どーも、eとりさん”twitte-nine-r”です

ツイてないeとりさんが140文字にとらわれず、己の境遇を
つぶやきます。ニートの生き様を目に焼き付けるがいい!

eとりさんのいちばん長い日:2009年6月26日(その2)

2010年02月26日 16時44分59秒 | Weblog
(その1からの続き)
 19時33分、H准教授に呼ばれ実姉3号とともにナースステーションに行く。

H准教授:「手術はうまくできました。今はまだ最終の処置を行ってますのでもう少したったら手術室から出てくると思います。昨日説明したとおり胆管を切除しましたが、胆のうの炎症がかなりひどかったですね。腹膜や肝臓には転移は無かったです。胆管の膵臓に食い込んでいる部分は事前に考えていた分よりも少し多く切除しました。リンパ節も取りました。あとは術後の出血や感染症、胆汁や膵液漏れなどがあった場合にはそれに対応してなんらかの処置をすることになります。」
 
 結構いろいろ丁寧に説明してくれたような気がするがあまり細かいことは覚えていない。ただ、とりあえず手術が成功した、ということはよくわかった。手術しなきゃその先がおぼつかない病気だったのだが、まずは手術が成功したという事だから御の字である。

 説明が終わった後にまたデイルームに戻ったが、オカンが個室の病室に入ったと聞かされて20時47分にようやく対面。オカンは酸素マスクをつけているが苦しそうな表情をしている。何かを話そうとしているのだが声にならない声で、何を言っているのか、何を言おうとしているのかさっぱりわからない。そのうち自分から酸素マスクをはずして何かを言おうとし始めた。この時、eとりさんは不謹慎ながらこんなことを考えてしまった。

 これはドラマでよく見る"ヤバいことが起こる直前の雰囲気"だぞ!?

 うわぁぁ、オカン、頼むからマスクはつけたままにしといてくれ!で、何を言ったかというと・・・「痛い」だった(はず)。麻酔から覚めて、切ったところが痛かったようだった(これは今にしてみるとeとりさんもよくわかる)。しんどそうだったなぁ。

 傍(かたわ)らにいても何もしてやれないが、結構苦しそうにしていたので「ハイ、さよーなら、また明日」と退室するのもなんだかなぁと思っていた。看護師さんにいつまで付き添っていていいか尋ねると22時までは居てもいいと言われたのでそれまでは様子を見ることにした。そのうちオカンも落ち着いて寝入ってしまったようだった。21時半頃、実姉3号が帰り、22時をちょっと過ぎた頃にeとりさんも退室。

 はぁ・・・でもとりあえず手術が成功して良かった・・・。お祝いに1杯やりたいな。メシも食いたい・・・帰り道に生ビール¥390の居酒屋に入る。ここは今まで入ったことはなかったけれど昼間はランチタイムで食事を出していることを知っていたので、メシ食いながらビールも飲めるだろうと入ってみた。

e:「定食って今の時間でも食べれます?」
係:「はい、大丈夫ですよ」
e:「じゃあ鶏唐揚げ定食とビール」

 出てきた定食は・・・唐揚げ以外のおかずが冷めたものばかりで、まぁマズい!昼に売れ残った分を出してきやがったな!

 マズいご飯をビール2杯で流し込み、おあいそ。「レシートください」って言ったら、レジモンが入力ミス。メシはマズいはレジは使えねーは・・・もう少しマトモな店で祝杯を挙げたかったなぁ。かくして"いちばん長い日"が終わったのである。    (つづく)
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eとりさんのいちばん長い日:2009年6月26日(その1)

2010年02月24日 17時15分10秒 | Weblog
2009年6月26日(金)
 朝7:05頃病室に入るとオカンは穏やかな表情であった。手術当日の朝7時頃に浣腸をすることになっていたのだが、もう済んだとのこと。まわりを片付けたり話をしたりしていると、8時過ぎに看護師が迎えに来た。いよいよ、である。

 車イスに移り、看護師さんが押して行くのに一緒についていった。患者専用のエレベータに一緒に乗り込み、病室のある8階から手術室のある3階へ。手術室入口までついていったが、ここでお見送りとなる。手を振って見送った。少し奥のほうまで進んだ後、看護師さんが再び車イスをこちらへ向けてくれた。オカンはまた手を振り、にこやかな表情で手術室へと入っていった・・・

 がんばれ、オカン!

 叫ばなかったけど、気持ちは↑この文字の大きさぐらい・・・あぁ、ついに入ってしまった・・・。時は午前8時9分であった。

 さて家族であるeとりさんは手術がすむまでの間デイルームで待機となる。手持ち無沙汰になるのはわかっていたので何冊か本を持ってきていた。読み始めたのはRッキンオンジャパン増刊のキヨシロさん追悼号。今思えばなんて縁起の悪い・・・。

 本を読み始めて時刻は11時をまわった。何も言ってこない。転移があれば腹を閉じて手術を終わらすと言われていたが、まだ何も・・・。そして12時になった。

 な~んにも言ってこない!

 よし、これはとりあえずなんとか手術できてんだなと勝手に判断。腹も減ってきたので1階にあるレストランへ行って昼食。またデイルームへ戻り、本を読んだり、ブログ用の写真を撮ったりしてヒマをつぶす。今日はとにかくデイルームからは基本的に離れられないのでヒマつぶすのが大変だった。オカンも大変だろうが待つ身もつらい。

 18:30頃、実姉3号が様子を見にやってきた。この時点で手術室に入ってからもう10時間以上たつのだが、手術がどーのこーのという連絡は全然無かった。実姉3号が食べ物を持ってきてくれたのでそれを食べて話をしながらひたすら待つ。

 そして19時33分、ひたすら待った我々の前にH准教授が現れたのであった・・・ (つづく)
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番外編/悪銭身につかず(昨日の後編)

2010年02月23日 12時35分21秒 | Weblog
 (昨日の続き)配管に使っている継ぎ手のサイズも外して見てみないとわかんないから、とりあえず外す道具を買ってきてやるしかないのでホームセンターへ行きまひた。ちっちぇーのでいんだけどな・・・良さそうなのがあったのですが値段を見ると1本¥2980!高!

 しかもこの道具は2本無いとまるで意味が無い。げげー!しかし、幸か不幸かそのちょうど良さそうな道具の在庫は1本しか無かった。どーすっかなぁと思ってまわりをさがすと、L=300mmのでかいのがあり、それは1本¥998。問題はデカすぎること。でも結局買いました。

↑パイプレンチ。これがまぁ重いんだ、1本1kgちょいあるんでないの?

こんなクソ重いレンチを持ってさぁ・・・

↑幅約33cmだぞ!メタボがどーのこーの言う話じゃねーべ!この間に体を入れてクソ重てぇレンチを2本持って体を曲げてひねって・・・つらい・・・(つД`)

で外して見たらば・・・あ~ぁ
←ボイラー排水出口と排水弁をつないでいたニップル継ぎ手

↑腐ってボロボロだぁよ。完全な格好で外せなかったんで、残りのネジ部がボイラー排水口のメネジにはまったままになったんだけど、ボロボロだったんで指でホジホジすると残りのネジも崩れて取れた。さて今度は継ぎ手を買いに行かねば。再度ホームセンターへ。水道用の配管材料はシロ物(亜鉛めっき鋼管)を普通使うのだが、あまりのボロボロさに「ここはステンレス使ったほうが良いかな?」と逡巡。結局ライニング付きのシロ物ニップルよりもステンレスのほうが¥50安かったんでステンレス継ぎ手を購入。

 で家に帰ったんですが、「あぁ、やっぱり・・・」

 (ここから先はちょいと簡単に説明するのが難しいのでわからない人を置いていきます、すいません)。排水弁の下流側はすべて塩化ビニールパイプを接着剤で接合した配管になっていて、"配管の縁切り"ができず、ニップルを付けられない。ユニオンつーものが必要になるんです。で、ユニオンを使うともう1ヶニップルが必要になっちゃう。あー、またもやホームセンターだぁ・・・本日3回目のホームセンターでユニオンとニップルを購入。ユニオンはシロ物しか無かったんでニップルもライニング付きのシロ物にした。

 で、ボイラー排水口と排水弁の間にユニオンとニップルをはめようとしたら・・・はい、勘の良い人はもうおわかりですね、ユニオンを余計にはめちゃったもんだから・・・
 ←塩ビのパイプで良かったんだか悪かったんだか、ここまで無理矢理横に振ってやんねぇとはめられなかったー!もうかなりニップルをねじこんでねじこんで無理矢理ハメこみましたよ。とりあえずの応急処置なんで、暖かくなったらちゃんと工事屋さんに配管やり直してもらわんとなぁ・・・。

 とまぁ、こんな具合で週末はほぼつぶれたわけですよ(いつも週末みたいなもんですが)。がんばったんですが水漏れもドドドドッというボイラーの異常も完全に直っておらず・・・。しかし何が一番悲しいって・・・、

 せっかく京都記念で三連複とワイドを当てて¥3000ほど儲かったのに、道具と部品代でほとんど消えちまった(T T)

おしまい
---------
 次回からは"TVたわー"に復帰。いよいよオカンが手術だ。持ってる人はKブクロのCD「蕾」を用意してすていちゅ~ん。日本中が泣いた!乞うご期待!
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番外編/ヤクザなボイラーが嵐を呼んだ(予定外の前編)

2010年02月22日 12時17分55秒 | Weblog
 TVたわーの途中ですが番外編。今回のお話はちょいと専門知識が無いとわからんかもしれませんので、「わからないわ」という奥様は詳しそうなダンナさんに聞いてみてくだされ。

 今シーズンのY町の冬は積雪量がそれほどでもなく、寒暖の差が激しいんです。それで今まで起こらなかったことが起こっています。

 風呂の排水溝の奥深くが凍って排水できなくなってしまったのです。

 いつもいつも凍っているわけではありませんが、凍っちまった時は仕方が無いので熱湯を繰り返しかけて溶かすようにしています。これが結構手間でして、ヤカンでキンキンに沸かした熱湯をかけてもヤカン3回分ぐらいお湯を沸かさないとなかなか溶けない。こんなに冷え込むことなんて今まで無かったなぁ。体感的にはいつもの冬と変わらないんだけど、積雪量が少ないので地中深くまで凍(しば)れてしまうのだそうな。少ないったって雪かきしなきゃなんないほど降ってるんだけどね。

 で、一昨日(土曜日)のこと。排水溝内を溶かした(つもり)後、ボイラーをつけて風呂を沸かそうとして数分たった時。突如ドドドドッという異常な音がしたのでボイラーのところへ行くと不完全燃焼時の変なニオイがする。こりゃマズイってんであわてて止めた。その後もう1回ボイラーをつけて様子を見たがやはり同じことが起こる。この日は風呂を沸かすのをあきらめた。

 何がおかしいんかねぇ・・・つーことでネットなどで調べてみてeとりさんなりに至った結論は「ボイラータンク内の圧力変動を逃がすための配管がフンづまりになっているのでは?」ということ。ボイラーはお湯を沸かすとき、お湯を溜めているタンクの中の圧力が変動するので、圧力が高くなったときに水(あるいは蒸気)を外部へ排出して調整するらしい。これがうまくできないとタンクの中の圧力が異常に上昇してドドドドッということになるのではなかろうか?んで、なぜその圧力調整がうまくいかないかというと、

 排水構内が凍っているから!?

 げっ、風呂だけじゃないんか。で、よく考えるとボイラーからの排水管と風呂場の排水管は途中で合流しているはず。風呂場のほうは熱湯かけて溶かしてちゃんと排水できるようになったのを確認しているから、ボイラーの排水管から風呂場の排水管との合流部の間がまだ凍っているかもしんない。つーことでボイラーの排水管もお湯を流し込んで、よし多分これで良かろうということになった。

 話は前後するけど、うちのボイラー周りの配管は結構年季が入ってくたびれており、水漏れしている箇所がある。まぁそれはまだいいんだけれども、その漏れた水が今シーズンの寒さのせいでボイラーの下まわりを覆うようにカッチカチに氷ってしまっているんですよ。どーにかならねーもんかなと、何の気なくボイラーの排水管を触ると、グッ!「ん?」

 シュパーッ!

 血しぶきならぬサビしぶきが飛んだ!「ゲーッ、配管もげた!」

 あわててボイラーの供給水側のバルブを閉めた。水は止まったがもちろんこのままじゃボイラーは動かせない。パイプの継ぎ手を替えないといけないが継ぎ手をはずす道具もない。昔は持っていたのだが働くフリをしていた職場を去るとき、「もう使うことはねーべ」とホザいてその職場に置いてった(はず)のであった。うあぁぁ、今さらそんなもん買わなきゃなんねーの?

 あ、長くなっちゃったから次回に続けるよ。                (つづく)
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腹開いた時と摘出した後が勝負だなと思った6月25日(その2)

2010年02月19日 17時15分00秒 | Weblog
2009年6月25日17時40分過ぎ
 
↑H准教授直筆の図です。

H准教授から説明された主な点は・・・
・胆管ガンなので胆管および胆のうを摘出する。
・肝臓までは転移していないようなので、胆管を肝臓との境となるところで切除する。
・十二指腸と小腸の境のあたりで腸を切断し、小腸側を肝臓内の胆管に縫い付ける。
・十二指腸側は、肝臓に縫い付けた小腸に穴を設けて縫い付ける。
・膵臓内にも胆管がもぐりこんでいるので、胆管摘出の際に膵臓の一部も摘出する。
・(どこのあたりのことかeとりさんにはわからなかったが)付近のリンパ節も切除する。
・手術時間は6~8時間程度、術後の入院が約1ヶ月間、(術後はすぐ起きて歩いたほうが体のためにも良いため)歩行は翌日から、食事は3~4日後からとなる。
・術後のリスクとしては胆汁漏れ(→入院期間延長)、膵液漏れ(→血管が溶け大出血を引き起こす)、感染症(→肺炎などを発症する、重症化すると敗血症になる)、術後出血(→再手術)などがある。
・膵液漏れや感染症からの敗血症になるとショック症状で血圧が下がったり、多臓器不全を引き起こす可能性あり。
・術後のリスクによる死亡率は1%以下である。

 さらに「抜糸は5~10日後」「胆汁や膵液漏れのチェックのために体にチューブを何本か2週間にわたって挿す」という話があった。

 絵を見る限り肝臓のこんまいところに何箇所も小腸を縫い付けるようで、いかにも手間がかかりそうだ。実際にかなり厄介らしい。しかしeとりさんが最も緊張した話は・・・
H准教授:開腹してみて腹膜に転移が見つかったらもう手術はできないので、お腹を閉じて抗がん剤治療ということになります。そうなると2時間ぐらいで手術は終わりということになりますから。」

 実は数日前、そういうケースに出くわしていた。オカンの斜向かいにやはりガンで入院していた80代のおばーちゃん。ぽわ~んとしているうちのオカンと対照的にすごく達者で元気そうだったのだが、この日の数日前に手術を受けたところ、転移が見つかってすぐにお腹を閉じてしまったとのこと。手術の翌日には何事も無かったかのようにかくしゃくと歩いておられたので、逆にせつなく感じていた。

 とにかく腹を開いてみないことにはよーわからん、という胆管ガン。血の気の引く思いのeとりさんの横でオカンは手術の承諾書にサインした。
   どーか転移が無いよーに!          (つづく)
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いつか見た光景をしばらくぶりに見て慌てた6月25日(その1)

2010年02月18日 18時06分18秒 | Weblog
 新聞の写真で見たT橋大輔が、M木一郎アニキに見えてしょうがない・・・。ゼーット!

2009年6月25日
 オカンの手術のためにバスタオルなどいろいろ用意しておくようにと言われていたので、まずは潜伏先近くの百均ショップでバスタオルを3枚購入。その後H大病院に行き、売店でフリーサイズ腹帯2枚、丁字帯1枚、ストロー付カップ1ヶを買う。腹帯は最初3枚買おうとしたのだが、レジでおばちゃんレジモンに「返品できませんから2枚にしておいたほうがいいですよ」と言われた。結果的に使わなくても返品する気なんてさらさら無かったのであるが、おばちゃんレジモンが言うには返品しようとする客が結構いるのだそうな。封を切らなかったら返品しても良さそうなもんだけど。

 14:40頃病室へ行くと、オカンは既に明日の手術のためのカテーテル処置をされていた。これって説明してもらっていたかなぁ・・・?記憶がない(-_-;
 

 いつカテーテル処置が行われたかはわからないのだが、この日の昼まで食事を摂ることができたようであった(※事前にもらった書類では「朝食まで」と書いてあったのだが)。現在は点滴中で、飲み物は飲んでも良いようであった。実姉3号も来て病室で話をしている最中、オカンが桃ゼリー水なるものを飲むと・・・、

 ゲロゲーロ

 あぁ~、しばらく点滴していなかったから、点滴すると吐き気を催すようになるのを忘れてた!(←Y町病院のH医師から「吐き気は点滴のチューブを挿しているせい」と言われていた)
 せっかく食べた昼食もさることながら、15時頃飲んだ下剤まで戻しちまったんでねーの?やばいよやばいよ!(←ペットボトルロケットでおなじみD川風)
 看護師さんにかくかくしかじか話すと「夜にまた下剤飲んでもらうんで大丈夫ですよ」とのことで、とりあえずほっとする。

 16時頃実姉3号帰る。17時頃、担当看護師のS田さんが来て腹帯やタオルがそろっているかどうかを確認。17:40頃、よ~~やく手術の説明をするからと呼び出しがあった。説明してくれたのはH大医学部准教授のH医師。回診の時にたまぁに顔を見かけたことがあったが、そういう立場の人だとはもちろんわかっていなかった。ふくよかな顔立ちで、背は高く、ヒゲをたくわえ、髪とヒゲはロマンスグレーである。余談ですがお医者さんて背が高い(図体がでかい)人が結構多いような感じがするんですけど、キミの街ではどーかな?

 さて説明された内容とは・・・衝撃(でもない)の次回へつづく。

P.S. あたりマエダのクラッカー、が見られないのは、サビシーッ! 合掌。
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初めて麻酔科医なる人物に対面した6月24日

2010年02月16日 17時16分50秒 | Weblog
 アノ方は冬・夏合わせて7回ぐらい五輪に出てらっしゃって、今では国会議員を務めてらっしゃるエラい方なんです。エラい人に頭下げていただいちゃうと、それを伝え聞いた側近衆が「アノ方に頭下げさせやがって!」とツブしにかかってこられちゃうんですよねー、あー大変。オトナの社会はイヤなもんだ。

 さてと、ブログを始め"ま~す"。

2009年6月24日
 この日は午前中にオカンが麻酔科で受診するということで早起きし、朝Mックした後9時前に病室へ。しかし結構待たされてしまった。10時40分頃、看護服姿(白衣とはちと違う)の学生さん(♂)が2人「実習なのでよろしくお願いします」とやってきた。普段回診にくっついてくる金魚の○ンみたいな連中と違って挨拶は丁寧だし、腰も低く、何より初々しい。こういう彼らもあと何年かしたらふてぶてしくなっていくんだらうか?医は仁術、と言われます。論文を書くことよりも患者の立場に立つことを大事にしていただきたい。

 学生さんらがうちのガラモンの診察をしたあと、今度は看護師さんが「腎臓の検査をするので尿を取りたいから」と言っていつもの胆汁戻しの要領(胆汁の入った容器を上から吊り下げて点滴のように胆汁を体内に戻す)で水を腸内へ点滴し始めた。強引だなぁ、そんなに急がねぇばなんねぇか?

 ほいで11:45頃、よーやく麻酔科からお呼びがかかった。こんなんだったらもう少し遅くてもよかったじゃん、全く( ̄ε ̄)。eとりさんがオカンを車イスで連れて行くことになり、H大病院に来てから初めて患者優先使用のエレベータに乗って診察病棟へ向かう。

 麻酔科まで行っても部屋のそばの待合室みたいなところでしばし待たされた。多分12時をまわったあたりでやっとこさ麻酔科の先生の説明を受ける。見せられた書類に沿って、丁寧なんだけど早口で(←ここが日本の現在の医療行政を反映してるよなぁ、診療報酬の都合でしょ?)いろいろと説明された。重要なポイントは「手術自体が9時間、麻酔等の処置で計11時間ぐらいかかりそう」ということ。他のことはあんまり頭に入ってきませんでした。
        
 クリックしたあと↑、さらにブラウザで拡大表示しないとよく見えないかも・・・。内容は難しいので、雰囲気をとらえてください。

 eとりさんが胆石で手術したときは麻酔の説明なんて一切無かったなぁ・・・(-_-;

 手術後は数日間、別の個室病室に移されるというので、オカンの身の回りのものを整理整頓・片づけをする。この日は水曜日だったがオカンの予想に反してまだ食事が出てきた。オカンは今日も夕食を全部食べた。明日はいよいよ手術に関する説明がある・・・はずだよなぁ?                             (つづく)

P.S. 鼻ピアスは牛を連想させるのでちっともカッコいいと思いません。
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手術が着々と近づくことを実感した6月23日

2010年02月14日 18時03分57秒 | Weblog
2009年6月21日
 この日は日曜日で、実姉2号が見舞いに来てくれるということで13時頃病室に行く。オカンは元気だった。実姉2号は14時頃来ていろいろ話をし、16時頃帰る。夕食時、オカンはおかずをちょっと残したがほぼ食べた。体温は37.3℃だった。

2009年6月22日(月)
 昼にMスドでクーポン使ってドーナツなどを買ったら、「ポイントが100Pたまってますけど使いますか?」と聞かれた。Mスドのポイントって景品交換だけかと思ってたら値引きにも使えたんだね。¥100引きになってラッキー。

 15:45頃、病室に向かう途中でK村医師に出くわし「手術の説明は前日の夕方頃にあると思いますので」と言われる。病室に入り、オカンがシャワーに入ったというので足にNベアを塗ってやった。夕食は全部食べた。オカン曰く「水曜日の朝ぐらいから多分点滴になってごはんが食べられなくなる、みんなそうだったから」。食べられるときに食べといて呉れ給へ。思えばちょっと前までは食べ物のニオイにやられてゲロゲーロだったのになぁ、よくぞここまで回復したもんだ。

2009年6月23日
 ところで皆様はJャFに入ってますか?毎月小冊子が送られてきて、アレにMックの無料券とかファーストフード店のクーポンとか載ってますよね。それを切り取ってMックに行ったらちゃんと使えましたよ。昼はバーガー1ヶとコーラのS、そしてJャFの雑誌の無料券でもらえたポテトのS。計¥200也。AMラジオを持ち込んで店内で聴きながら食ってましたが、この量じゃあんまりヒマはつぶせませんね。

 それでも懸命にヒマをつぶして(ずっとMックに居たんじゃないよ)17時前に病室に入る。回診が済んだ後、S田さんが来て手術のために購入が必要なものや手術前の準備について説明していった。この時に手術の際にはタオルや腹帯、丁字帯などなどが必要になることを学んだのである。
         
       ↑著作権違反かもしれないが許してほすぃ・・・(^^;

 明日は麻酔科に一緒に行くことになったので早起きせねば。        (つづく)
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竜ちゃんにつづいてまたまた芸能人を見た6月20日

2010年02月12日 18時01分04秒 | Weblog
「1週間のごぶさた」が永遠のごぶさたとなりました、合掌。

2009年6月20日
 O通公園地下街のK伊国屋で立ち読みしてたら、なんと週プロが追加入荷されてきた。うわー、知ってたら昨日買わなかったのに!でも結局「保存用」にと全く同じものをもう1冊買ってしまった・・・
 eとりさんは収集癖がありましてねぇ、困ったもんです(´ε`)。

 さて本日のお昼は↓ここだ。
      ←「とりらーめん」なんてアタクシにピッタリの名前ざます。

 ラーメン屋を紹介する本を本屋で立ち読みしていて、歩いて行けそうな場所だったので行ってみました。O通公園から20分ぐらいかかったかな?食べたのはねぎキムチ塩ラーメン¥680也。辛くて大汗かいたけど旨かったです。eとりさんは辛いものはあまり強くないので、辛い物好きな人は普通だと思います。このあと何回か食べに来ましたがスープがあっさりしていておっさんの胃にはありがたいラーメンでした。

 ほいで帰りに近くにあるSッポロファクトリーというショッピングモールに寄る。ここは大昔(明治の頃からいつまであったんだろ?)ビール工場だったところ。モールの建物自体は(多分)新しく建てたんだと思うけど、その周囲には往時を偲ばせるレンガ造りの建物やでかい煙突が残ってます。
  

中には↓こういうところもありまして、皆様ご存知タダが大好きですから入ってみましたよ。
  
↑中はあまり大きくありませんが、ビールを造るための銅製の釜や昔使っていたホップ、そのほか歴史的な資料が展示されておりました。

 オカンのところへ行くにはちょいと時間が早かったので、まだまだモール内をぶぅらぶらしていると、ステージが用意されていてお客さんが座って待っていた。おやおや、どーしたんですか?(T口順平さん風)

↑この写真の右上方向、座っているお客さんの上のほうには大きなモニターがあって、そこに写っていたのは当時HキサゴンからCDを出すことになったAッキーナのPV(プロモーションビデオ)が流されていた。さらに場内には「Aッキーナのトークショーはあと○十分後に・・・」というアナウンスもなされていた。「ほぉ~、Aッキーナ来るんだ!?」どーせヒマだし、見ておこう!

 つーことで芸能人を待っているこの雰囲気をカメラに収めたのだが、"スタッ、フー"ジャンパーを着た連中が結構うろちょろしてて、カメラを手にしているとすげぇ視線を感じたね。わかってますよ、Aッキーナなんて撮りませんよ。eとりさんはこういう雰囲気を撮りたかっただけ!

 待つこと数十分、ついにAッキーナ登場。"ガヤ"でFジモンとかも出るのかなと思ったがAッキーナ一人がMCの女性とトークするだけだった。それにしても芸能人をナマで見るのはン十年前にKワイナオコ(←アイドル時代にY町にドサマワリで来たんだ、既に結構売れてたのに)を見て以来ひさびさだ。で、Aッキーナ、どーだったか?う~ん、特にコーフンせんなぁ、トシのせいか?トシは取りたくねぇなぇ、かみさま、かみさまぁ・・・。

 こーやってヒマをつぶしてから病室に入ったのが16時過ぎ。実姉3号と姪っ子Sが来ていたが入れ替わりとなる。オカンはこの日も夕食を全部食べた。帰りにまた甘い物が食べたくなったのでMックに行ってチョコレートサンデーを注文したら・・・¥50引きのキャンペーンは前日で終わっていて値段が元の¥150になっていた、(@◇@;)痛恨!                                        (つづく)
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予定日が決まった6月18日

2010年02月11日 16時06分08秒 | Weblog
2009年6月18日
 17日の夜に高速バスでS幌入り。12:30頃(なぜこんな時間に行ったのか思い出せない)病室に行くとオカンは結構元気そうだった。記録用紙を見ると、eとりさんがY町へ帰っていた間もオカンは食事をあまり残すことなくほとんど食べていたようだった。

 その後一旦病室から出てどこかでヒマをつぶしてから16時頃再び病室へ。オカンが「眼科に呼ばれて診てもらったら左目の白内障が悪化しているので今度の手術が終わって落ち着いてから白内障の手術をしたほうが良い」と言われたとのこと。持病の糖尿が良くないと手術はできないのだがなぁ、そう言ってくれるっつーことは糖尿はあまり悪くないってことか?食事もずっと普通食だしなぁ。

 16:40頃、回診が来ていつもの眼鏡の先生が「手術は来週の金曜日(6/26)を予定してます」と言っていった。おおぉぉ、ついに決まった!手術がうまくいくとかいかないとかの問題ではない、手術できなきゃ治らんのだ!

 オカンが夕食を全部食べ終えた後、オカンから直接関係各位に手術の日程について電話させた。病院を後にしたeとりさんの夕食はデパ地下で¥100引きのチキンカツ弁当。さらにキャンペーンで¥50引きになっていたMックのストロベリーサンデー(¥100)を食す。

2009年6月19日(※この日は金曜日)
 「あ!週プロ買わなくちゃ!」今や唯一(だと思う)になってしまったプロレスファンのための週刊誌を求めて、近場のコンビニや本屋を歩き回るが、どこにも無い!今号は三沢氏の死亡事故に関する記事が特集されているはず。しまった、出遅れた!南北はS幌駅周辺から南7or8条まで、東西は西1丁目から6丁目ぐらいまでひたすら歩き回ったのだが全然見つからない。よーやく南6西6のLーソンで表紙のややくたびれた週プロを見つける。もっとちゃんときれいな状態のものが欲しかったのだがもうしかたがない、妥協して買った。しかし・・・そこのLーソンからほんの少しだけ離れたところに新しく開店したばかりと思われる別のLーソンがあり、そこに入ると・・・あぁ、あった、手垢にまみれてない週プロ様が・・・ぐおおおぉぉ(TдT)
(※内地では水曜発売ですが、ほっかいどでは金曜発売のようです)

 17時頃病室へ行くとオカンが「保険証が見つからないけどアンタ持ってない?」と言う。慌ててオカンのバッグやTV台の引き出しを探すと引き出しの中にあった。ちゃんとあって良かった。はー、人騒がせな。
 オカンはこの日も夕食を全部食べた。eとりさんは18:30退室。今日の夕食はねぎ正油らーめん¥650@ごま田郎。
←撮影は別の日。
↑麺にごまが練りこまれているとのことですが、正直よくわかりませんでした。でもラーメン旨かったです。昔ながらのラーメン屋という感じで、店の間口が広く、カウンター席のほかに小上がりがあって、いい雰囲気のお店でした。        (つづく)
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