江別創造舎

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札幌製糖会社設立

2010年11月02日 | 歴史・文化
 道内の製糖所の始まりは、明治13(1880)年、現在の伊達市に操業した官立紋鼈(もんべつ)製糖所です。

 同所は、明治19年に道庁の所管となり、翌20年民営化され紋鼈製糖株式会社となりました。
 次いで、21年札幌に札幌製糖株式会社が設立しました。同社は、23年に苗穂工場を設置、操業を開始しました。
 以上が、北海道における甜菜糖(ビート糖)業の黎明です。

 操業に先立ち札幌製糖株式会社は、21年4月江別・西野幌(現文京台緑町)に地所を求め、甜菜の栽培を始めました。同社の耕作地の大半は、札幌郡でした。運輸、流通面では所を得ましたが、当時の栽培技術及び製糖技術の水準は、充分な成果を上げるまでには至りませんでした。

 「札幌製糖株式会社事業取調報告書」(明治25年)によると、耕作適地1千284,64ヘクタールのうち、札幌郡が953ヘクタールを占めていました。これは、全体の約75%で、この中には江別村、対雁村の役117ヘクタールが含まれており、うち約105ヘクタールは既耕地でした。既耕地の大半は、西野幌でした。
しかし、西野幌の作柄も期待どおりにはいきませんでした。

 「札幌製糖会社齊藤忍氏来訪(中略)、談話一時許、甘菜作付ヲ各士に奨励シ此ニモ至リタルナリ(中略)、予ハ兼テノ持論云々ヲ丁寧ニシ、野幌ノ如キハ到庭速ニ大根亜麻等ヲ作ツハ余力アルマシ(中略)、忍氏モ砂糖大根ノ如キハ新開地ニ適セザル云々説話アリ(後略)」(明治24年4月10日『北海日誌』三島億二郎)。
 以上は、製糖会社の齊藤忍が、地元の野幌殖民社の三島に作柄の思わしくないのを嘆いている図です。
 事実、明治25年の作付けは激減していました。その後、浮沈はあるものの、経営上の問題により、29年には操業中止となり、おっかけ34年には解散やむなきに至りました。

 一方、北海道庁では、亜麻同様、26年から嘱託試験を実施しました。
 方法は、札幌、空知、幌別、有珠の各郡の精農を選び、種子、深浅耕作、肥料の試験を委託しました。
 2年、3年と継続されましたが、この時点では、確たる栽培法を見出すまでには至りません。

(参考)
当ブログ2010年11月 1日(月)「牛馬貸与規則」
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当ブログ2010年10月14日(木)「北海道庁米作方針転換」
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註:江別市総務部「新江別市史」292-293頁.
写真:旧道庁(赤煉瓦庁舎)

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