野幌煉瓦工場は、日中戦争以降、時局の風を受けて沈滞の節を脱し、再び活況を取り戻しました。
『石狩農業の中心地であると共に、将来工業地帯と伸びゆく江別町は、その後煉瓦の需要は非常なる勢ひを以て増加したために一時沈滞せる工場も全能力を挙げ、さらに本年に入りて三工場の設置をみるに至り』(昭15.10.2付北海タイムス)と有卦に入ったのでした。
事実、この間、14年の米沢煉瓦工場から17年10月の石狩煉瓦有限会社まで、煉瓦、土管製造工場が次々と6社も設立されたのです。
この時代、軍需最優先による資材の配給統制により醸造業など大方の中小工場では事業縮小ややむなきに至りました。
しかし、『無限ノ資材ヲ擁スル煉瓦土管工業ハ時局産業ノ勃興ト共ニ愈々𣪘賑ヲ極メ』(昭和16年江別町事務報告)たのでした。
その後も工場の新設、増設が相次ぎ、野幌の地は、煉瓦工場の巨大煙突が林立しました。そのため、後日譚ですが、米国戦闘機グラマンも巨大煙突を敬遠して野幌空襲を避けたとの笑い話を残したほどでした。
最も製品のそのものは、選挙区の窮迫化に伴走し粗製乱造に傾きました。
当時の煉瓦女工中島キクによると、『量さえあれば何でもいいの。投げればガシャって割れるしネ。カルシューム煎餅みたいだねって。そんなもの作っていました。』
これは、極端な話しとしても、増産、増産の大号令に急がされ、決して品質良好という訳にはいきませんでした。
註:江別市総務部「えべつ昭和史」84-85頁.
写真:米澤煉瓦株式会社(2010年夏撮影)
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