきたのだろう。
                     可哀想に・・・・ そう心を痛めていた時だ。
                     次女が息を切らしてかけ込んできて、

                       「お母さ-ん、あんね、またあの犬が来たんや!連れて来たらアカン?」
                       「アカンアカン、家では飼えないからね」


                     また数日後、次女が飛んできて、

                       「お母さ-ん、あの犬なァ、だんだんやせてきてるんや!可哀想や!」
                       「ウ-ン」(母困る)
                       「もう、お母さ-ん、死んでしまうわ、あの犬、連れて来てもええか?」
                        (もう半分泣いている)
                       「じゃあね、お父さんにお話しとくね」


                     そうして、翌日お父さんの許しを得て、次女は喜び勇んで、犬を迎えに行った。
                     しばらく探して、ようやく保護して帰ってきた。
                     その犬は知らない所に連れてこられて、居心地悪そうにしていたが、
                     次女は「良かったわァ」と喜んで犬をなでまわしていたのであった。
                     こうして、その犬は「ポチ」と新たに名づけられ、我家の一員になった。


                     数か月して、ポチが我家に慣れた頃、母が新潟からやって来て、ポチと対面した。
                     すると、ポチは母を見るなり、「ワンワン、ウ-ッ」と吠えたのだ。
                     それも仕方ない。我家の家族に慣れるのも数ヶ月がかかったのだから、
                     初対面の母を警戒して吠えたのは当然のことだった。


                     すると、母はポチの目をじっと見つめて、

                       「あのね、私はね、あんたのお母さんのお母さんなの」
                        (ポチはおとなしく母の言うことを黙って聞いている)

                       「だから吠えなくていいんだからね」
                        (ポチはじっと母の眼をみつめている)

                     それからというもの、母に吠えたことは一度もなかった。

                     ポチが賢かったのか、母がエラかったのか・・・・・
                     どちらにしても、二人の心がその時に繋がったのは間違いないのであった。

                     その後、ポチは18年の天寿を全うして天国へ旅立っていった。

2014-04-13

* * *

2月8日から始まった思い出深い記事再掲載10回目です。
2016-02-18


☆ミーミーはアイドル☆

2016年02月17日 | 「いと をかし」なものたち

あーい!みなたん、こんにゅちゅあ、あたちはミーミーでちゅー
はちゅかねじゅみのあかたんなのでちゅ
みるくのんだら、おいちいおいちいって、みーみーなくからミーミーでちゅ

みったんねーたんといーぱいあしょんで、こんあによごれちゃったでちゅ
おみみがうごくでちゅ、だからおふろはいっちゃだめって、ままがいいましゅ

みったんねーたんはみるくがだーいしゅき
ミーミーもだいしゅき!
ままがみるくのかんくれたでしゅよ
ミーミーのたからものでちゅ☆




みるくのんでねむねむでちゅ
みみおねーしゃんのおひじゃはあったかいでしゅ
おっきしたらあしょんでくだしゃいね

☆ミーミーは次女みったんの大事なお友達
どこに行くのもお供して、こんなに真っ黒になってしまいました
ピンクの可愛い哺乳瓶をくわえさせると、耳が動いて「ミーミー」となくので
みったんが「ミーミー」と名付けました

お出かけの時には必ずみったんはミーミーを抱いて行きました
行く先々で「まあ可愛いね!」と言われてみったんは大満足です
ミーミーはどこに行ってもそのつぶらな瞳でみなさんに可愛がってもらいました
みったんもミーミーのお陰で大勢の人たちに声をかけて頂き、人の心の温かさを
肌で感じて成長することができました

命はなくても、命があるかのような働きをしたミーミー
赤ちゃんの純真な瞳は、人間のものでもぬいぐるみのものでも
人の心を動かすものなんですね☆

2014-10-30

* * *

2月8日から始まった思い出深い記事再掲載の第9回目です。
2016-02-17

マリオとともに

2016年02月11日 | 「いと をかし」なものたち

              ヒロ画伯は、家中の壁やらタンスやら、様々なところに成長の痕跡を
              留めながら、めでたく幼稚園児となった。

              しかし、親の喜びとは裏腹に、彼はその繊細な気質ゆえか、幼稚園に行くのが恐かった。

              それから毎朝が、母と子の闘いになった。
                「ヒロクン、幼稚園に行こか」
                「いややぁ! 僕 行かへんのや!」 (ヒロ画伯 家中を逃げ回る)
                「そんなん 言うてもねェ、行かなアカンのやで」 (母 追い回す)
                「……… ……..」  (机の脚にしがみつく)
                「……… ……..」   (小さな指を一本一本 脚からはがす)
                「……… ……..」  (又、別な所にしがみなおす)
                「……… ……..」   (とうとう 体を抱きかかえてひきはがす)
                「やだぁ-! はなせ-!」 (腕の中で暴れる)
                「みんな、もう来ているかなぁ」  (抱いたまま集合場所まで連れていく..
                                   まるで人さらいのようだ)


              集合場所に連れていき、当番のおばちゃんに渡そうとするが、
              「いややぁ! お母さんも来(こ)なアカーン!」 (激しく抵抗する)
              それで仕方なく、当番のおばちゃんと共に毎日毎日、6人ほどの子ども達を
              引率して幼稚園通いが始まったのである。(母と手をつなぐと何も怖くない)

              そして、幼稚園に着くと、そこでも大変な仕事が待っていた。
              お部屋に入って、先生に渡そうとすると、
                「アカーン! お母さんも!」
                「お母さんネ おうちで待っているからネ!」
                「イヤヤァー! 帰ったらアカーン!」
                 (先生にがっちり体を抱きかかえられながらも、先生の髪を引っ張
                  て暴れる)
              先生は「お母さん、私は大丈夫ですから、お帰り下さーい。」
              「ギャアー! オーカーサーン!」 (先生の顔をひっかく、頭をたたく….)
              私は先生を信じて、ヒロ画伯の叫び声を背に、足早に帰宅したのであった。

              帰りは、彼的に「仕方なく」当番のおばちゃんに連れられて帰ってきたのであった。
              その後、登園時の私の付き添いは二か月も続いた。
              その間、彼はどうしてもお部屋に入らなかったそうだ。


              そして、ある時、用事があって幼稚園を訪ねると、私の姿を遠くから発見して、
              他のお母さんが走り寄ってきた。
              「あのね、今ね、あっちに行かない方がいいよ」と言うのである。
              「なんで? 行ったらアカンの?」
              「それはねェ、“お宅のおぼっちゃま”ね、今、園長先生と“お食事中”
               なのよォ」
              彼は、お友達のいる部屋に入れなくて、ずっと園長先生が一緒に、しかも
              廊下でお昼ご飯を食べていて下さったのだ。
              私達家族が、担任の先生や園長先生にどれほど感謝したか知れない。


              そんな頼りない彼だったが、ある日、私の買い物に同行していて、いきなり、
               「お母さん、僕これ買う!」
              見ると「マリオ」だった。彼はゲームっ子で、スーパーマリオが大好きだった
              のである。
               「でも、ヒロクン、これ高いよ、四千円もするよ」
               「僕 買う!」 ためらいは何もなかった。


              幼稚園のお部屋に、いまだに入れない彼が……
              登園時に、まだ私の手が離せない彼が…….
              そんな軟弱な彼が “断じて”言うのであった。

               駄菓子屋でアメの一つも買ったことがないのに……
               「ヒロクンがもらったお年玉ネ、全部無くなるけどいいの?」
               「ウン!」  決意はゆるがなかった。


              そんなこんなで、意気揚々、持ち帰ったこのマリオ、
              その後、彼が学生時代を過ごした東京のアパートにも同行したのであった。
              そして今でも、ヒロ画伯の大事な大事な宝物なのである。

2014-04-01

* * *

2月8日から始まった思い出深い記事再掲載の第4回目です。
2016-02-11



この傑作は永久保存版である

2016年02月10日 | 「いと をかし」なものたち

             これはミロの作品ではない。ピカソでもない。
             ヒロ画伯 2才の時の作品である。

             彼がこれを描いている姿を見たことはない。
             ある日、突如として現れたのだ。
               「これは誰が描いたの?」
               「ぼくらよ」
               「何 描いたの?」
               「*△□○☆ャ….」
             何か言っているが、さっぱりわからない。
              ♪「ミラクル戦士 ジライヤ-」♪とTVに合わせて
               「チノノノォ-チヤ-」と歌っていた頃のこと。
             彼はまだむずかしいことが言えないのであった。

               「お絵描きは ここにしちゃダメだよ!」
               「ウン」
             ヒロ画伯は素直にうなづいた。



             これもある日突然現れた。
               「ハハァ-ン」
             あの時、「ウン」と答えたのに わかっていなかったのか。
             わかってはいるが、その場限りの返事だったのか….
               「ヒロクン これはなぁ-に?」
               「どこえも どあらよ」
             ヒロ画伯は何もなかったかのように、のたもうたのであった。

             しかし、その意外な答えがおかしくて、怒る気を失ってしまった。
             この小さな頭で わずか2年しか生きていない彼が、
             何を感じて、何を考えたのか….

             壁一面がドアなのか、描かれているのはノブだけだ。
             もし、ここに『どこでもドア』があったなら、彼はどうしたかったのだろうか?
             姉たちにいじわるされた時、親にしかられた時、このドアの向こうに行きたかった
             のだろうか?
             実際のところは、本物のドアを開けて外に避難して行ったのだが….
             本当のところは知る由もない。

             この落書きを見るたびに、小さい彼の姿と、その会話を思い出して、
             過ぎ去った日々を愛しく思うのである。

2014-03-23

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2月8日から始まった思い出深い記事再掲載の第三回目です。
2016-02-10