江別創造舎

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野幌高校の全日制への転換

2013年10月18日 | 歴史・文化

 野幌高校は、47年大学区制最後の年に全日制普通科が設置され、その年4学級180人定員に対し、志願者736人、実に4倍を越える高い競争率となりました。

 同校は、もともと季節定時制(昼間)の、道内唯一の農業単置校でした。
それが、41年の高校再編の中で、廃校の案が浮上しました。
廃校案は、その後同校PTA、同窓会など関係者はもとより市議会、農業団体などで組織する存続対策委員会を中心とする運動が実り、阻止したという経過を持っています。
 もし廃校なりせば、市内の高校進学事情が大きく様変わりしていたことは明らかです。
まさに、大きな危機でした。

 その後、同校は、市内道立高校の新設を求める江別市道立高校新設期成会との連携を深め、同校における全日制普通科の開設へ向けた運動に取組みました。

(中略)

 市では、48年度をメドに北海道教育委員会との交渉を進めました。
その結果は、意外に早く功を奏しました。
すなわち、46年11月、北海道教育委員会がまとめた47年度公立高校再編成案の中に、野幌高校に全日制普通科2学級新設が位置づけられたのでした。
その後、4学級開設と改められ、同時に定時制課程農業科の募集停止が決定されました。
しかし、同校においても普通科開設の流れのなか、農業科を普通科に転科するのに依存はありませんでした。

 当時、野幌高校普通科開設に直接携わった真嶋昭三同校教頭は、『全く新しい学校を創るのと同じ位の課題が山積みしていた。特に入学選抜業務は、何としても自分一人では出来ることではなく、農業科の先生方に全面的にお手伝いを願った。第一年目のこの年の入学志願者は実に七百三十余名という、定員の4.2倍という普通科では全道第一位の高倍率をしました。また、その大半が札幌出身者で占められたこともあって、本校の他に急遽札幌東高校を第二検査場として収容することとしました。』(野幌高校創立三十周年誌)と、47年度からの全日制の出発の時を語りました。

 48年度からは中学区制に移行しました。
同時に、野幌高校の普通科も6学級に増えました・
一方、47年度から募集停止の農業科は、50年3月、最後の卒業生を送り出し閉科となりました。
50年度、野幌高校は完全な全日制の普通高校として再出発することになりました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」534-535頁.
写真:昭和50年3月最後の卒業生送り出した野幌高校
 同上書534頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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