いよいよ世の中GW突入ですね。震災後、世の人々はどのようにレジャーを楽しむのか…行き過ぎた自粛はいかんと分かっていますけど、ただどこかに出かけるというだけではエネルギー(燃料という意味)と金の無駄使いのようにも思えてしまう今日この頃です。
さて…ほんとは書かなくてもいいんだけど、以後それに触れないままだとネタが書きにくくなることがあるかもしれないので、ちょいと書かせていただきます。
本年3月10日、eとりオカンが満七十七歳の生涯を終えました。
ガンの再発でした。昨年の12月末に医師から「もう長くない」と言われ、さらに「本人が家に戻りたがっている。戻すなら今しかないよ。」と言われました。そこから約1ヶ月に渡って家でも点滴ができるようにと点滴行為の研修を病院で受けさせてもらい(丸々1ヶ月かけたわけでなく1ヶ月の間に5~6回の研修)、担当看護師からOKが出て家に戻れたのが今年の1月末。しかしその1週間後に病院で診察を受けたら「もう戻んなさい」と言われて、再入院。「なんだかなぁ」でした。
医師から「家に戻す」と言われた時、本当はそうしてほしくないと思いました。病院のほうがちゃんと治療できるからです。しかし「戻すなら今しかない」と言われたので、それならと手間・ヒマ・金をかけて家で世話ができるように八方手を尽くしました。しかしそれでも家にオカンを連れてくると、そこからすぐに介護地獄が始まりました。時期はちょうどサッカーのアジアカップやってた頃です。その頃のブログにも「ニート史上最高に忙しい」と書いてあります。細かく書きませんけど、もー本っっっっっ当に大変でした。
家に帰ってからも1週間に一度診察を受けることになっていたので、家に帰ってきた7日後に診察を受けたら早速「戻んなさい」となったんですよ。この時は一度医師に「いや、もう少しがんばります」って言ったんです。そしたら、訪問看護(訪問"介護"ではない)師の人がオカンに諭すように話をして再入院することをのませてしまいました。既に述べたように病院のほうがちゃんと治療も世話もしてもらえるのでそうしたほうが良いことはわかってたんですけど、だったら「家に戻す」なんて最初から言ってほしくなかった。要らない苦労と出費ばかりで、得した人は誰もいなかった、オカンも含めて。
オカンが家に戻る前から病院に勧められて介護認定を申請してたんですけど、オカンの再入院後にその結果が来ましてね、要介護度"5"でしたよ、最高ランクです。無理だって、そんな状況の患者を1人で看るのは。
eとりさんは悟りました。「病院で死ぬ」というのは理想的なことなんだと。「畳の上で…」とかよく言うじゃないですか。あんなのはただの我がままですよ。瀕死の患者の世話をするというのは並大抵なことじゃ務まらんのです。病院できちんと治療と世話をしてもらうことが、家族に負担をかけさせずに済むんです。
eとりさんは「自分は最期は病院で…」と決意しましたよ。
まぁそんなこんなで再入院後は病状の改善も見られることなく3月10日を迎えました。eとりさんを含めて姉弟5人そろって看とることができました。この時はさすがに泣きましたなぁ。
そして翌日、葬儀屋さんに死装束を着させてもらってる最中にグゥラァ~と来たんです。ドンッ!という感じは無く、ほんとにグゥラァ~と波打つような感じの揺れ。漁師をしている義兄1号がピンと来て「テレビつけれっ!」。そう、テレビをつけると名取川をさかのぼる津波と波にのまれる家、車、人・・・。
eとり家のあるY町も道路や鉄道が通行止め(津波に対する予防的な措置で、実際に津波や地震のせいで直接的な被害はなかった)になったせいで、葬儀に参列してもらいたい人が来れなかったりしました。今となっては葬儀をやれただけでも有難いことなのですけどね。
オカンの死後、葬儀の段取りを決めたり死後の様々な手続きがいろいろあって、オトンの時もそうだったんですけど、なかなかしみじみと悲しむヒマがありませんでした。そして一昨日の27日、四十九日を迎えました。納骨はもう少し先になりますけど、よーやく一区切り。今さらウジウジ悲しんだりはしません。eとりさんは元の通り、のんきにお気楽なニート生活を続けさせていただきます。
とりとめない話になってすいませんでしたね。香典とか弔電などはご遠慮いたしますよ。"押すなよ!"じゃありませんので本当に要りませんからね。
では今後もよろしくお願い申し上げますm(_ _)m 良いGWをお過ごしください。
さて…ほんとは書かなくてもいいんだけど、以後それに触れないままだとネタが書きにくくなることがあるかもしれないので、ちょいと書かせていただきます。
本年3月10日、eとりオカンが満七十七歳の生涯を終えました。
ガンの再発でした。昨年の12月末に医師から「もう長くない」と言われ、さらに「本人が家に戻りたがっている。戻すなら今しかないよ。」と言われました。そこから約1ヶ月に渡って家でも点滴ができるようにと点滴行為の研修を病院で受けさせてもらい(丸々1ヶ月かけたわけでなく1ヶ月の間に5~6回の研修)、担当看護師からOKが出て家に戻れたのが今年の1月末。しかしその1週間後に病院で診察を受けたら「もう戻んなさい」と言われて、再入院。「なんだかなぁ」でした。
医師から「家に戻す」と言われた時、本当はそうしてほしくないと思いました。病院のほうがちゃんと治療できるからです。しかし「戻すなら今しかない」と言われたので、それならと手間・ヒマ・金をかけて家で世話ができるように八方手を尽くしました。しかしそれでも家にオカンを連れてくると、そこからすぐに介護地獄が始まりました。時期はちょうどサッカーのアジアカップやってた頃です。その頃のブログにも「ニート史上最高に忙しい」と書いてあります。細かく書きませんけど、もー本っっっっっ当に大変でした。
家に帰ってからも1週間に一度診察を受けることになっていたので、家に帰ってきた7日後に診察を受けたら早速「戻んなさい」となったんですよ。この時は一度医師に「いや、もう少しがんばります」って言ったんです。そしたら、訪問看護(訪問"介護"ではない)師の人がオカンに諭すように話をして再入院することをのませてしまいました。既に述べたように病院のほうがちゃんと治療も世話もしてもらえるのでそうしたほうが良いことはわかってたんですけど、だったら「家に戻す」なんて最初から言ってほしくなかった。要らない苦労と出費ばかりで、得した人は誰もいなかった、オカンも含めて。
オカンが家に戻る前から病院に勧められて介護認定を申請してたんですけど、オカンの再入院後にその結果が来ましてね、要介護度"5"でしたよ、最高ランクです。無理だって、そんな状況の患者を1人で看るのは。
eとりさんは悟りました。「病院で死ぬ」というのは理想的なことなんだと。「畳の上で…」とかよく言うじゃないですか。あんなのはただの我がままですよ。瀕死の患者の世話をするというのは並大抵なことじゃ務まらんのです。病院できちんと治療と世話をしてもらうことが、家族に負担をかけさせずに済むんです。
eとりさんは「自分は最期は病院で…」と決意しましたよ。
まぁそんなこんなで再入院後は病状の改善も見られることなく3月10日を迎えました。eとりさんを含めて姉弟5人そろって看とることができました。この時はさすがに泣きましたなぁ。
そして翌日、葬儀屋さんに死装束を着させてもらってる最中にグゥラァ~と来たんです。ドンッ!という感じは無く、ほんとにグゥラァ~と波打つような感じの揺れ。漁師をしている義兄1号がピンと来て「テレビつけれっ!」。そう、テレビをつけると名取川をさかのぼる津波と波にのまれる家、車、人・・・。
eとり家のあるY町も道路や鉄道が通行止め(津波に対する予防的な措置で、実際に津波や地震のせいで直接的な被害はなかった)になったせいで、葬儀に参列してもらいたい人が来れなかったりしました。今となっては葬儀をやれただけでも有難いことなのですけどね。
オカンの死後、葬儀の段取りを決めたり死後の様々な手続きがいろいろあって、オトンの時もそうだったんですけど、なかなかしみじみと悲しむヒマがありませんでした。そして一昨日の27日、四十九日を迎えました。納骨はもう少し先になりますけど、よーやく一区切り。今さらウジウジ悲しんだりはしません。eとりさんは元の通り、のんきにお気楽なニート生活を続けさせていただきます。
とりとめない話になってすいませんでしたね。香典とか弔電などはご遠慮いたしますよ。"押すなよ!"じゃありませんので本当に要りませんからね。
では今後もよろしくお願い申し上げますm(_ _)m 良いGWをお過ごしください。