コタツ評論

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遠い花火

2017-08-07 23:33:00 | 政治
昨日書こうかと思ったのだが、いささか不謹慎も含むので、今日にした。

下掲のコラムを読んで憮然とした。もちろん、国連の核兵器禁止条約に日本が反対したことと相まったこともある。

読売新聞の電子版には掲載されていないので、書き写す手間がかかったこともちょっと腹立たしい。

読売新聞8/6 「編集手帳」

大学時代に友人を花火大会に誘ったら「行きたくない」といわれた。「爆弾を思いだすから」と。友人はアフガニスタンからの留学生だったーと先週の日曜の本紙『気流』欄で高校教諭の女性(32)が綴っていた。夏になると生徒にこの話をするという◆花火が苦手という声は日本の年配の方にもある。空襲を思い出す、と。季節の風物詩も、経験によっては記憶と結びつく◆花火に原爆を重ねた人もいる。よく語られるのは、雷鳴や稲妻に被爆者が抱く恐怖だろう。閃光がよみがえるという。花火のように優雅ではないが、雷も夏の季題である◆<あの閃光が忘れえようか>。広島で被爆した詩人の峠三吉にこうはじまる一編がある。題を「八月六日」という。その日がまためぐって来た。人類史上に前例のない惨事から72年、体験した者には忘れえない記憶も世代が移れば薄れよう◆今夜も各地で花火が上がる。大輪をめでつつ、音や光を厭う人々の経験にも思いを致したい。恐怖の記憶の継承は、その再来を防ぐ力になる。光を放つ物体が北海道の西方に落下して、10日とたたない中での原爆忌でもある。

「花火」がモチーフである。アフガニスタンからの留学生、空襲の被災者、原爆の被爆者が並べられ、彼ら「花火の音や光を厭う人々の経験」を思うという構成だ。

ただし、筆者の取材経験をそこに読むことはできない。アフガニスタンからの留学生の話は高校教諭の投稿から抜き出し、被爆者詩人の詩を引用しているに過ぎない。

花火を眺めていることくらいが筆者自身の経験のようだ。それもたぶんTVの中継画面だろう。このコラムの主題を裏切る、他人事の呑気な気分が透けて見える。

うがち過ぎのななめ読みだろうか。

「人類史上に前例のない惨事から72年」の一文がなければ、ここまで意地悪くは読まない。「人類史上に前例のない惨事」とは摩訶不思議な表現である。

規模と死者数ならば、東京大空襲をはじめ、全国の主要都市を火の海にした米軍の空爆が当然、前例になるだろうし、世界に目を向ければいくらも前例を見つけられるだろう。

後例なら、高校教諭の女性(32)が例に挙げたアフガニスタンのみならず、イラクやシリアでは米軍や最近では露軍の空爆によって死傷した人々は、広島長崎をはるか越えよう。

夏になると生徒にこのアフガニスタンからの留学生の話をするという教諭の意図は、72年前ではなく、いまそこに起きている「恐怖」を生徒たちに伝えたいということのはずだ。

広島長崎の被爆をもって、「人類史上に前例のない惨事」を蒙ったと、どこか特権的な被害者意識から距離を置き、世界で現在進行中の空爆や戦争に目を向けさせたいというと思いではないか。

アフガニスタンから、72年前の空襲や被爆に及ぶ遡行といより、考えが退行しているといえるだろう。

逆に原爆忌から書き起こしてアフガニスタンの留学生に、イラクやシリアの爆撃の被害者に、その恐怖に思いを致すという運びでなければ、高校教諭も引用されたはいいが不本意なはずだ。

もちろん、天災や事故、飢饉、伝染病の蔓延などの結果も含む「惨事」という言葉遣いに、強い違和感を覚えたのは私だけではないだろう。

B29を使って空襲をしたのも、原爆を投下したのも、子どもたちを含む幾多の人々を生きながら焼き殺したのはアメリカであり、いまもそれを続けている。

アフガニスタン、イラク、シリアで米軍に空爆された人々はけっして惨事とはいわないはずだ。なるほど日本だけのことだから、人類史上に例はないわけか。ほとんど選民思想と選ぶところがない。

国連の核兵器禁止条約に日本が反対したその日に、「恐怖の記憶の継承は、その再来を防ぐ力になる」とはよくいったものだ。「恐怖の記憶」の「元祖」にしてはいささか恥ずかしくはないものか。

そのすぐ後に、「光を放つ物体が北海道の西方に落下して、10日とたたない中での原爆忌でもある」と北朝鮮のICBM発射を憂いて筆を置く。

ようするに判断停止を勧める安手の新聞コラムの見本なのだが、そこには真実も含まれている。

モチーフは主題を決定する。空襲の焼夷弾も原爆の閃光も、ICBMミサイルの発射も、遠い花火なのだ、この筆者にとっては。そして、私たちにとっても。

ついでに、同じ日の読売新聞『語り継ぐ受け継ぐ戦後72年1』 広島に太陽が落ちてきたー詩人 橋爪文さん(86)

8月6日の朝、広島は穏やかな青空が広がっていました。

冒頭の一文だが、橋爪さんの記憶違いか、聞き書きした記者のいいかげん。あの日に限らず、広島の夏はくっそ暑いんじゃ、太陽ギラギラでえ。「穏やかな青空」なんぞ、どこの広島県民がいいよるんか。物事の形骸化というんはこういう小さな言葉遣いに表れるんよ。

(止め)