最初に謝っときます。記事が長くなっちゃいました、スンマソm(_ _)m
-----
先日テレビを観ていたら、S幌市およびその周辺で人気のスイーツを作ってらっしゃる方が出ます、ということで「まさか・・・」と思って観ていると、出てきた人は「やっぱり・・・」(゜Д゜;ll)
eとりさんはその人のお兄ちゃんとむか~~~~~~~~し、よく遊んでいて、いや、正確に言うと、ものすご~~~~~~~~~くド田舎なAという村のそのまたドドドドドドドドドド田舎のT地区(O地区だったかもしんない)で、遊び相手になる男の子がその"お兄ちゃん"しかいなくて、遊ぼうと思ったらその子しかいなかった、という状態。"お兄ちゃん"と言ってもeとりさんより年下なのであった。で、その「スイーツを作っている人」っていうのは、その人が赤ちゃんの頃しか知らんのである。と言うのも、eとりさんはその約2年後にそこから引っ越してしまったからだ。
だけどいまだによく覚えている。その人のお父さんは若くて、おとなしくて人のよさそうな人。お母さんも若くて美人。"お兄ちゃん"はメガネをかけていて、こうやって言うと申し訳ないのだけれど、ちょっとあんまし賢くない子であった。
そして赤ちゃん。赤ちゃんの方は、赤ちゃんだったからもちろん話なんかしたことないし、1回か2回ぐらいしか見た覚えがなく、どんな顔した赤ん坊だったかも、もうさっぱりわからない。でも名前だけは覚えていた。
で、テレビで観たその人は・・・あぁ、やはり覚えていた名前の人だった。うわ~、顔がお父さんそっくり!赤ちゃんだった頃しか知らないのに、こんな形で"再会"するとは・・・あたしゃすっかり浦島さんだよ。
その後ネットで調べてみると、その方はそのスイーツを作っているところの工場長というお立場なようであった。"お兄ちゃん"はどうしているのだろう。時々いじめてしまっていたからなぁ、それが元でオカシクなってなければいいんだがなぁ。実はそのスイーツはeとりさんの記憶が正しければ90年代後半ぐらいにはもうS幌に現われていて、それを作っているメーカー名(※あえて"メーカー"としておく)を見た瞬間にその"お兄ちゃん"のことを思い出し、"お兄ちゃん"に対する後ろめたさのために、まだ一度もそのスイーツを食べたことがないのだ。
人間っつーものはどこでどーなっちゃうもんだかわかんないもんだね。その赤ちゃんのほうとずっと仲良くしてれば今頃・・・なんてゲスなことも考えちゃうし。クソミソ、ケチョンケチョンに言ってた奴が表彰されたり、「ヨイショっと!」と褒めそやしていた人が不祥事起こしたりするかもしれないね。
-----
↑まぁここまで書いてきて言うと元も子もないのですが、「何言ってんだかよくわかんない」と思われる方々もいらっしゃると思います。そんな方々のために、「どんだけドドドドドドドドドド田舎」に住んでいたか書き連ねますので、こちらでお楽しみください。
題して、「こんなドドドドドドドドドド田舎はイヤだ!」
(※以前もこんな記事を書いたことがありますが、そことは違うところです。時代も異なります。)
・交通機関が馬ソリ
eとりオトンとオカンがそこへ引っ越すための唯一の交通機関が馬ソリだった
・ランプ生活
eとりオトンとオカンが引っ越してから数年は電気が届いてなかったらしい。水道も手押しポンプだったような気がする。
・中学生が「歩くスキー」で通学
当時、距離スキー大会で優勝した生徒もいたらしい
・一番近い商店まで3km
2軒あったけど、どっちも約3km離れてた。
・一番近いバス停までも3km
交通事情が発達してもそんな状態。住んでた地区からは車でないと行けないぐらい離れた地区にある保育園に通っていたeとりさんは、行きは自家用車、帰りはバス。バス停からは歩いて帰った記憶はあまりないが歩いて帰ったこともあったはず。3kmずっと砂利道だったよ。eとり家の車や"お兄ちゃん"のお父さんの運転するトラックに乗せてもらったこともあった。当時eとりオトンがバイクにも乗っていて、eとりさんがバイクのタンクの上、"お兄ちゃん"が後ろのシートに乗って帰ったこともあったなぁ。今思うと、年齢を考えたら逆の方が良かったんじゃないかと思うのですが(^^;
バスは回数券を持たせてもらっていたね。1枚¥40ぐらいだったかな?女性の車掌さんも乗っていて、終点のバス停でバスを転回させる時にバスの後ろでピピーッて笛吹いて誘導してたよ。昔はワンマンじゃなかったんだ。
・唯一の医療機関の名前が「開拓診療所」
住んでた家の向かいに確かあったように思はゆ。おばちゃんが一人いて、そこによく遊びに行ってかわいがってもらった覚えがあります。でもおばちゃんは医師だったんだろうか?保健婦さんだったのかな?あんなド田舎でもそういう人を常駐させていたとすれば、昔の厚生行政はさぞ手厚かったんでしょうなぁ。
・どこ行っても牛のウ○コ臭い
牛舎のある家が数百メートル間隔で点在していたんだけど、空気がよっぽどキレイだったんだねぇ、どこ行ってもさ・・・なワケよ。
そんなところもね、今じゃ立派なリゾート地になったみたいですよ。いまだに交通は不便みたいだけどね。
-----
今回の件(①)、ちょっと前のすっご~~く遠い親戚の件(②)、そして実は昨年の12月にも知人(③)がテレビに出てまして(①と③は北海道ローカル)、③以外はコッチが一方的に存じ上げてるだけなのだけれど、ちょっとだけでもeとりさんにかすってる人がテレビに出たということで想うことと言えば・・・
オレが出るときは加害者か被害者だなぁ・・・
どっちもイヤなので、やはり堅実にひっそり生きようと思いますm(_ _)m グアム、ロシア、エジプトには行きませぬ。江の島は・・・うーむ、行けるチャンスはいくらでもあったんだがなぁ。李下に冠を正さず、猫に首輪を付けず。
-----
先日テレビを観ていたら、S幌市およびその周辺で人気のスイーツを作ってらっしゃる方が出ます、ということで「まさか・・・」と思って観ていると、出てきた人は「やっぱり・・・」(゜Д゜;ll)
eとりさんはその人のお兄ちゃんとむか~~~~~~~~し、よく遊んでいて、いや、正確に言うと、ものすご~~~~~~~~~くド田舎なAという村のそのまたドドドドドドドドドド田舎のT地区(O地区だったかもしんない)で、遊び相手になる男の子がその"お兄ちゃん"しかいなくて、遊ぼうと思ったらその子しかいなかった、という状態。"お兄ちゃん"と言ってもeとりさんより年下なのであった。で、その「スイーツを作っている人」っていうのは、その人が赤ちゃんの頃しか知らんのである。と言うのも、eとりさんはその約2年後にそこから引っ越してしまったからだ。
だけどいまだによく覚えている。その人のお父さんは若くて、おとなしくて人のよさそうな人。お母さんも若くて美人。"お兄ちゃん"はメガネをかけていて、こうやって言うと申し訳ないのだけれど、ちょっとあんまし賢くない子であった。
そして赤ちゃん。赤ちゃんの方は、赤ちゃんだったからもちろん話なんかしたことないし、1回か2回ぐらいしか見た覚えがなく、どんな顔した赤ん坊だったかも、もうさっぱりわからない。でも名前だけは覚えていた。
で、テレビで観たその人は・・・あぁ、やはり覚えていた名前の人だった。うわ~、顔がお父さんそっくり!赤ちゃんだった頃しか知らないのに、こんな形で"再会"するとは・・・あたしゃすっかり浦島さんだよ。
その後ネットで調べてみると、その方はそのスイーツを作っているところの工場長というお立場なようであった。"お兄ちゃん"はどうしているのだろう。時々いじめてしまっていたからなぁ、それが元でオカシクなってなければいいんだがなぁ。実はそのスイーツはeとりさんの記憶が正しければ90年代後半ぐらいにはもうS幌に現われていて、それを作っているメーカー名(※あえて"メーカー"としておく)を見た瞬間にその"お兄ちゃん"のことを思い出し、"お兄ちゃん"に対する後ろめたさのために、まだ一度もそのスイーツを食べたことがないのだ。
人間っつーものはどこでどーなっちゃうもんだかわかんないもんだね。その赤ちゃんのほうとずっと仲良くしてれば今頃・・・なんてゲスなことも考えちゃうし。クソミソ、ケチョンケチョンに言ってた奴が表彰されたり、「ヨイショっと!」と褒めそやしていた人が不祥事起こしたりするかもしれないね。
-----
↑まぁここまで書いてきて言うと元も子もないのですが、「何言ってんだかよくわかんない」と思われる方々もいらっしゃると思います。そんな方々のために、「どんだけドドドドドドドドドド田舎」に住んでいたか書き連ねますので、こちらでお楽しみください。
題して、「こんなドドドドドドドドドド田舎はイヤだ!」
(※以前もこんな記事を書いたことがありますが、そことは違うところです。時代も異なります。)
・交通機関が馬ソリ
eとりオトンとオカンがそこへ引っ越すための唯一の交通機関が馬ソリだった
・ランプ生活
eとりオトンとオカンが引っ越してから数年は電気が届いてなかったらしい。水道も手押しポンプだったような気がする。
・中学生が「歩くスキー」で通学
当時、距離スキー大会で優勝した生徒もいたらしい
・一番近い商店まで3km
2軒あったけど、どっちも約3km離れてた。
・一番近いバス停までも3km
交通事情が発達してもそんな状態。住んでた地区からは車でないと行けないぐらい離れた地区にある保育園に通っていたeとりさんは、行きは自家用車、帰りはバス。バス停からは歩いて帰った記憶はあまりないが歩いて帰ったこともあったはず。3kmずっと砂利道だったよ。eとり家の車や"お兄ちゃん"のお父さんの運転するトラックに乗せてもらったこともあった。当時eとりオトンがバイクにも乗っていて、eとりさんがバイクのタンクの上、"お兄ちゃん"が後ろのシートに乗って帰ったこともあったなぁ。今思うと、年齢を考えたら逆の方が良かったんじゃないかと思うのですが(^^;
バスは回数券を持たせてもらっていたね。1枚¥40ぐらいだったかな?女性の車掌さんも乗っていて、終点のバス停でバスを転回させる時にバスの後ろでピピーッて笛吹いて誘導してたよ。昔はワンマンじゃなかったんだ。
・唯一の医療機関の名前が「開拓診療所」
住んでた家の向かいに確かあったように思はゆ。おばちゃんが一人いて、そこによく遊びに行ってかわいがってもらった覚えがあります。でもおばちゃんは医師だったんだろうか?保健婦さんだったのかな?あんなド田舎でもそういう人を常駐させていたとすれば、昔の厚生行政はさぞ手厚かったんでしょうなぁ。
・どこ行っても牛のウ○コ臭い
牛舎のある家が数百メートル間隔で点在していたんだけど、空気がよっぽどキレイだったんだねぇ、どこ行ってもさ・・・なワケよ。
そんなところもね、今じゃ立派なリゾート地になったみたいですよ。いまだに交通は不便みたいだけどね。
-----
今回の件(①)、ちょっと前のすっご~~く遠い親戚の件(②)、そして実は昨年の12月にも知人(③)がテレビに出てまして(①と③は北海道ローカル)、③以外はコッチが一方的に存じ上げてるだけなのだけれど、ちょっとだけでもeとりさんにかすってる人がテレビに出たということで想うことと言えば・・・
オレが出るときは加害者か被害者だなぁ・・・
どっちもイヤなので、やはり堅実にひっそり生きようと思いますm(_ _)m グアム、ロシア、エジプトには行きませぬ。江の島は・・・うーむ、行けるチャンスはいくらでもあったんだがなぁ。李下に冠を正さず、猫に首輪を付けず。