どーも、eとりさん”twitte-nine-r”です

ツイてないeとりさんが140文字にとらわれず、己の境遇を
つぶやきます。ニートの生き様を目に焼き付けるがいい!

eとりジュニアがやってきたヤァヤァヤァ、な4月30日

2009年10月30日 23時49分29秒 | Weblog
レ○タン女、怖いなぁ・・・。

4月29日
 16:30頃病室に行くとなぜか病室内はオカン1人だけになっていた。これはチャンスだと思い、ケータイで伯父・叔父・叔母らに電話をかけ、オカンと話してもらった。

 ゲロゲーロになった26日の晩から昨日の28日まで食事が摂れなかったオカンだったが、この日は朝から普通の食事が摂れるようになっていたとのこと。この日の夕食はちょっと前までのペースと変わらない感じで食べていた。

4月30日
 世の中ゴールデンウイークなのを利用して、内地からはるばる見舞いのためにeとりジュニアが朝早くに蝦夷地に上陸することになっていた。朝9:30頃eとりさんの潜伏地にて合流。同じホテルに泊まることになっていたのだがまだチェックインができない時間なので、ジュニアのクソでかい荷物を一旦預かり、eとりさんのロッカーに詰め込むことにした。
 
 この日は確か平日で午前中から見舞うことは(一応)できない(ことになっている)ので、見舞いができるようになる15:00までなんとかヒマをつぶさねばならない。そこでかねてより登ってみたかったMイワ山に行くことに。Mイワ山の頂上へは往復¥1100もするロープウェーで登るのだが、こすっからいeとりさんは割引券&市電乗り継ぎ割引を使って¥200引きで登ったのであった(言うまでもないがジュニアも¥200引き)。
 ←まだ山肌には雪が残ってるんだよねぇ・・・。

←Mイワ山のホントの頂上に行くにはロープウェー山頂駅からさらにバスに乗らねばなりません。このバスはタダで乗れるので当然乗った。

ホントの山頂には売店やレストランのある展望台があり・・・
←Mイワ山のマスコットもーりす君がお出迎え。TBSのハプニング大賞でグランプリとなり賞金100万円をゲットしたあなどれないヤツなのだ。


↑Mイワ山眼下に広がる150万都市の眺め。テポ丼が飛んでこないことを祈ります。


↑もうほとんど伏せてる意味ないですね(^^;。eとりさんは元気にやっております。

 Mイワ山頂で約30分ぐらいウダウダし、降りてからメシを食ひ、さらにブ~ラブラウ~ダウダ市内を徘徊。ジュニアがホテルでチェックインしたのちに病院へ向かう。16:00過ぎに病室着。ジュニアがオカンに会うのは昨年の8月以来。病室ではオカンに手土産等を渡しいろいろ話したり写真撮ったり。オカンもうれしそうだった。  (つづく)
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北国はまだ早春なのに"チューブ"だった4月28日

2009年10月28日 22時59分12秒 | Weblog
4月28日
 朝10:00過ぎに"なかU"でうどんを食い(ホントは朝定食が食べたかったのだが間に合わず・・・)、O通公園の地下街をブ~ラブラしているとケータイに電話がかかってきた。出るとH大病院からで、「胆のうへドレナージしたいので承諾してほしい」という話だった。その場で承諾する。15:00頃病院まで来てくれればかくかくしかじか説明するとのことだったので、それまでひたすらヒマをつぶす。

 昼飯はO通公園の地下街にあるそば屋でオープン半年記念のカレー¥250。旨かったのだが記念セールはこの日でおしまいだった。もうちょっと早く気づいていれば・・・。
 
 この日の撮影ではないのだけれど、eとりさんがヒマつぶしのためにブ~ラブラしながら撮った写真をいくつかご披露しましょう(サムネイルをクリックすると拡大します)。
 
↑A森県8戸生まれのタレント(←eとりさんはこの人好きじゃありません)がほっかいどで荒稼ぎ。客が多い日はガードマンらしき人が複数現れます。生キャラメルは千歳空港で買うより、このO通西5の店かS幌駅地下街で買うほうがあまり並ばないで買える、とH大病院の看護師N村さん談。


↑eとりさんがよくAMラジオで聞いているHBC(北海道放送;ラジオだけでなくテレビも放送します)。この建物のすぐそばでラジオを聴いてみました。すぐそばでDJがしゃべっているかと思うとちょっと感動。


↑こちらはSTV(S幌テレビ;テレビと銘打ってますがラジオも放送してます)。ここでも建物のすぐそばでラジオを聴いてみました。


↑こちらは国営放送S幌局。ここのそばにはベンチがあって、よくボーッとするのに利用してました。ここでも建物のすぐそばでラジオを聴いてみました。
 結論:ラジオ局のすぐそばでAMラジオを聴いても音質はすごくいいわけではない。


↑よ~やく紹介することが出来ました。O通公園にそびえるその名も"テレビ塔"。ここの運営会社は長年にわたって億単位でO領されているのに倒産しない超優良企業です。
 4月末だっちゅーのに木々には若葉のカケラもなく・・・、なまら北国だべさ。


↑S幌駅内のわかさいも直営店にて。CMモデルは道民が誇るPeople's Champ。この記事書いてる時点でまだチャンピオンなんだから偉大だよ。カメ野郎に負けんな!

 ・・・で、よーやく15:00になり病棟8階のナースステーションで待っているとK村医師が現れ、一緒にオカンのいる病室へ。

K村:「胆のうに挿したチューブから汚い色の胆汁が出たけど今はだいぶきれいな色になってきたんで、これで胆のうの腫(は)れも治ると思うし、あとはビリルビン値が下がるのを待つだけですね。体重も減ったんで足のむくみもだいぶ良くなったと思いますよ。」

 ついでに腹水を抜く処置もしたらしく、コップに半分くらい出たとのこと。腹水を抜く処置は今後もうしないらしい。この日のオカンは処置の際に受けた麻酔のためか"ろれつ"がまわらない状態だった。

 余計な胆汁を排出するためのチューブはこの日で1本増えたし、以前は注射器で行っていた「自らの胆汁を体内に戻す処置」が点滴で戻すシステム(胆汁の入った容器を上から吊り下げて点滴のように胆汁を体内に戻す)に変更されていて、体がチューブだらけのオカン。つらく苦しいだろうが耐えてほしい。          (つづく)
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ちょっと、ちょっとちょっと、だけホッとした4月27日

2009年10月27日 23時50分00秒 | Weblog
↑旬じゃないギャグで、ゴメンネごめんね~~!(オール栃木でまとめてみました。OK牧場?)

4月27日
 17:00過ぎに病室へ行くとオカンはまた点滴を受けていた。まもなく回診となり、4/20に来ていたK村医師がまた現れて話をしてくれた。

K村:前にやった肺の気管支鏡検査ですけど、肺に見えた病変(びょうへん)は原発性(げんぱつせい)のグラニュローマという良性のできもので、今すぐどうのこうの問題になるようなものではないですね。」
e:「あ、そうなんですか」(良かった~(´O`;) )

 向こうからわざわざ話しかけてくれたんで、これはチャ~ンスと思い、さらに尋ねてみた。

e:「(これまで看護師さんから聞いていた)ビリルビン値が平均すると1日あたり0.2ぐらいのペースで下がってるみたいなんですけど、それだと手術可能になるまであと30日か40日ぐらいかかりますよね。それぐらいの期間だとまだここ(H大病院)に入院したままで居られますか?」
K村:「そのぐらいだったらこのままでいいと思います。」

 はぁ~、良かった。手術しか治す方法が無いからここに来たのに、手術ができるようになるまでヨソに行ってろって言われたら元の木阿弥だからなぁ。しかし、はたして順調に0.2ずつ下がってくれるんだろうか?どこかの値で下げ止まったりするかもしれないし・・・いやいや今は希望を持って臨むしかない・・・。

 などと思っていたら、さらに
K村:「抗生物質の点滴をやめたらまた胆のうが腫れてきたので、胆のうにチューブを挿して根治させるようにしないとならないですね。足のむくみは体重がまた減ってきたのでちょっとだけ良くなりましたよ。」
とおっしゃった。

 この日のオカンの体重は55kg。4/21には59kg以上あったのだが、それ以降は利尿剤が効いてきて順調に減っているようである。体重がどうこうのよりも体内の腹水が減っているかどうかが今の場合重要なのであるが、足のむくみも改善されているようであれば、なんとか良くなってきているのかな・・・。とりあえず肺がなんともなさそうなのが救いだ。                                   (つづく)
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強引グ・マイウェイが良くなかった4月26日

2009年10月26日 22時03分15秒 | Weblog
↑今回のダジャレ、苦しい・・・。

4月26日
 この日は日曜日だったので12:00過ぎに病室へ。元気そうだった。昼食はおかゆを全部、おかずは全体の8割ほど食べた。特に鰈(カレイ)のムニエルはばくばくと全部。醤油をかけてやったせいかも。しょっぺーものが好きだからなぁ。オカンの食事を見届けた後、eとりさんも病院のレストランで中華丼¥630とアイスコーヒー¥150で昼食。

 その後何回か病室を出たり入ったりして夕食時となった。夕食のおかずは八宝菜。オカンが八宝菜の中のウズラの卵を残そうとしたので、「せっかくのたんぱく質なのに!」とeとりさんはオカンにとにかく食べるように強要。そして・・・、

 「ゲロゲーロ」

 あぁ、戻してしまった・・・。この勢いで昼に食べたものまで戻してしまったみたい。失敗したなぁと思いつつ片付けて、いつものように食後の体温を測ると37.8℃まで体温が上がっていた。すぐに看護師を呼ぶと、今度は看護師が医師を呼び、採血とレントゲンを撮ることに。この時だったかどーかハッキリ覚えてないんだけど、イマドキってレントゲン写真をベッドに寝たままで撮ってもらえることができるんですね。台車がついたレントゲン撮影装置を病室まで持ってきて撮るんですよ。てっきりレントゲン室に連れてかれるもんだと思ってました。

 んで結果はというと、レントゲンの結果は特に異常なし、採血ではビリルビン値が6台にまで下がったとのこと。発熱の原因はよくわからなかったようでした。イヤなもんを無理矢理食わしたのがマズかったんかなぁ・・・。

 19時半過ぎに退室。ホテルに着くと、前日の浴衣の件で文句を言っておいたフロントのおねーちゃんが、
「浴衣のことなんですが、別のお客さんがお客様(eとりさん)のところから持っていったせいかもしれないので、これからはベッドメイクの時にカーテンを半開き(通常は全開)にして外から見えないように浴衣を置いておきます」と言ってきた。eとりさんのまわりは迷惑なヤツばっかりだ・・・。                        (つづく)
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番外編/少年の夢かなう、の巻

2009年10月25日 12時54分39秒 | Weblog
 先日、
ジョージアの懸賞に当たったー!
って書きましたけど、ついに賞品が届きました(´∀`)/

 昨日(10/24)の朝早くにでかいダンボール箱が届きましてね(いろいろやることがあって開けたのは夜遅くでしたが)。


いそいそと開けてみますと
←これこそ懸賞当せんの証。クリックしてみやう!

・・・とうせんの「せん」の字は本当は「選」じゃないんだよね、こういう場合は「せん」か「籤」でございます。どーでもいいか。

そして・・・、

↑これこそ少年の頃からの夢だー!クリックしてみて呉れ給へ。

 世をしのぶ小学校5年生の頃、よく読んでた週刊少年チャンピオンの裏表紙広告によくタミヤのラジコンの広告が載ってましてねぇ、6輪のタイレル(今はティレルとおっしゃるそーですが)、リジェなどの当時のF1マシンやランボルギーニチーターなどのバギー車の広告を見ては「欲しーなぁ」と思っていたものです。そんなところへ近所の1つ上の友達Mっちゃんがランボルギーニチーターを買って走らせて自慢してやがった。「いいなぁ、うらやましー」と思うしかなかった。なぜならば、タミヤのラジコンの当時の値段はプロポ(送信機)、バッテリーなどが"別売"で¥15,000~¥30,000していたのです(しかも自分で一から組み立てて塗装もしなければならないという完全プラモデル形式)。とてもとても買えません。それ以来の少年の夢がかなったのです。しかもタダ同然で!(まぁジョージアは買って飲んでましたけど。ちなみにこのラジコンを当てるには最低でも8本飲まないといけなかったのですが)。今回当たったものは最初から組みあがっていて、プロポもバッテリーも付属していて、あとはもう走らせるだけ、というモデルなんだけど、これだって今でも買えば¥19,320もするんでございますよ(とはいえン十年の時を経てメガネとラジコンは相対的に安くなったよね)。
 当たったラジコンの詳細についてはタミヤのこのページを見てみてね。
 
 早速走らせてみたい、と思ったけど・・・プロポ用の単三乾電池8本は別に用意せよとのこと。うーむ、ちゃんと走らせるのはいつの日か・・・?

※次回からまた"涙、ナーミダの"スチャラカ看病記、の予定
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改めて呪われてると思わされた4月25日

2009年10月23日 17時46分17秒 | Weblog
テレビ観るのやめたら逆転するんだよなぁ、応援のしがいが無いぞ、ハム・・・。

4月25日
 朝ホテルを出ようとエレベータに乗ったら・・・ヤツと一緒になってしまった・・・。eとりさんを怒鳴りつけてきたアイツ。そ知らぬ顔( ̄ε ̄)してエレベータを先に降り、フロントでちゃちゃっとキーを返して靴置き場へ行くと、そのフロントのほうから大きな声が響いてきた。
ヤツ:「・・・$¢£%#&*§☆★○●◎◇◆なんだからサービスしてくれよ!」
フロントの女性:「申し訳ありませんが$¢£%★○●◎はできません・・・」

 ヤツぁクレーマーだったんだなぁ、モンスター級の。記号で表記した部分は実際に何言ってたか聞き取れなかったんだけど、おそらく無茶なことを言っていたに違いない。あぁ、なんでよりによってあんなヤツに遭遇して怒られなきゃなんなかったんだろ、ホントにeとりさんは呪われてるよ・・・。フロントのおねえちゃんはしのぎきれたんだろか?

 その後朝マックしてると斜向かいの席ではキャッチセールスみたいな感じのにいさんが一生懸命男の人に力説中。ダマされちゃいかんぞ。

 この日はO通公園やその下の地下街、S幌駅隣接のデパートなどをぶらつき、17:30頃病室へ。今日も体重が減っていて良かった。夕食は、ふりかけと出された卵味噌でおかゆを全部、おかずに出たもののうちヨーグルト、味噌汁、小松菜のあえ物は全部食べた。食後の体温はひさびさに37.1℃でちょいと高め。
 4/19から始めていた蓄尿もう必要が無くなったとのこと。これまで蓄尿のためにベッドの脇におまるを置いていたのだが、これからも引き続き使うと言う。体を動かすのに時間がかかり、トイレまで行くのがしんどいようで、夜間や間に合わなさそうなときはやはりおまるがあると便利らしい。

 18:30頃退室。ひさしぶりにお大尽しようと、南1西4の某食堂で日替わり定食(¥700也)を食べる。ご飯と味噌汁がおかわり自由だったんで腹いっぱい食べた。いい気分になってホテルに戻ると・・・ベッドの上に置かれているはずの浴衣が無い。またかよ・・・(T T)                             (つづく)
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電話のことでまたグチります

2009年10月21日 01時05分27秒 | Weblog
 書き忘れてたグチがあったんで今のうちに書いちゃいます。

 内地の親戚やY町のオカンの知り合いの方で「お母さんとケータイで話したいんだけど・・・」って言う人が何人かいらっしゃいました。もう世の中ケータイ社会ですから無理からぬことでしょう。しかし・・・いろいろアカン理由があるのです。

 まず個室でない病室内は原則ケータイ禁止です。そうは言っても持ち込んでる方はいますけどね。でもそういう方でもやはり通話は自重されております。せいぜいメールですね。話したい方はデイルームへ移るなどしてました。

 でもそれだけの理由だったら、「電話がかかってきたら病室から出ればいいじゃない」って思うでしょ?それができたら苦労しませんよ・・・。

 うちのオカンはおそらくパーキンソンのせいで動作が非常に遅いんですね。だからケータイがかかってきてもすぐにケータイを受けることができないんです。キーを押すのも一苦労。となれば、たとえケータイをマナーモードにしておいてもヴァイブレーションの音がいつまでもうなって他の患者さんの迷惑になりますよね。

 さらに普段横になっているベッドから起き上がるのがまた一苦労。体からは胆汁を出すためのチューブが出てるし、このチューブを引っ掛けないようにしてベッドから起き上がり病室の外へ出るだけでも分単位の時間がかかってたんです。トイレに行くだけでも大変な思いをしてましたからね。そんな調子だから、病室の外に出るまでケータイに出ないというそんな悠長なことをしていればケータイは切れてしまうでしょうし、ケータイに出てから室外へ出ようとすれば会話しながらということになってしまうから、それはマナー違反ということになってしまう(怒鳴る奴はいないと思いますが・・・)。

 高齢と糖尿とパーキンソンのために歩くのがこれまた亀並みのオカン。誰からも後ろ指さされずに話せるデイルームまで歩いて移動となるとこれまた分単位の時間がかかります。ベッドから起きてデイルームまでとなると10分は楽にかかってたでしょうなぁ。

 看護師さんからは手術のための体力づくりとして普段から歩くように言われていたのですが、歩くのが面倒でしかも疲れるらしく、なかなか歩かなかったオカン。いくら激励のためとはいえ、しょっちゅう電話をかけられ、そのたんびに歩かざるを得なくなるというのは如何なものでしょうか?歩くのを面倒くさがってベッドの上で電話に出たままになってしまえば同室の患者さんから白い目で見られるであろうし・・・。

 ちゃんと書けばこれだけのボリュームになる事柄をパーキンソンに関する知識の無い方にわかるように話すのって大変そーでしょ?しっかり話してもわかってもらえる保証はないし、話を聞く人は1回だけど、話すeとりさんはもう何べんもいろんな人に話さないといけない、あーメンドくせー!

 だから「何かあったらコッチから電話かけますから(心配しないで)」と言うと、何か隠してるんでないのと訝(いぶか)しく思われたりもするわけですよ、もうたまらんわ。心配してくれるのは大変ありがたいんだけど、もう少し想像力を持ってみてくれ給へよ、と思うわけです。パーキンソン云々はともかくとして普通病室なんて4~6人ぐらい患者がいるんだから、そんなところでケータイがまるっきりOKなわけがなかろうがっ!

 ほんっとメンドくせー、ケータイ!
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"レジモン"登場しだした4月24日

2009年10月21日 00時00分59秒 | Weblog
4月24日
 朝昼兼用で¥50引きクーポンを使いYシギューで豚丼並つゆだく。他の客よりほんのちょっとだけ遅いタイミングでお勘定を頼んでしまったら、店員がeとりさんの方から勘定しようとしたので「アッチが先だよ」と言って順番を譲る。"昨日の今日"だからなぁ、いらんことで怨みをかってはイカン・・・。(ボケモン登場)

 その後S幌駅隣接のデパート内にあるAビーシーマートでオカンの靴を物色。「この靴ください」って言ったのに店員が他に靴ヒモや靴下など余計なものを買わせようとしつこくすすめてきやがった。当然靴しか買いません。(バカモン登場)

 病院について売店で缶コーヒー¥98を購入。¥100玉出したのにレジのおばはんが¥1000と打ち間違って「ごめんネ」と言ってレシート渡された。やはりレジとは相性が悪い・・・。(ウッカリモン登場)

 で15:00頃病室へ。ラッキーなことにオカンが起きていた。あれだけ"レジモン(レジスターモンスター)"に遭遇してツイてなかったのになぁ。早速買ってきた靴を合わせてみる。足のむくみを考慮して念のために少し大きめの24cmのスニーカーを買ってきたのだがまぁまぁいい感じだった。靴ヒモをゆるめにしておいてちょうどよかったから、足のむくみはかなりなもののようである。体重はこの日も減っており、良い傾向になりつつあるような気がした。この日の夕食は梅干1/2ヶでおかゆを2/3、おかずは1/2食べた。デザートのミルクゼリーは全部食べた。

 夕食後、オカン自ら東京や埼玉にいる兄弟・妹(eとりさんの伯父・叔父・叔母)に電話をかけさせるべくデイルームへ連れ出す。廊下を歩いていると夜間によく担当になっている看護師さんが「(オカンの)腰が真っ直ぐになってきたね」と声をかけてくれた。デイルームが騒々しかったのでエレベータで1階のホールに移動してようやく電話をかける。なんと伯父が5月14日に遠路はるばる見舞いに来ると言う。伯父も"病気のデパート"な方なのだがなぁ・・・。

 病室に戻ったらS田さんを見かけたのでビリルビン値について尋ねた。一時7.9まで下がったのだが今日はまた8.2まで上がってしまったとのこと。今日はまた検査があったようで、20日に説明しに来たK村医師が「もう少し気長に待つか」と言った、とオカンは言っていた。が、オカンの言うことだからなぁ・・・4/14には「肝臓機能が回復してきたんだって」と言って実はそうじゃなかったし、昨日の23日には「ビリルビンが6台になった」とか言ってたけど実際には7.9までしか下がってなかったみたいだし・・・希望的観測発言が多いよな・・・。

 19:45退室。この日のeとりさんの夜メシは"Mよしの"の餃子カレー(¥378)。・・・Kンミンショーで取り上げなきゃならんほどうまくなかったぞー、もっと"おいしさひろげろー"(←道民で昭和な人しか元ネタわからんな)              (つづく)
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ビビったヘコんだ4月23日夜

2009年10月19日 18時27分40秒 | Weblog
秋華賞⑤→⑫→③獲りましたー、いぇい♪ 床屋行こっと(⌒∇⌒)/

4月23日の夜
 eとりさんは後日この看病記を執筆するために、20世紀型ケータイに毎晩プチプチとメモを打ち込んでおりました。この日もマイカプセル内でプチプチっとメモを打ち込んでいると、いきなり打ち込んだメモが消えて電話がかかってきた時の表示画面に変わったのです。「!!!」「??????」(@◇@)

 eとりさんは所有しているケータイばかりでなく、ケータイの使い方に関しても「20世紀少年」。そーだよ、僕だYO!(目) いやそれどころじゃない、メモを打ち込んでいたのになぜ電話が?今まで一生懸命打ち込んでいた文章はどーなっちゃったの?と軽いパニックに。どーしたらいいかまごついている間につい「受話器をはずした電話マーク」のキーを押してしまった。このときケータイはヴァイブレーションモードにしていたのだが、ケータイの振動が止まった。どーやら通話モードになってしまったらしい。
(このあたり、ケータイを使いこなしている方々には理解できないと思いますがもう少々お付き合いください)

 カプセル内での通話は「お控えください」となっているのはわかっていたのだが、とっさに「もしもし」と電話に出てしまった。電話の相手は埼玉の叔母。eとりさんが4/22に出した速達が届き、手紙を読んで心配になった叔母がかけてきたのだった。このときすぐカプセルから出てロッカールームの方へ移ればなんの問題も無かったのだが・・・。

 そのまま少々話し込んでいたら、急にカプセルのカーテンがジャッと開いて
「お前ここどこだと思ってんだよ!電話なら外でしろよ!何考えてんだっ!」

 丸くてギョロっとした目玉を見開いたパーマ頭(パンチではなかった)の男がすごい形相で怒鳴りつけてきた。いやいやもう超~~ビックリしましたよ。ケータイを顔にくっつけたまま「ごめんなさい、すいません」って謝ってカプセルから出たんだけど、ロッカールームへ行くまでの間、eとりさんの背中を見ながら「何考えてんだっ全く、☆●○§@£¢▽◎■※・・・」ってずっと罵ってた。

 いや、あのね、悪いのはeとりさんなんです。カプセル内で通話したのはマナー違反ですし、eとりさんは建材と共鳴してしまう声の持ち主なので若干響いたかもしれません。でもそれなりに声を潜めて話したつもりです。
 いきなり人のいるところのカーテンを開けて怒鳴りつけなくたっていいじゃないかよー(T T)
 カーテン開ける前に一声かけてくれればいいじゃんか・・・。

 あぁ、そもそもメモしてる最中に電話がかかってくるからテンパっちゃったんだよ。電話なんか昼間にかけてくれりゃいいのにさ。もうちょっとお上品なところ(=ワンルームのホテルorアパート)に滞在しているって思ってかけてきたんだろうなぁ。叔母さんだからムゲにもできないし・・・。電話すぐ終わるかと思って話してたら案外長く続いちゃったし・・・。

 カプセル内で電話で話した自分は確かに悪い・・・。しかし怒られ方があんまりだ・・・。怒られてビビった自分が情けない・・・。電話さえちゃんとしたタイミングでかかってくればこんなことにはならなかったのに・・・。でも叔母さんに、いついつかけてこい、今はダメだ、みたいな指図はできないし・・・。

 いくつもの不運が一度に重なりヘコみにヘコみまくるeとりさん、○十歳の春であった。                                     (つづく)

追伸(という名のグチ)
 (1)内地(本州)の親戚からの電話っつーのが結構大変でした・・・。「なかなか電話に出ないね、いつかけたらいいんだい?」、と、ある親戚が言ってきたので「昼間にお願いします」って言っても結局夜にかけてきたり。今回の一件以来、夜はケータイの電源を切ったり、ロッカーにしまっておいたりしてたんですが、そうすると今度は昼間の電話で「昨日かけたんだけど出なかったね、どうしたんだい?」と言ってくる。こんなふうな「タイミングの悪さ」っつーのがオカンの看病中ずーっと続きましたよ。今のeとりさんの置かれた状況を細かく話したところで伝わらんだろうし、なんとももどかしくてもどかしくて・・・。
 (2)eとりさんがこのカプセルホテルに潜伏している間、カプセル内で電話で話すマナー違反者はeとりさんだけではなかったんですが、怒鳴られたのはeとりさんだけ。他の人は怒鳴られるどころか注意もされていなかった。eとりさんがカプセル内で電話で話したのはこの「怒鳴られ事件」の時が本当に初めて。4月5日から宿泊し始めて本当にこの時が初めてだったんですよ。あまりにも不運じゃ、あ~りませんか(T T)
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フル○ンに驚いた4月23日

2009年10月17日 11時57分55秒 | Weblog
 この前の記事でリンクを張ろう(貼ろう?)として忘れてたのを載せておきます。
 ・むくみに関して
 ・腹水に関して
それと↓はクリックするとリンク先のホームページとともにメアドの入力を促す窓が開きます。が、入力せずともその窓を閉じることができます。お手数ですが肝臓が心配な方は見てみてくださいね。
 ・肝不全・肝硬変に関して(食事のことも載ってます)

では本題。

4月21日
 前日(4/20)に「木曜日(4/23)に医師らで話し合う」と言われたので、その日までは何も無かろうと思ってY町に帰ることにした。この日は平日でJRの安い切符は買えないし使えない。普通に高速バスで帰るのもつまらんし、高速バスよりも安く帰れる方法はないかと思案。で出た結論は、S幌からスキーリゾートでお馴染みのニセコまで行くバスに乗り、ニセコ駅から列車とバスを乗り継いでY町へ、という作戦。

 朝10時過ぎにS幌を出発。13時頃ニセコ着。重たい荷物を持って急坂を下ってJRニセコ駅へ。ここは民間委託駅になっており喫茶店が同居している。期間限定でSLが走ったりするため、確かSL用の転車台(ターンテーブル)があったはずなのだが、あいにく雨が降っており、乗り換えのために待たされる時間を鉄道趣味に費やすことはできなかった。

 ヒマだし腹も減ったので喫茶店に入りカレーを注文、¥735也。酸味のあるお上品な味でした。eとりさんはJャワカレーとかI度カレーとかVーモントカレーのルウを使って具だくさんに仕上げたほうが好きですね。あぁ、運賃を安くあげた分食費に使って結局高くついた・・・。

 ニセコを発ち、このあともう1回乗換えをして結局eとり家についたのが17時頃。7時間もあったら韓国に日帰りで焼肉食いに行けそうだよなぁ・・・。

4月22日
 東京の伯父、埼玉の叔父&叔母らにオカンのことについて手紙(速達)を出す。

4月23日
 高速バスでS幌入り。駅前の電光掲示板でKサナギ君が逮捕されたというニュースを見てビックリ!フル○ンで捕まっただなんて・・・"盗んだバ~イクで♪"の人のようにおクスリやってたんか?とか思ってしまった。

 16時過ぎに病室に行くとオカンは横になっていたけどまぁまぁ元気そうに見えた。おしっこの出が少し良くなったとのこと。体重の記録を見ると4/20から約1kg減って58kg台になっていた。オカン曰く医師がビリルビン値が6台になったと言ったらしい。Y町にいる間に上述のホームページなどで腹水や肝臓のことを調べていたので、オカンには梅干しを1日半個にするなど塩分を控えるようにしようと話した。

 この日の夕食には甘塩の鮭が出たのでほぐしておかゆの上にのせ、ふりかけを控えめにかけてやった。結局今日はおかゆを2/3ぐらい食べ、みそ汁は飲み干し、インゲンのおひたしも全部、鮭も約2/3食べたのでたんぱく質摂取はこれまでよりも上々なのではと思う。今まで飲んでなかった朝の牛乳も飲むようにしたとのこと。

 食事の時にベッドからおろしたオカンの足はむくんで甲が高く膨らんでしまっており、リハビリ用のズック靴のゴムが甲に食い込むようになっていたので、新たに運動靴(スニーカー)を買うことにした。

 19:30に退室。ホテルに戻ると、もう思い出したくない悪夢のような出来事が・・・。                   (つづく)
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