コタツ評論

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紀伊国屋で苦労したのよ

2007-03-06 22:49:44 | ノンジャンル
ダイエーが撤退した後に、先日「LABLA万代」という複合型商業ビルがオープン。紀伊国屋書店が新装開店したので行ってきた。明日は新潟駅前南口のプラーカに新規出店したジュンク堂ものぞきたい。さすがに紀伊国屋。洗練された展示と工夫した品揃え。ブックオフがいかに殺伐とした本の荒野であるかをあらためて思った。本は本屋とその背後のいる書店員を含めて成り立っている。少なくとも本の買い手にとっては、出版社や著者より、ずっと身近で親しい関係だ。ブックオフを「本の墓場」と酷評した人がいるが、たしかに店づくりや本の並べかたに血が通っているような温かさを感じる書店がある。血液が酸素を全身に運ぶように、印字した紙を通して何かを手渡していこうとする気持ちが伝わる本屋だ。

と本屋の空気を満喫しているところへ、おばさん3人組が俺の棚巡りの先々でうるさい。島田洋七の「がばいばあちゃん」シリーズを指さして、「苦労したのよ、この人、バカにされているけど、苦労したのよ」、細木数子の本の前でも、「苦労したのよ、この人」の連発。ふだんめったに本屋に入らない人が入ってきたらしい。俺の子どもの頃も、新しいデパートや駅ビルができると町中の人が見物に行ったものだ。「LABLA万代」は若者向けなので、おばさんたちが堂々と入れるところは紀伊国屋書店くらいしかなかったのだろう。そういえば、「苦労した人」という評価も久しぶりに聴いた。

日本のおばさんは、貧しい家から苦労して歌手や相撲取り、役者、そして政治家になった人が大好きだ。昔は仲人口だって、「お父さんを早くに亡くして、幼い弟や妹の弁当をつくって高校を出たくらい、とっても苦労したよい娘なのよ」と鼻をふくらませて紹介したものだ。貧しくなくても、大女優に浮気を繰り返す夫に不良の息子でもいれば、「苦労しているのよ、この人も」と評価はいや増す。もちろん、「苦労知らず」は最低最悪の評価になる。

過去に苦労した、現在苦労している、それだけでその人を全面的に認め、悪しき品行や性格の欠点を許す。合理性には反するように見えて、行動だけを評価するところは見事に合致しているようにも思える。苦労することが人生のすべてというおばさんの人生観には、「寒さ暑さも彼岸まで」につながる、仏教的な明るい空無感があるようにも思える。

とても便利な言葉でもある。その人の有頂天のときも、失意のときも、「苦労しているんだよ、あの人も」といって、誰の反発も招く恐れはない。「それにつけても金の欲しさよ」や「根岸の里の侘び住まい」と同様に、日本人の心性のデファクトスタンダードを表現した言葉かもしれない。