どーも、eとりさん”twitte-nine-r”です

ツイてないeとりさんが140文字にとらわれず、己の境遇を
つぶやきます。ニートの生き様を目に焼き付けるがいい!

ついつい入り込んでしまった5月25日(前編)

2010年01月30日 23時05分22秒 | Weblog
2009年5月24日
 17:40頃病室へ。夕食時、オカンはおかゆ全部とおかずを約半分食べた。体温はひさしぶりに36℃台から37.0℃へ。足のむこうずねあたりで骨が浮くようになっていた。むくみが取れてきたせいか、はたまた体重が減ってきたためか?

2009年5月25日
 朝マックしたあとヒマつぶしに北日本最大の"オトナの歓楽街"のメインストリートを見物。真っ昼間なのでうざいポン様もいなくていい塩梅だ。ラーメン屋とか焼肉屋とかオトナのお風呂屋さんとかをチラチラ見ながら歩いていくと大きな公園に行き当たった。中島公園である。

 池やら樹木やらがあり、190万都市S幌の憩いの場となっている・・・と思う。地下鉄1~2区間ぐらいある広さで、相当大きい公園である。ここをぶらぁりと散策することにした。

 ぶらぁり歩くと、おや、どーしたんですか?(←T口順平さん風)

 水色と白のコントラストが美しいこの建物は「豊平館」(ほうへいかん)といって、明治時代に建てられ、その後こちらに移築されたもの。見学無料なのでタダが大好きeとりさんは当然中に入った。モダンな洋館で、結婚式場にも利用できるとのことだがすごく広いわけではなく、こぢんまりとやりたい人向き。この水色はウルトラマリンブルーという色で、確か何かの鉱石を顔料にしたとかしないとか説明が書かれていたけど詳細は忘れてしまった。そもそも何の建物だったっけな?それはともかく池の水面にもよく映える美しい建物であった。あっ、国の重要文化財ですってよ、奥様。今、ウィキで見てみまひた。

 さらにぶらぁりすると、おやおや、どーしたんですか?

 北のプロレスファンの聖地、中島体育センター!eとりさんはここに入ったことはありませんが、いつかここで観戦してみたいものだと思います。ン十年前、C州がF原に襲撃されたところですよね。

 さらぁにぶらぁりすると、おやおやおや、どーしたんですか?

 近づいてみると扉に「ご自由にどうぞ」みたいなことが書いてある。その横には「天文台」の文字が。やはりタダが大好きなので入ってみると・・・ガラーンとしていた。中は望遠鏡らしきものと、展示パネルが数枚壁に掛かっていただけ。特に星に興味があるわけでもなかったので、ささーっと見て引き上げようと思ったその時、出入口とは違うドアが突然開いて中から人が現れた!超びびった!しかしそれを悟られて怪しい人だと思われてもマズい、今のeとりさんは住所不定のようなもんだし、おまけに無職ときたもんだ。しかもこの日は平日、怪しさこの上ないのである。eとりさんはつとめて冷静を装い・・・(後編ではなく中編に続く)
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えっ?隣?、な5月23日

2010年01月28日 18時23分26秒 | Weblog
おとといの1月26日でオカンの入院から丸1年たってました。忘れてた・・・(-_-;。

2009年5月20日
 朝からマスクを買おうとして最初に寄ったLーソンでは売り切れ。「あぁ、今日も買えないかな・・・」と思いつつダメモトで入った2軒目のMツキヨでマスクを発見し即購入。ラッキーだった。このあと念のために別のドラッグストアにも寄ったのだがそこも売り切れ。こんなふうにあっちゃこっちゃでマスクが売り切れな割りに、H大病院ではマスクを着けている人が少ないのである。病院では大丈夫だと思っているのか?病院こそうつりうつされそうな感じがするけどね。

 この日のオカンは17時半過ぎまでガーガー寝ており、起きたら今度はベッド周りのカーテンを閉めずにおまるで用を足し始めた。あわててカーテンを閉めてやる。病魔は恥じらいをもどこかにやってしまうようだ、恐るべし。18時頃回診が来てビリルビン値が3.5。5/14以降全然減ってない・・・。

2009年5月21日(竜ちゃんを見たのはこの日!
 回診時にビリルビン値は3.2になったとのこと。夕食はおかゆ全部、おかずは約2/3食べた。食器をさげて病室に戻ったら足をボリボリ痒そうに掻いていた。乾いた皮膚がパラパラ剥がれていたので掻くのをやめさせる。パジャマの裾がこすれて痒くなったとのことで、病気のせいではないようだ。足首から先の皮膚がすごくガサガサになっていたので、いつも入浴(シャワー)後には足にNベアを塗るように言っていたのだが、今日はシャワーの後すぐにNベアを塗るのを忘れていたようだ。Nベアを自分で塗らせたがうまく塗れないので結局eとりさんが塗りたくってやった。足が相変わらずむくんでいるので、足首から膝方向へもマッサージするような要領で塗ってやった。eとりさんは孝行息子じゃのう。

2009年5月22日
 20世紀型ケータイの充電器をY町の自宅に置き忘れてきたことが発覚。雨降りだったのに潜伏先から出かける間際に折り畳み傘が壊れた。乾電池式の充電器や新品折り畳み傘などを百均ショップで購入。朝からいらん出費がかさみ、ツイとらん。
 前日オカンが「夜寝てると暑い」と言っていたので"熱さまSート"を買ってきたのだが、首筋に自分で貼らせようとしてもうまくいかなかった。結局貼ってやったがオカンが自分で貼るなら手首に貼るのが無難なようだ(その後オカン自ら貼ることはなかったが)。それにしても・・・Nベアといい、熱さまSートといい、簡単にできそうなことが要領よくできなくなってしまうというのは切ないことである。

2009年5月23日
 お昼頃、T君とその母でありeとりさんの従姉にあたるNちゃんがお見舞いに来てくれた。オカンとの談笑後、「昼飯食べて帰るけど一緒に食べる?」と誘われて同行し、H大病院近くのレストランでステーキをゴチになる。思えばこれがS幌潜伏中で一番高尚な食べ物ではなかったか?いつもハンバーガーとか豚丼だったもんなぁ。ありがたやありがたやm(_ _)m

 いつもハンバーガーや・・・なんだけど、たまにはきちんと栄養のあるものも食べねば・・・今日はゴチになったしな(=昼食代が浮いたしな)っつーことで、オカンが夕食を約8割ほど食べたのを見届けた後、帰る途中で和風レストランの看板を見つける。おいしそうな「鶏と野菜の黒酢あん定食」の写真があり、そのそばにまた別の看板があって「生ビール¥390」の文字が。おっ、ビール安いんでないかい。今日はゴチになったしな(=昼食代が浮いたしな)、でへへ。

 そのレストランに入って上記定食と生ビールをオーダー。男の店員が「僕、すごく仕事してます。皆さんのこと、すごく配慮してます。」感を醸し出しながら歩き回ってたところ以外は良い雰囲気のお店。ビールひさしぶりだなぁ・・・定食もおいしかった。さ、おあいそすっか。

 レジへ行き、お金を払ってレシートを見ると・・・ビールが¥450!
e:「あれっ、ビール¥390じゃないの!?」
レジのねーちゃん:「あの・・・それは隣の店です・・・」

 和風レストランはビルの地下にあり、レストランの自動ドアを出るとそのそばに地味なドアが・・・。そこが¥390のビールを提供する店だったらしい。2軒並んでいた店がそれぞれ1つずつ看板を出していたのであった・・・。

 看板近づけすぎだー!ハメやがったな、コンニャロー!(`〆´)
                                             (つづく)
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あっちもこっちも売り切れだった5月19日

2010年01月27日 16時39分47秒 | Weblog
2009年5月15日夕方
 伯父らを見送った後、再び病院へ戻る。入院費を払い、病室に行ってオカンとともに叔父からいただいた生キャラメルを食べた。初めて食べてみたが評判どおりおいしい。しかし10ヶぐらいしか入っていないのに数百円もするのはかなわんなぁ。
 
 夕食の時間になり、オカンはおかゆを全部とおかずを約半分食べた。食後の体温は37.3℃。食後、薬を飲みにくそうにしていたので「吐き気かな?」と思ったがなんとか吐かずに済んだ。

2009年5月16日~5月18日
 軽自動車税を払わなければならず、Y町の自宅に帰った。5/10にS幌に来たばかりだったのに・・・。ついでに"じぇいあーるえー"にも預金してしまう。

2009年5月19日
 高速バスでS幌入りし、17時過ぎに病室へ。オカンは調子良さそうだった。体重が51kg台になっていた(※近々の記事では2009年5月2日に「53.7kg」の記載あり)。夕食後の体温は37℃台がここ何日か続いているが吐き気はないとのことで、抗生物質の点滴もしていないとのこと。声にはあまり張りがない。夕食時、おかゆは全部、おかずは全体で約2/3食べた。夕食後の体温は36.8℃で今日はやや低め。足のむくみがかなりとれてきた。以前買ってあげた運動靴が少しゆるくなってきたとのこと。19時頃退室。

 帰り道にほっかいど独自のコンビニSイコーマートで缶コーヒー"グランディアマイルド"を購入。こいつが甘くてコクがあって後味がしつこくなくて安くて多くてバッチグー(死語)!ノ(^∀^)ノ
←¥78です!内地の人はこっち来たらいっぺん飲んでみればいーべさ(´∀`)/。

 この時期は「いよいよ新型(豚)インフルが北海道に上陸・・・」って騒がれていたんで、缶コーヒーを買ったところを含めていろいろなコンビニに何軒か寄ったんだけど、どこもマスクが売り切れ。恐ろしや豚インフル…。確かこの頃はニュースでも「函館で感染者が!」ってやったら誤報だったとか、いろいろ情報が錯綜してたなぁ。 (つづく)
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面倒くさい"花畑"に入った5月15日

2010年01月25日 15時33分34秒 | Weblog
2009年5月15日
 この日の午後に飛行機で帰る伯父らはオカンが昼飯を食べるタイミングにまた見舞うと言っていたので、eとりさんも11:30頃病院へ。伯父らをなかなか見つけることができず1時間ほどたった時にたまたま病院1階のトイレ付近で叔父と遭遇。昨日同様に「これから食事」っつーことでまたレストランにお付き合いする。

 よーやく病室へ行くと当然のことながらもうオカンは昼食を終えていた。昼食は全部食べたとのこと。しばし懇談し、病院を去る時間が来た。病室を後にして伯父らと病院の1階まで来ると・・・伯父が「帽子がない・・・(オカンの入院している)8階のトイレに置いてきちゃったかな?」とおっしゃる。

 こりゃ大変だとまた3人で8階に戻ってトイレに行ってみたが見つからない。「一応また病室を見てみましょう」と病室に戻ってみると・・・お~、あったよ帽子。もー、人騒がせな・・・と思ったけどまぁあって良かったよ。ついでなのでまたオカンと談笑しているとオカンのリハビリの時間になったのでこれで本当にオカンと別れ、病室を後にする。

 再び病院の1階に来ると今度は叔父が「H畑牧場の生キャラメルをお土産に買いたい」とおっしゃるので、買い物の手伝いをするために病院前からタクシーに一緒に乗り込む。この運ちゃんがちょっと・・・言葉遣いは荒くはないんだけど丁寧でもなく「乗せてやってる」風な感じで不快であった。コヤツは「スガワラ(←本当は漢字)」っていう個人タクシーである。もう乗らねー。

 S幌駅南口で降ろしてもらったが、南口側は広場になっていて車道から"花畑"のある地下街入口まで若干距離(それでも100mあるかないかぐらい?)があり、足の悪い伯父にはかなりキツかったらしく、地下街入口のところで「もう休む。待ってるから。」とギブアップしてしまった。伯父をベンチに座らせ叔父とともに看護師のN村さんに教えてもらっていた"花畑"へ。人はそこそこいたけど、千歳空港店のような大行列にはなっておらず、品定めもレジ待ちもそんなに苦労しなかった。やがて我々のレジの番に。叔父は伯父や叔母の関係の分も含めて十数個買おうとしたのだが・・・。

レジ係:「お客様、こちらの商品はお一人様2ヶ、こちらは3ヶまでになっておりまして・・・」

なんて言いやがった。さー、どーしましょ!?

 ここですかさずeとりさんは「あ、叔父さん、僕がこれとこれ買います」そー、勘定さえ別にすればいーのさ!つーことで叔父からお金をもらってeとりさんがレジでそのお金を払い、品物とおつりを叔父に渡して一件落着。ちなみに2ヶまでというのは生キャラメル3箱1パック(ノーマル味のほかにマンゴー味などの風味のついたものがセットになっているもの)、3ヶまでというのは生キャラメル1箱(通常の形態で売られているもの)であった。
 ちっ、最近(2010年)じゃどっかの店舗がつぶれたとかいう話ぢゃないか、プレミア感あおって商売すんのもてーげーにしやがれってんだ。独りでたくさん買わなきゃなんない場合は面倒な"畑"だよ、全く・・・。

 お買い物の後は伯父と合流し、伯父らをS幌駅の改札でお見送り。わざわざ遠くから来ていただいてお見舞いをいただき、ごちそうしてもらったりお小遣いを頂いたり生キャラメルを1箱いただいたり(←おいしかった)・・・オラ東京には足向けて寝られねーだYO!                                   (つづく)
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ルーツを感じた5月14日夜

2010年01月23日 14時48分57秒 | Weblog
(つづき)病院前でタクシーに乗り込み、運ちゃんに「ルートIン」まで、って言ったら・・・アレ、おかしいな、変だな(←Iナガワ淳二風)。走っていく方向が違うような・・・ン、丁目が違う・・・と思っていたら、近づいてきた看板は「Sンルート」の文字!おいおい、ちげーだろ、バカタレ!

 これにはさすがに運ちゃんも苦笑い。ルートIンに着いて「初乗り(料金)でいいです」あたりめぇだぁ!もー信じられん、なんでこんなことばかり・・・。

 チェックインしてから伯父は「回転寿司行きたいなぁ」と行っていたのだが足があまり良くないので結局ホテルの地下にある居酒屋にご案内。「食べてけよ」という有り難いお言葉に甘えてご相伴に与る。酒が入ると寡黙だった叔父もようやく話し出し、U和競馬場の近くに住んでいるのでこっちへ来るとS幌競馬場が気になってしかたがないという話や昔(現在も?)レース鳩を飼っていてレースをしていたなどという興味深い話をしていただいた。伯父・叔父ともに競馬をやるということで、ウオッカがどーのこーのと盛り上がる。あぁ、eとりさんも競馬を始めたのは宿命だったのか?血は争えんなぁ・・・。

 その後はeとりオカンのルーツをたどる話となった。eとりオカンの祖母は元々Kという姓(←"ファミリー"を構成して一時代を築いた方と同じ)で富山の人。伯父が言うにはこちらの家系が糖尿持ちだとのことで、伯父、オカン、叔母がそれぞれ糖尿になってしまっている。eとりオカンの祖父は元々徳島の人で、大阪(or徳島)で商売をやっていたのだが番頭に会社を乗っ取られて東京に流れてきた、ということだった。eとりさんが日々遭っているプチ不幸はこういうあたりから来てるのかもしんない。タクシーの運ちゃんが間違ったのもeとりさんのせいかも・・・。

 滅多に会えない親戚に会い、共通の趣味の話題と思いもよらないご先祖話に「あぁ、eとりさんもオカン側の一族の血が流れているのだなぁ」と深く実感した夜となった。                                        (つづく)
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はぁ~るばる来たよ伯父達がぁ~♪、な5月14日昼間

2010年01月22日 21時09分12秒 | Weblog
 いよいよ"TVたわー"再開です。

今までのあらすじ
 eとりオカンが真っ黄っ黄になっちゃって2009年1月26日にY町病院に入院。おそらく胆管ガンだろうと診断され、2009年3月17日に救急車でH大病院に転院。ゲロゲーロになったりビリルビンがなかなか下がらなかったり腹水がたまったりとなかなか手術できない状況が続く。そんな中eとりちゃんはS幌市内に潜伏し、Yシギュー、Mツ屋、Mック、Lッテリア、なかU等々を転々とし、怒るヤツやレジモンに攻め立てられていた。着々と胆石を溜め込みながら・・・。

2009年5月14日
 レジモンが登場しだした2009年4月24日に書いたとおり、伯父と叔父が見舞いに来る日が来た。
伯:「S幌駅からタクシーで行くから」
e:「だったら救急用の玄関前で降ろしてもらってください」
と電話でやり取りしていたので、救急用の玄関付近で待っていたのだが約束の時間(15時)を過ぎてもなかなか現れない。伯父と叔父(←この違いは辞書等で調べて呉れ給へ)はeとりオトンの葬式の時以来約5年ぶりに会うので、正直顔の記憶が・・・(@◇@)。もしかして見逃したかな?

 15時半頃、なんとなく見覚えのあるような人が通りかかったため、よ~く顔を見てみようと目を凝らすと向こうもこっちを見る。「あぁ、(eとりさんの下の名)さん?」と言って近づいてきたのは叔父だった。聞くとタクシーで来たが結局外来用の玄関前で降ろされてしまったという。続いて伯父とも合流する。二人とも昼飯がまだとのことで、病院のレストランにつきあう。

 そして16時半頃やっとこさeとりオカンの病室まで行く。この日のオカンはまぁまぁ元気。何日も前から2人が来るのを楽しみにしていたので、体調が良くてなによりだ。計4人でデイルームに移動し話をする。途中で実姉3号も来た。とにかく伯父は饒舌で、叔父は寡黙な人だった。伯父はほっといてもなんだかんだ話すのであまり気を使わなくても済んだが、叔父があまりにも話さないので気の毒になり、途中からどーやってオカンと話をしてもらうかそればっかり気になってしまった。

 そろそろ回診になりそうだったので17時頃病室へ戻る。医師軍団が来たので廊下に出ると、ビリルビン値が3.4、点滴は終わりにする、などの声が聞こえてきた。ビリルビンの値は減り方が小さくなったような気がする。

 そしてオカンの夕食の時間。オカンは出された食事を全部食べてしまった。伯父らが見舞いに来たので見栄を張ったのではと思われるほどの食欲だった。回診終了後から食事が出るまでの間、伯父はずっとオカンと話をしていたのだが、オカンが食事している間に"電池切れ"。高齢、持病、遠距離移動、ずっとおしゃべり、ってやってたらさすがに疲れますわな。

 18時半過ぎにeとりさんと伯父らは退室。伯父らは今日泊まるホテルにまだチェックインしてないということで、ホテルまで一緒にタクシーに乗せてもらうことにした。病院前でタクシーに乗り込み、運ちゃんに「ルートIン」まで、って言ったら・・・  (つづく)
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EB闘病記:ラストカルテ

2010年01月19日 01時40分43秒 | Weblog
2009年12月15日(火)
 いよいよ今日で抜糸&退院。10時頃、主任の男性看護師さんが来て、チューブがささっていたところに貼っていたバンソーコーをはがした。縫われていないところだったがちゃんとくっついている。
e:「いやぁ大したもんですねぇ、縫ってもないのに。あ、腹がブヨブヨだからチューブを抜くと(拡げられていたのが縮むから)かえってくっつきやすくなるのかな?こういう腹だと手術にはいいんですかね?」
主:「いや、そういうわけでは・・・(その腹で)ギリギリセーフってところですね。手術は筋肉質のほうがやりやすいらしいですよ、(医師の)先生が言うには。」
・・・へぇへぇ、どーせメタボの手前ですよ(-_-#

 「あ、そーだ、抜糸の前に・・・」悪趣味な記念撮影を実行。20世紀型ケータイだから画質悪し。
←ヘソ下。ここから我が胆のうが摘出されました。
←ヘソ上。何か器具を挿入したのでしょう。
←ヘソ横。自分の右腕側にあります。ここも何かを挿入したのでしょう。
←チューブがささっていたところ。ヘソ横のキズよりさらに右腕側にあります。

 11時頃、A医師、A’医師(動脈から採血した人)、メガネっ娘M看護師が来た。Mさんがキズの上から貼っていた保護テープをはがし、A医師がキズの様子を確認して退院を宣言。そしてA’医師が抜糸。もうこの後は風呂に入っても全く問題ないとのこと。

 やっと、退院。長かった・・・。

 このあと入院費を精算したり、退院後も3ヶ月間飲み続けねばならない薬を受け取って病院を後にしました。さらばY町病院。今度はジジーになってから来ます・・・違う意味で如意にならなくなってると思うのでちょっとつまんないけど。

 そして本日(2010年1月19日)、手術後42日が経過した今のキズを悪趣味にご披露!

↑あー、20世紀型ケータイにしとけばよかった、みっともないメタボ腹。
←見栄張って腹ヘコましてもこのザマだYO!

 キズが残っちゃって・・・
   あ~ん、もうグラビア撮影できない~!
   (↑Y田大サーカスのクロちゃん風)

                    EB闘病記 完

 次回からは"TVたわー"を再開いたします。ちょっとだけマジメになりますがまた宜しくお願い申し上げますm(_ _)m
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EB闘病記:カルテ18

2010年01月17日 13時54分56秒 | Weblog
2009年12月11日(金)~14日(月)
 なるべくクシャミやセキをせぬようにしてひたすら安静に過ごす。と言ってもヒマなので廊下を歩いたり、デイルームで雑誌などを読んだり。eとりさんはヒマだが看護師さんは大忙しだ。まわりの患者はハマのおじさん・おじーちゃんが多いんだけど、この方々は言葉も気性も荒い。自分の奥さんや女性の看護師さんにはかなり横柄な態度・物言いをなさる。体を悪くすると心も荒(すさ)むのだね。まわりの迷惑も省みず大きな声で話したり怒ったりする輩(やから)には辟易します。

 看護師さんも患者からキツい言葉をかけられてもたいていは"左へ受け流す~♪"(←懐)。看護師さんは体もそうだけど心もタフでないとやってられませんね。白内障の手術のために入院していたおっさんが薬の飲み方に関して不服なことがあり看護師Iさんに激怒。しかしIさんは極めて冷静にその患者をたしなめておられた。結局その患者はIさんの言うことに納得せずいつまでも大声で怒っていたため、主任格の男性看護師が割って入ったようだったが、情けないことよのう、おっさん・・・。
 皆さんも入院したときは上品に・・・あっ、eとりさんは十分下品でした(^^;。

 次回を闘病記の最終回にしますので、今回はこれでおしまい。      (つづく)
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EB闘病記:カルテ17

2010年01月15日 12時30分58秒 | Weblog
2009年12月10日(木)
 朝食を摂った後、約1時間ほどまた寝てしまった。目が覚めるとそこへeとりさんトップ10ランキング上位に食い込むYさんが昨日のMさん同様に体を拭きに来てくれた。上半身を拭いていただき、もう終わりだと思っていると意外な言葉が!

Y:「下のほうも・・・下着取り替えましょうか?」

 えぇ~!!(@◇@)

 こんないろいろな意味で有り難い言葉をかけられたというのにeとりさんは「い、いや、いいです、自分でできますんで・・・」と辞退してしまった。

 寝起きでね、寝起きでね、寝起きでね・・・"モーニング息子"が・・・(T T)

 だってさ、拭いて頂いている最中にそーなっちゃったら「いやぁ、コチラのほうはお元気なもので、ハハハ」とか言えるじゃない。最初っからグリeeeeンだと真のヘンタイじゃないか(真のヘンタイだけど)。はー、もったいない・・・。

 ちなみに翌日は「メシ食った後絶対寝ないぞ!」と思ってたら、この日以降誰も体拭きに来なくなっちゃいました。

 この後、技師長である男性看護師(前回「戻ろっか」と言ってきた人)が来て抗生物質を点滴しに来た。今までしていた栄養剤の点滴はもうやらないと言う。さらに"ワイルド"H医師が回診に来て「退院は抜糸してからでいいよ」と言われる。抜糸は手術の1週間後ということだった。手術して3日後ぐらいにはとっとと退院してオカンの面倒を見ねば、と思っていたのだが、術後のキズが思っていたより痛かったんで抜糸まで入院しようと思い直した。・・・「また体拭きに来てくれるかなー」という魂胆もあったので(^^;。

 16時半頃、午後から始めていた抗生物質の点滴が終わり、抜針(ばっしん)。もうこれで点滴は一切やらず、翌日より飲むタイプの抗生物質を服用することになった。

 18時半頃、昨日はまだ"液状"だったんですが、よーやく"固形"が出まひた。
                                            (つづく)
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EB闘病記:カルテ16

2010年01月13日 16時47分16秒 | Weblog
今回で2009年12月9日(水)はおしまい。
 回診が終わるとあまり萌えない感じのメガネっ娘看護師Mさんが「体拭くよ~」と入ってきた。まだ風呂には入れないのでおしぼりでキズのあたりを拭いてもらう。その後ぼんやりベッドに座っていると男性看護師が来て「(元の病室に)戻ろっか」と言われる。昼飯の前だったか後だったか忘れてしまったけど、手術してから1日も経たずにもう以前までの入院生活に戻ろうとしている。

 この日は午前中から"お菊さん"がゆるみ始め、15時半までに大きいほうの便意が4回あった。しかしまだ腹に力を入れられないので"大きいヤツ"がちょこっと出ては直腸内に"もう少しで出る"ような感じが残る。残尿感ならぬ残プン感ってやつですか?出たりひっこんだり、そして結局ひっこむ。気持ち悪いよね、コレ。この日の夜、寝る前にようやくふんばることができて、"ブバッ"と出た。はー、スッキリ。

 のどの痛みというか渇き(あえて"乾き"かも)がまだ続いていたので売店(内科病棟1階)までまた歩き、のど飴などを物色中に冷や汗がまたダラダラ出てきた。病室へ戻るとちょうどメガネっ娘Mさんが検温に来たのではかると37.8℃。飲むほうの痛み止め兼熱さましをもらって飲み、氷枕をして寝ようとしたら・・・

 「よぉ」

 実姉2号の舅(しゅうと)さんが検査入院していて、病室まで見舞いに来てくれたのだった・・・有り難い、のだが・・・何と言うタイミング!(T T) eとりさんは冷や汗ダラダラなまま、約30分ほどベッドから起きたままでお話させていただきました。あぁ~、わしの人生いつもこんなんや!

※太字部分はもちろん「間の悪さ」と読み替えてもらって構いません。    (つづく)
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