どーも、eとりさん”twitte-nine-r”です

ツイてないeとりさんが140文字にとらわれず、己の境遇を
つぶやきます。ニートの生き様を目に焼き付けるがいい!

祝ニート生活3周年♪twitteる?twitteない?

2010年03月31日 03時12分33秒 | Weblog
 どーも、eとりさんです。ニート生活もめでたく・・・

            3周年を迎えました!
          ♪いぇーい d(⌒▽⌒)人(⌒▽⌒)b いぇーい♪

 ・・・

 そろそろ平穏な生活がしたいなー!(@∀@)/ ニートになってからいろんなことがあり過ぎた・・・車は壊すわ、熊でもないのに胆のう獲られるわ・・・。

 つーことで、今"ツイてんだかツイてねぇんだか"が流行ってんでしょ?eとりさんもつぶやいてみますから、これからも"ほろー"よろしくお願いしますm(_ _)m 

 これ打ってるの夜中3時過ぎ・・・もうバタンキューします。バタ~ン。
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"TVたわー"エピローグ ~eとりさん潜伏データinS幌~

2010年03月30日 18時51分57秒 | Weblog
 何回かY町に帰ったけれども、2009年3月17日から7月17日まで丸4ヶ月(122日間)にも渡ったS幌潜伏生活。チリも積もれば山となる、eとりさんが動けばそれなりにお金が飛んでいく・・・eとりさんの挙動をデータで追ってみましょう。

食データ
・食べたラーメン・・・23杯(5.75杯/月)
・Yシギュウで食べた回数・・・10回(ほとんど豚丼の並、2.5回/月)
・Mツ屋で食べた回数・・・13回(そのうち1回は店員のミスで無料、3.25回/月)
・なかUで食べた回数・・・11回(半分くらいは朝定食、2.75回/月)
・Mックで食べた回数・・・32回(コーヒー等のドリンクのみの場合も含む、8回/月)
  ↑Y町に帰るたびにMックのサイトから割引クーポンを印刷してました。
・Lッテリアで食べた回数・・・16回(4回/月)
・Mスドで食べた回数・・・12回(テイクアウト含む、3回/月)
・Mスバで食べた回数・・・2回(0.5回/月)
・居酒屋で飲み食いした回数・・・8回(そのうち1回は伯父にゴチになる、2回/月)
・レストラン、食堂、定食屋で飲み食いした回数・・・40回(10回/月)
  (そのうち約15回はH大病院レストラン)
・食べたコンビニやデパ地下の弁当・・・16ヶ(4ヶ/月)
・食べたコンビニおにぎり・・・28ヶ(7ヶ/月)
・飲んだ缶コーヒー・・・65本(16.25本/月)
・自販機のカップのコーヒーやジュース・・・24杯(6杯/月)
・ペットボトルのお茶などコーヒー以外の飲料・・・67本(16.75本/月)

行動データ
・Lーソンで買い物した回数・・・42回(10.5回/月)
  ↑Edyが使えたのでよく行っていた。
・"711"で買い物した回数・・・13回(3.25回/月)
・ほっかいど独自のコンビニSイコーマートで買い物した回数・・・13回(3.25回/月)
・その他のコンビニで買い物した回数・・・7回(1.75回/月)
・ドラッグストアで買い物した回数・・・12回(3回/月)
・K伊國屋で本や雑誌を買った回数・・・10回(2.5回/月)
↑コンビニや本屋(古本屋含む)は買った回数以上に当然行っております。ほぼ毎日行ってたと思う(^^;

・高速バス利用回数・・・11回(そのうち9回はS幌~Y町間、2.75回/月)
・JR利用回数・・・17回(そのうち5回は安い切符でS幌~Y町間、4.25回/月)
・路線バス利用回数・・・6回(1.5回/月)
・地下鉄利用回数・・・6回(1.5回/月)
・市電利用回数・・・3回(0.75回/月)

・オカンのTVカード購入枚数・・・15枚(3.75枚/月)

金銭データ
 オカンの入院費、それとお馬さんや娯楽費(趣味の本の購入費、ちなみにEロ本は買ってない)などS幌に潜伏していて使う筋合いの無い分を除くと、eとりさんのS幌潜伏費用は・・・ダララララララ、ジャン♪

 ニートのくせに、約50万かかりました!

 このうち潜伏先のカプセルホテルの費用が¥15万/3ヶ月ですから、飲み食いと移動に要した費用が約¥35万ということになります。1日当たり約¥2,870ということになりますね。この中にはTVカードや紙オムツなど、オカンのために購入した分の費用も含まれておりますから、宿泊費以外のeとりさん自身のための費用はもうちょい安くなるでしょう、¥2,500~2,600ぐらいかなぁ?コーヒーやジュース飲みすぎだったかなぁ?

 ・・・何か飲んでないとヒマつぶせなかったんだよぉ(´д`)

         以上、"TVたわー"、完全におしまい!

明日はeとりさんのニート生活3周年記念日です。\(@◇@)/バンザーイ、祝え、祝え!
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"TVたわー"最終話 ~Y町(の病院)には、あったんだ?~

2010年03月29日 17時05分00秒 | Weblog
 高松宮記念(GⅠ)で三連複⑥-⑯-⑰が当たった~!¥300賭けてたから約¥12,000の配当でしたv(^▽^)v (でも固定資産税の年度末分とJャF会費に消えちゃいます。)

 さらに今日(3/29)、いつも聞いてるHBCラジオの昼ワイド番組に投稿したら読まれちゃった。テーマは「少人数泣き笑い」。eとりさんが仕方なく送らざるを得なかった某小・中学校時代のエピソードを送ったところ採用されたのです。投稿が読まれるなんて初めてのことで感動しました。

 ニートライフはこのように充実しておりますb(゜∀゜) もうすぐ3周年!
 
 では本編。

2009年7月18日
 オカンがしたたかに頭を打ちつけて翌日が心配だったが、永遠の眠りにつくことなく目覚めてくれたのでホッとする。この日からeとりさんが台所に立つようになった。この日の朝食はオカンが退院する前から食べたがっていたかんぴょう巻(これは市販品)、と一緒に買った納豆巻、そしてこれは本当にeとりさんが作った人参と玉葱のすりおろし入り卵焼き、さらに梅干。帰ってきてすぐだから手はかかっていないけれど、これ以降、なるべくオカンにたんぱく質を摂らせ、塩分・糖分・脂肪を控えるような献立を考える日々が続いております。

2009年7月23日
 H大病院のK崎医師に言われたとおりY町病院の外科にかかる。オカンに付き添って診察室に入るとA医師(後日eとりさんを執刀することになる医師)がオカンを診察し、その後説明をしてくれた、のだが・・・。

A:「顔の発疹は帯状疱疹だね」
e:「えっ!?そうなんですか?」
A:「うん、(処方されてる)バルトレックスっていうのがそのための薬だよ」

 ・・・そんなの、H大では一言も言われてなかったぞ・・・?

e:「あのぉ~、病理検査の結果ってどうなってますか?こちらに・・・」
A:(食い気味で)「手紙に書いてあったけど胆管ガンで、進行度はⅡ。当日話聞いたんでしょ?」
e:「いや・・・検査結果は1週間後ぐらいに出るって・・・」
A:「1週間後に出るって言われた?あれ?この手紙に書いてあるんだけど?」

・・・え~、なんだよ、それ・・・

A:「血液検査は特に問題ないです。腫瘍マーカーも問題なし。足のむくみ?これはねぇ、いろいろ要因があるからこれ(むくみ)ばかり気にしててもね・・・様子をみるしかないね。ではお薬出しますから、はい、また1週間後にきてください。お大事に。」

 結局我々は細かいお話はもう聞いてるでしょというようにあしらわれ、病理検査に関する結果は進行度以外何も説明してもらえなかった。このヒトもH大病院出身なんだろなぁ、な~んかアソコの病院は患者とその家族に対しての説明の仕方に誠意が感じられんなぁ。

 ま、助かったから、いいか。


-----そして、今(2010年3月29日)-----
 
 オカンは昨年9月に白内障の手術を受けて、無事退院しました。その後はeとりさんが入院してる間に糖尿が少し悪化したけれど、まぁまぁ平穏無事。この前ひな人形の写真を載せましたが、全部オカンが一人で飾り付けました。あのひな人形が入ってる箱は結構重くて引っ張り出してくるのが大変だし、ひな壇を組み立てるのも結構手間なのですが、ようやったと思います。

 歩くのがあまりうまくいかず、歩くときには杖をついてますが、杖の使い方が正直ヘタです。さらに体が右に傾くようになってしまい、歩くとどんどん右へ曲がっていくのが困ったもんですが、とりあえず車や雪道の状態には自ら気をつけて慎重に歩いているので、まぁなんとか大丈夫かなと思っております。歩くのがこんな調子ですし、外は雪が積もって寒いので今はもっぱら家の中で過ごしておりますが、食欲は普通にあり元気です。ちょっと前まで足がパンパンにむくんでいましたが、内科でビタミンEを処方されるようになってからは若干改善しました。病院へはまだ1ヶ月に2回(外科1回、内科1回)通っておりますが、どちらも特に深刻な異常は見られておりません。

 このまま元気に死ぬまで生きてくれたらいいなー!

               "TVたわー"   

※あと1回、どーでもいいエピローグ"eとりさんS幌潜伏データ"をお送りします。
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番外編/1ヶ月間違ってるぞ

2010年03月27日 13時46分54秒 | Weblog
2010年3月27日、Y町の本日の天気はこうじゃ!


昨日まで雪がだいぶ融けてたのに・・・、
1ヶ月間違ってんぞ、オラ~~!

I love 温暖化!おりゃ~、みんなもっと二酸化炭素出せ~!!

これから雪かきだよ~ん、(TдT)エ~ンエ~ン
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せっかく退院したのに・・・油断大敵な7月17日(その4)

2010年03月26日 15時11分15秒 | Weblog
2007年7月17日(つづき)

 車を降りたオカンが歩道に上がろうと段に足をかけた時、オカンの体が前に後ろに何度か揺れた。残像が見えるような感じの揺れ具合だった。「・・・?」

 オカンは歩道に上がろうとして上がれず、バランスを崩して後ろへ倒れていく。すごくゆっくり倒れていくように見えた。「えぇぇっ・・・?」

 (゜Д゜;||)

 オカンは後ろ向きにばったり倒れ、肩のあたりから着地したはずみで後頭部をガクンと、舗装された路面に打ち付けてしまった・・・。

 「オカン!」

 慌てて車から降り、オカンのもとへ駆けつけた。「大丈夫かっ!?」

 オカンは意識があり、返事もしたが体がわなわなと震えており、腰が抜けて立てないような感じだった。eとりさんは以前、TVで古武術の心得がある方による「介護者が腰を痛めない被介護者の立たせ方」というのを見て覚えていたため、それを実践。オカンの前にしゃがみ、オカンの脇から腕を差し入れてオカンの背中側で自分の手を組み、そのまま重心をeとりさんの後方に移動(eとりさんが後ろにでんぐりがえしをしようとする感じ)させながらその勢いで立ち上がるとオカンをスムーズに立たせることができた。

 あぁ、半年ほどベッドで寝て暮らしてたツケは想像以上だった。しかし女性用のトイレの中まで付き添えないしなぁ・・・とにかくオカンを落ち着かせ、落ち着いたところで改めてトイレに行かせた。トイレの中に更にまた段差があったらどうしよう・・・不安に思いながらトイレから帰ってくるのを待っていると、一部始終を見ていたらしい人が「大丈夫でしたか?」と声をかけてきた。「えぇ、まぁ、なんとか大丈夫だと思いますが・・・」

 やがて用を済ませたオカンが無事トイレから出てきた。は~、肝冷やした。こんなところで何かあったら今まで頑張ってきたのが水の泡だよ、今まで前につんのめることばかり心配してたけど、まさか後ろにひっくり返るとはなぁ・・・。

 お互い気を取り直し、車に乗って改めて出発。この後は特に何も無く、16時半頃Y町の我が家に到着。オカンから関係各位に電話をさせ、無事退院した旨を連絡した。

 あ~~~~~~~、疲れた・・・・・(-_-;

 しかし・・・打った場所は後頭部であり、出血が無かったので、かえってこんな時は次の日に何かあるかもしれん・・・結局この日は手放しで喜べず気が気じゃなかったeとりさんであった。

※たぶん多くてあと3回、少なくて1回でこのシリーズ完結、の予定 もうちょい続きます。
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精算・凄惨7月17日(その3)~さらばH大病院~

2010年03月24日 18時19分05秒 | Weblog
2009年7月17日(つづき)

 K崎医師との面談が終わって病室を引き払い、ナースステーションに挨拶に行く。たくさんの看護師さんらがお見送りしてくれてオカンは思わず感動の涙ナミダ。愛されてて良かったねぇ。

 この後いろいろ費用を精算。入院費を2ヶ月分(6月と7月分)いっぺんに払わなくてはならなかったのがキツい。今月は車検でもそこそこの値段だったしなぁ・・・。それに比べりゃ冷蔵ロッカーの中途精算やTVカードの精算で戻ってきた金はスズメの涙・・・。

 しかし今日は退院でめでたい日なので昼食はフンパツ。H大病院のレストランで1食¥1000のスペシャルランチ「ばら散らし寿司」(アイスコーヒー&デザート付)を3人分オーダー。いつもハンバーガーとかラーメンだったからゴージャス気分で旨かった。

 メシを食うと眠い・・・パン屋より朝が早かった(はず)から疲れもピーク。それをぼそっと実姉3号にもらすと「高速乗って帰んなさいよ」とおっしゃる。しかたねーなー、金かかるけどそのほうが確かに安全そうだ。

 12:30頃病院の駐車場で実姉3号と別れ、いよいよY町に向かって出発。セコいeとりさんはできるだけS幌市から離れた、Y町に近い方向にあるインターまで下道を行く。さすがにS幌市内は車や信号が多くて思うようにペースが上がらなかったが、1時間かからないぐらいでインターに着き、高速に乗った。ここからあとはもう順調さ、フフフのフ~ン♪てな感じで進みました。

 でもやはり運転は疲れるので休憩はコマメにとっていた。そして高速に乗って3度目の休憩。T町のPAでオカンが車を降りてトイレに向かった。eとりさんは車に乗ったままボンヤリしていた。すると・・・アレ、変だな、おかしいな?オカンの姿が二重、三重に見えるなぁ・・・アレレ・・・?

 次の瞬間、

 「オカン!」(゜Д゜)                         (つづく)
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そぉ~なんですかK崎さん(懐!)主治医と面談した7月17日(その2)

2010年03月22日 12時16分25秒 | Weblog
「そ~なんですかK崎さん」の相方は何さんだったっけなー?Y本さん、だったかな?

2009年7月17日(つづき)

 H大病院駐車場の開門は朝7時からだったので車に乗ったまま待つ。時間になって車を駐車場の病棟に一番近いところに停めた。まだ朝早いので(記憶がないがおそらく)コーヒーなど飲みながら病院のイベントホールあたりでウダウダとヒマつぶし。

 8:20頃病室へ。オカンは・・・顔中発疹だらけ!赤黒いカサブタが斑点状に分布していて、ビックリしてしまった。7月15日頃からできはじめたという。バッチぃ手で触っちまったんじゃねーのか?、何をやらかしとんじゃ~(つД`)←後日、帯状疱疹ということがわかり薬を処方されました。

 オカンの身の回りを片付けなどしていて9:20頃、主治医のK崎医師と面談に。この時実姉3号も来ていたので、eとりさん、オカン、実姉3号と4者面談となる。

K崎医師:「主治医なんですが・・・初めてお会いしますよね、K崎です。」

 そー、主治医だっつーのに会うのがこれで最初で最後!もしかしたら回診に来ていたのかもしれないが、eとりさんが会えるチャンスのある夕方の回診(朝は面会時間外なので原則無理)では見覚えがない。H大病院における主治医っつーのは一体どーいうモンなの?

 そして面談開始。まずは手術時に摘出された胆管と胆のうの様子を写した写真のカラーコピーを見せられた(コピーは見せられただけで、くれませんでした)。胆管は切り開かれた状態で写っていたが、胆管内壁は見た目に何かデキモノがあるようではなく、ツルッとしたように見える。しかしここにガンがあると言う。詳細は病理検査待ちで、結果が出てくるのは早くてもあと1週間、結果が出たらY町の病院に連絡するから、とのことであった(←「Y町の病院へ連絡」という言葉は後日テキトーな言葉であったことが判明する)。

 胆のうは素人目でもかなりひどい感じに見えた。炎症がかなりひどい状態だったとのこと。胆管の様子と総合すると、黄だんが生じたのは胆のうの出入口が詰まっていたためではないかという見解が示された。

 一通り説明してもらった後、eとりさんがこの日のために考えておいた質問をぶつけてみた。
e:「風呂にはもう入れますか?」
K:「大丈夫です」

e:「食べるもので何か気をつけなければならないことはありますか?たんぱく質を摂るようにだとか、脂っこいものを避けたほうが良いとか」
K:「特に問題ないですね。好きなものを食べていいと思います。」

e:「散歩などの運動はしたほうがいいですか?」
K:「運動はしたほうがいいですね。」

e:「退院した後、体調面などで懸念されることはありますか?あるとすればどんなものでしょうか?」
K:「今、顔に発疹がありますけれどウイルス感染かもしれません。ガンに関してはリンパへの転移ということがありえますが、これについては前兆となるようなことが無いので、定期的な検査が頼りになります。」

e:「検査はどのような検査をどのぐらいの頻度で受ければよいでしょうか?」
K:「まず退院してから2週間以内にY町の病院の外科へ行ってください。ここ(H大病院)で渡す薬がなくなる前に行ってください。体調が安定したら最低でも3ヶ月に1回は外科で診てもらってください。血液検査で腫瘍マーカーをチェックするほかに、超音波やCTを半年か1年に1回やるのがいいですね。」

e:「次にガンが見つかった場合、開腹手術は可能ですか?」
K:「できないことはないですが、ケースによります。ただ、抗ガン剤は体力面で難しいと思いますし、放射線でというのも難しいと思います。」

e:「今飲んでいる肝臓のための薬などは今後ずっと飲み続けなければならないでしょうか?今飲んでいる薬の種類はどういうものなんでしょうか?」
K:「今飲んでいるものは・・・リーバクト、EPLカプセル、ウルソが肝臓の薬、パリエットが胃や十二指腸、アローゼンが便秘、レンドルミンが睡眠薬、ラシックスとアルダクトンが足のむくみを取るための利尿剤です。薬は今後も飲み続けることになります。」
(※ラシックスとアルダクトンはY町へ戻って以降、処方されなくなった。理由は不明だがeとりさんメモにK崎医師が「むくみは今後良くなっていくであろう」と発言した旨が書かれているのでそのためかもしれない。)

e:「5年生存率(術後5年間の生存率)というのがありますけど、どのくらいかわかりますか?」
K:「人によりますから・・・なんとも言えないですね・・・」

 5年生存率っていうのは結構メジャーな言葉だと思ってたんだけど、はっきり答えてくれないもんなんだなぁ・・・。                         (つづく)
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朝1番早いのはパン屋~♪でなくeとりさんだった7月17日(その1)

2010年03月20日 15時50分54秒 | Weblog
2009年7月12日
 鈍行列車とバスを乗り継いで約6時間かけてY町へ帰る。余談ですがこの鈍行列車が通っている路線はM原"アンチO沢"大臣がかつて撮り鉄しに来ていたところ。

2009年7月13日
 H館市の中古車屋さんが車検のためにeとりさん家まで車を引き取りに来た。わざわざこんなところまで来てくれて、不況っつーのはえらい事だねぇ。

2009年7月14日
 夕方に姪っ子Sから電話。オカンからの伝言を承る。この日の朝9時前に「17日退院」と言われたとのこと。主治医との会談が朝9~10時にあって、さらに10時半には病室を引き払うように、ということであった。

 先日「このぶんじゃもう少しで退院だね」と言われていたらしいが、まさか本当にこんなに早く(手術後3週間)退院できるとは思いもよらなんだ!あぁ、もうあんな潜伏先やウイークリーマンションなんかにも泊まらなくて済むんだ (人´∀`)わーいわーい♪

2009年7月15~16日
 16日に車が戻ってくることになっていたので、たぶんY町でゴロゴロしてたと思はゆ。

2009年7月17日
 ここにも書いてあるように、朝9時までに病院に来い、っつーんだよ。高速なんか乗りたくないから下道で行くんだけど、まぁeとりさんの運転じゃ多分5時間ぐらいはかかるなぁ・・・S幌市内で渋滞に遭いたくもないし・・・。
 つーことで16日の夜10時には床に入り、夜中の2時に起きようと「思った」。しかし寝過ごしちゃったらどぉ~しよぉ~♪(F士サファリパーク風に詠ってくれ)と思うと緊張しちゃってなかなか寝られない。結局ろくに寝ないまま1時半頃起きて、午前2時20分頃Y町を出発。

 夜中の国道はガラガラでスイスイス~と走れた。朝4時頃、豪州人に占領されそうなK町のLーソンで一服。朝焼けに映える羊蹄(ようてい)山のシルエットが素晴らしい。

 さらに車を進め、5時半頃O樽市内の"711"で¥100セールのおにぎり1ヶを購入。K町でRポビタンを飲んでおいたのだが、ちょっとしんどくなってきたなぁ。

 このあたりからS幌までの間は今まで車で通ったことが無く、ちょっと不安。海沿いの道では発泡スチロールのでかい箱が落ちててぶつかりそうに(もしかしたらぶつかってたかもしんない)なったし、片側2車線のトンネル内では急カーブなのに、後ろについているトラックの圧迫感を感じてスピードを上げてしまい、自分でも「あーこりゃ危ねぇな」と思うような運転をしてしまった。

 「大丈夫かな、オレ?」という不安が常につきまといながらもよーやくS幌市内へ入る。S幌市内西部(O樽側)はほとんど土地勘はないのだが、青看板をよく見ながらなんとなく走っていくと見覚えのある交差点まで来た。S幌駅のすぐそばであった。あとはもう時間の問題。毎日お百度を踏んだところを車で行ける有り難さ!そしてついにH大学病院の正門に入った!時刻は6時20分。

 「・・・?」eとりさんの前に車が3台くらい停まっていたが、車が進む気配がない・・・。何の気なしにちょいと視線を左側にもっていくと・・・

 「開門7時」  ゲロゲロ~(TдT)                   (つづく)
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お気持ちは非常に有り難い・・・のですが、な7月11日

2010年03月17日 17時23分50秒 | Weblog
 本日の記事は反感を招きかねない内容がありますが、患者の付き添いを長期間経験した立場から感じたことを綴っております。できればご理解を賜りたいと思います。

2009年7月11日
 JャFの冊子についてた割引券でSブウェイのサンドイッチを食べたり、ランチラーメン¥500の看板に誘われてラーメンを食ったりした後H大学へ。まだまだお昼なので、前から入ってみようと思っていたところへ行ってみた。そこは・・・

 H大学理学部総合博物館。

 現在(2010年3月)の時点でもう半年以上経っているからあまりよく覚えてないのですが、化石などいろんな標本が展示されてました。S幌農学校だった頃は明治維新から10年~20年ぐらいしか経ってなかったのに、北海道内のいろいろな自然の産物(動・植物など)や地学的調査をかなり精力的に行っていたという感じを受けました。雇われ外国人も当時の学生らも相当情熱をもって開拓当初の北海道に対峙していたのだねぇ。入場はタダですからいっぺん見てみてください。じっくり見てたんで17時近くまで居てしまいました。
 
 17時半頃病室に入ると実姉1号夫妻が見舞いに来ていたとのことで、お見舞い品を置いていってくれていた。お見舞い品は大変有り難いのだが・・・。りんご、梨が大量に・・・う~ん(-_-;)、皮むかなきゃなんないのにナイフを置いていってくれてないぞー。そして、缶詰・・・缶切りも無ーい!
 気持ちはありがたいのだが、日持ちしないものを大量に頂戴したり、パーキンソンのせいで手が満足に動かせないのにナイフや缶切りを使わなきゃなんないものを頂戴しても正直困ってしまう。「ナイフなんて病院から借りられるでしょ?」なんて思ってるかもしんないけど、貸すワケないじゃん、そんな危ないもの。なんかあったら病院の責任になっちまいますよね。

 お見舞い品は患者の身になって、さらには「もったいない」の精神をもって選んでいただければと思います。具体的に書いてしまうと「頂戴する側なのに何様だ!」と思われかねませんので、この程度でeとりさんの意を汲んでいただければと思います。これからお見舞いをされる方々はぜひご一考くださいませ(←うちのオカンのことだけを言ってるのではありませんよ)。

 余談ですが食事制限を受けてる最中に食べ物のお見舞い品を頂戴するのが一番困ります。食べさすわけにはいかないし、かと言って、くださった方のお気持ちもよくわかるし。あと、同室の患者さんからのおすそ分けも困ることがあります。eとりオカンは糖尿病なので普段から甘いものを控えさせたかったのですが、同室の患者さんが「お見舞いでもらったから」と言ってクッキーなどを分けてくださったことがありました。
 「困ったなぁ」と感じるeとりさんは神経質なだけなんですかね?いやいや、軽い病気ならいざ知らず、重い病気をわずらっていたのですからこのぐらいは気を遣わねば、と思います。

 なかなか"電池の切れない"同室の患者さんが、(おそらく)パーキンソンのせいでなかなかテンポよく会話に反応できないeとりオカンに話しかけてきたり、親切心で「食べなさい」といろいろ食べ物をくれたりしていたこともあったなぁ。こういうのも困りましたね。オカンの反応の仕方によっては誤解されることもありますからね。まぁとにかくいろいろと面倒くさいことがありました。親切でしてくださっているからこそ困っちゃうんですよねー。

 オカンが夕食を食べ終えるのを見届け、19時過ぎに退室。先日の記事にて紹介した¥500券でまたもやLッテリアへ。これがS幌での最後の晩餐となる、のか?明日(2009年7月12日)は車検のためにY町へ戻る日なのであった。      (つづく)
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どーでもいい緊急のお知らせ

2010年03月17日 00時54分35秒 | Weblog
 あまりの迷惑メールの多さに参ってしまい(無料通話分よりも多く届くようになってしまった)、長年愛用してきたケータイのメアドを変更しました(機種はあいかわらず20世紀型のままです)。

 年賀メールを差し上げていた方々には来年の年賀の挨拶時にお知らせします(お互いに不幸のない場合)。

 なんにもないと思いますが、なにか連絡を取りたい方はお手数ですが当ブログのコメント欄に「連絡くれ」という投稿をお願い申し上げます。eとりさんのパソコンメアドをご存知の方はそちらでも結構です。

 家事が忙しくてなかなか本編が書けませんが、多分今日(3/17)は救急車記念日なので本編を執筆すると思います。ではまた後ほど。
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