コタツ評論

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いぬのふぐり

2005-07-17 11:58:27 | ノンジャンル
どんな野草だったっけかな。犬の睾丸はすぐに思い浮かぶのだが。

かなり以前に聴いた話で出典不明だが、日本の共産党員や共産主義者、社会主義者は人口の1%を越えたことはないそうで、その割合はキリスト教徒とほぼ等しいそうだ。右翼や民族主義者はもっと少ないだろう。右翼や左翼になるとは、自分の政治的立場を決定することだが、日本では民主主義政治が確立していないのだから、政治的な座標軸が定まっていない。したがって、しばしばサヨクやウヨクと表記されるように、たいていは空気の問題であり、その実態はキリスト教徒よりはるかに少ないのではないか。また、政治的立場に基づいた政治的生活を送っていることが、政治的立場を担保するのだが、そんな人はさらに少ないだろう。日本人の大多数は、「重層的非決定」に身を委ねているようだ。それを仮に戦後民主主義という政治的立場と考えてみると、その有効性や成果は、「プロジェクト×」が高唱するような経済民主主義に行き着く。この番組が、企業や技術のサクセスストーリーでは破綻しないのに、教育や市民政治を扱うと捏造までする破綻に陥るのは、戦後民主主義の政治的な成果の脆弱さをよく表している。だが、こうもいえるだろう。日本の経済政策が戦前の統制経済を下敷きにしたという定説がありながら、一定の経済民主主義を達成したとすれば、戦後民主主義はいわれるほど迷妄なのかどうか、まだ留保すべきではないかと。いぬのふぐりのように、名前も形状も格好よくないが、そこらの空き地にありふれていた時代があった。空き地は整地されて住宅地となり、コンクリートが敷かれてファミレスの駐車場となったが、そこにはかつて野草が生い茂っていた。地中に根がなかったと誰がいえるだろうか。
コメント
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