江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

江別競馬のはじまり

2016年05月23日 | 歴史・文化

 江別駅前の江別市農協会館(6条8丁目)東側の始動を北へ直進すると、飛鳥山公園にぶつかります。
この道は、途中、国道12号に分断されたため、地下歩道をくぐり抜けないと公園側には出られません。

 その地下歩道の入り口に、競馬場通り地下歩道のプレートが掲げられていることにお気づきでしょう。そう、地下歩道をくぐり、江別第三小学校と江別市郷土資料館の間を抜けていたる飛鳥山公園こそかつての江別競馬場であったのです。

 昭和2年8月、農林、内務両省は省令を持って地方競馬規制を公布し、それ以前から地方で行われていました草競馬の景品付優勝馬投票を、地方長官の許可制で追認することになりました。
これが、江別競馬も関係する地方競馬の始まりです。

 これは、大正12年に制定された競馬法に基づく、いわゆる公認競馬とは異なり、馬券の発売は認められていません。
代わりに、優勝的中者には景品を与えるという、ギャンブル性を薄めたものと言えます。

 この地方競馬を開催できるのは、産牛馬組合法による組合か、馬の改良増殖を行う団体に限られていました。
そのため、江別も属する札幌市他5郡産馬者組合では地方競馬規制の公布を機に、翌3年から地方競馬を開催することになりました。

そして、衆選の結果、その開催地を江別に定め、飛鳥山にあった競馬場兼グランドを造成、整備、いよいよ準備万端あい整ったのでした。



註:江別市総務部「えべつ昭和史」802-803頁.
写真:飛鳥山競馬場
 同上書804頁掲載写真を複写し、当ブログに掲載いたしております。





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